週刊朝日






























週刊朝日
刊行頻度
週刊
発売国
日本の旗 日本
言語
日本語
出版社
朝日新聞出版
刊行期間
1922年 - 現在
ウェブサイト
週刊朝日

週刊朝日』(しゅうかんあさひ)は、朝日新聞出版(2008年3月までは朝日新聞社)発行の週刊誌。1922年に創刊され[1]、サンデー毎日と並ぶ、日本の新聞社系老舗週刊誌。毎週火曜日発売。発行部数16万5,958部は週刊アサヒ芸能(発行部数17万5,391部)に次いで業界第8位[2]




目次






  • 1 歴史


    • 1.1 創刊から終戦まで


    • 1.2 戦後




  • 2 主な企画、主催


  • 3 節目の号


  • 4 表紙について


  • 5 報道


    • 5.1 注目を集めた記事・スクープ


    • 5.2 批判を受けた記事・不祥事




  • 6 過去の連載小説・エッセイ・コラム・漫画


    • 6.1 関連文献




  • 7 小説トリッパー


  • 8 脚注


  • 9 参考文献


  • 10 関連項目


  • 11 外部リンク





歴史



創刊から終戦まで


朝日新聞社内で『ロンドン・タイムズ』のようなニュース志向、『エコノミスト』のような経済誌、大衆向け情報誌の発行を目指し、1922年2月25日に創刊。創刊号の表紙はジョゼフ・ジョフル(ジョッフル元帥)の大阪朝日新聞社来訪時の写真だった。創刊当初は旬刊(上・中・下旬刊行)で5・15・25日発売、誌名も『旬刊朝日』だったが、1月遅れで『サンデー毎日』も発刊され、4月2日発売分(5号)から週刊化、誌名は『週刊朝日』に変更された。当時は四六4倍判、36ページ、定価10銭。内容は、創刊から2年半は、誌面をニュース、学芸及び家庭・娯楽、経済記事に三等分していたが、次第に『サンデー毎日』のような生活に関する記事が増える。


1922年7月には初の臨時増刊号『溢るる涼味』を発行。四六4倍判、72ページ、定価30銭で、20万部を即完売した[3]


1931年の満州事変勃発以降は、他の報道機関と同様に戦争協力の性格を強め、前線の軍への慰問品となることを目的とした記事も掲載される。1940年から新体制規格としてB5判サイズになる。戦争で用紙が逼迫する頃までは、発行部数は35万部程度。1941年秋に編集部を大阪から東京に移転。終戦直後の時代には、ページ数は24ページ、発行部数は用紙割当て3万5千にヤミ紙を加えて9万5千部となる。



戦後


1946年からアメリカン・コミックス「ブロンディ」を日米対訳式で連載。1947年10月26日号から、文学者辰野隆による連載対談「忘れ得ぬことども」が好評となり、部数が伸び始める。1948年の太宰治と山崎富栄の情死の際は、7月4日号の誌面ほとんどを山崎富栄の日記全文で埋め、この号は当時の発行部数13万部が3時間で売り切れた。1950年4月2日号からは吉川英治『新・平家物語』連載が開始され、戦後の週刊誌小説最初のヒットとなる。連載対談のホストは高田保、浦松佐美太郎、獅子文六と続き、1951年から徳川夢声による「問答有用」が人気となった。


1953年には編集長の扇谷正造と編集部が、戦後第1回菊池寛賞を受賞。この頃は部数が30万部程度だった。この前後に『週刊サンケイ』『週刊読売』『週刊東京』の新聞社系週刊誌が創刊されるが、朝日と毎日がトップで競合し、『週刊朝日』は1954年9月に100万部を突破。1956年からは獅子文六『大番』連載開始。この頃は発行部数の約4割が宅配であり、家庭の主婦も大きな読者層と捉えた編集方針とし、社会的な難しい問題を分かりやすく提供する「シュガーコート作戦」と呼んだ編集方法で、1958年新年号は153万9500部に達した[3]。扇谷はクォリティ誌を目指した『朝日ジャーナル』創刊準備に異動したが、編集方針の対立により1959年の創刊直前に更迭される。


その後は『週刊新潮』など出版社系週刊誌が台頭し、1977年には48万部(日本ABC協会)、現在は27万部弱(マガジンデータ2010[4]による)。新聞社発行週刊誌の中ではトップだが、総合週刊誌としては中ほどの売れ行きである。1988年8月26日号では、上野千鶴子のジェンダー論を取り上げた記事の見出しにおいて「おまんこ」の語が使用された[3]。1996年、素人の女子大生をモデルにするなどタレントへの登竜門として注目されていた篠山紀信撮影の表紙が終了し、リニューアルが行われた。


最終ページには1976年1月から山藤章二の風刺漫画「山藤章二のブラックアングル」が掲載されている。



主な企画、主催



  • 1931年、500号記念として「ミス・ニッポン」を公募し、ミス1人・準ミス9人を選出(1950年開始のミス日本とは異なる)。

  • 1949年、懸賞小説「百万人の小説」を募集(発表は1950年)。特選は深安地平、他に優賞に五味川淳(五味川純平)、入選に南条道之介(南條範夫)、松本清張がいた。

  • 1953年-1957年、日本各地のルポタージュ記事「日本拝見」を連載。主執筆者に大宅壮一、浦松佐美太郎、花森安治、他に臼井吉見、伊藤整、中野好夫、林房雄、今日出海、中島健蔵、小林秀雄などを起用。途中「日本断面」「新・日本拝見」とタイトルを変えて、190回、3年7か月の長期連載となった。

  • 1957年-1958年、「日本拝見」に続いて大宅壮一を執筆者として、神武景気に向かいつつある日本の各企業をルポする「日本の企業」を連載。68回に渡る掲載となった。

  • 1958年-1959年、推理小説誌『宝石』と共同で短編小説コンクールを開催。第2回までで佐野洋、黒岩重吾、笹沢佐保らが作家デビューした。

  • 1964年、ソ連のガガーリンによる人類初の宇宙飛行の際に、臨時増刊号を発行して宇宙特集を行った。星新一によるショートショート3編などを掲載した。

  • 1993年から将棋の棋戦「富士通杯達人戦」を主催。



節目の号


100号ごとの節目の号は以下のとおり[5](別冊や増刊を含む通しの号数)。








  • 1号 - 1922年2月25日号

  • 100号 - 1923年12月16日号

  • 200号 - 1925年9月27日号

  • 300号 - 1927年7月3日号(七月特別増大号)

  • 400号 - 1929年4月14日号

  • 500号 - 1931年五百号記念号(大懸賞“ミスニッポン”。今(21世紀初頭)の週刊朝日でいう「別冊」に該当する[5]

  • 600号 - 1932年10月16日号(十月第二増大号)

  • 700号 - 1934年7月1日号(七月増大号)

  • 800号 - 1936年3月1日号(創刊十五周年記念特別号)

  • 900号 - 1937年10月31日号

  • 1000号 - 1939年7月2日号(創刊一千号特別増大号)

  • 1100号 - 1941年3月30日号

  • 1200号 - 1943年1月17日号

  • 1300号 - 1944年12月24日号

  • 1400号 - 1946年11月24日号

  • 1500号 - 1948年10月10日号

  • 1600号 - 1950年8月13日号

  • 1700号 - 1952年6月15日号

  • 1800号 - 1954年4月18日号

  • 1900号 - 1956年3月18日号

  • 2000号 - 1958年1月26日号

  • 2100号 - 1959年11月8日号

  • 2200号 - 1961年9月1日号

  • 2300号 - 1963年6月28日号

  • 2400号 - 1965年4月9日号(陽春増大号)

  • 2500号 - 1967年2月3日号(〈第2500号〉記念増大号)

  • 2600号 - 1968年11月2日号(増大号)

  • 2700号 - 1970年9月25日号




  • 2800号 - 1972年7月28日号

  • 2900号 - 1974年4月30日増刊号(まんが朝日74年 春)

  • 3000号 - 1976年2月20日号(創刊三〇〇〇号記念)

  • 3100号 - 1977年11月18日号

  • 3200号 - 1979年8月15日臨時増刊号(第61回全国高校野球選手権 甲子園大会号)

  • 3300号 - 1981年5月29日号

  • 3400号 - 1983年3月4日号

  • 3500号 - 1984年12月7日号

  • 3600号 - 1986年9月15日増刊号(大学をどう選ぶか'87)

  • 3700号 - 1988年7月1日号

  • 3800号 - 1990年4月20日号

  • 3900号 - 1992年2月28日号(増大号)

  • 4000号 - 1993年12月31日号(創刊4000号記念)

  • 4100号 - 1995年9月29日号

  • 4200号 - 1997年5月30日号

  • 4300号 - 1998年12月18日号

  • 4400号 - 2000年9月15日号

  • 4500号 - 2002年5月17日号

  • 4600号 - 2004年1月2・9日新春合併号

  • 4700号 - 2005年8月5日号(増大号)

  • 4800号 - 2007年2月23日号(創刊85周年記念)

  • 4900号 - 2008年9月5日号(増大号)

  • 5000号 - 2010年3月26日号(増大号、5000号記念)

  • 5100号 - 2011年11月11日号

  • 5200号 - 2013年7月5日号(増大号)

  • 5300号 - 週刊朝日別冊 小説トリッパー 2015年春季号

  • 5400号 - 2016年10月14日号

  • 5500号 - 2018年4月6日号(増大号)




表紙について


初期の号では絵画が表紙を飾ることが多かった[5]。1970年代以後は少なくなったが、近年では1997年〜1999年に安野光雅の絵画が表紙を飾っていた。


素人女性の公募モデルが表紙を飾る企画は1980年〜1996年に女子大生を対象とした「女子大生表紙シリーズ」として行われ、2000年代には「美少女モデルシリーズ」として行われた。2012年に「女子大生表紙シリーズ」が復活。2013年は対象を高校生・大学院生にまで拡大[6]。2014年は女子だけではなく男子も対象となり、2014年8月22日号にて初の男子学生モデルが登場した[7]


1993年10月8日号の表紙では「71年間ご愛読ありがとうございました。」と書かれ休刊を示唆されたが、翌10月15日号の表紙は「新装刊 これは、週刊朝日ではありません。」と書かれ、表紙ロゴの変更(当時)をPRした。2008年2月16日増大号の表紙では「85年間、ご愛読ありがとうございました。」と大きく書かれ、左隅に小さく「次号からもよろしくお願いいたします。」と書かれていた。


2008年6月13日増大号では、漫画・アニメのキャラクターとして初めて島耕作が「表紙の人」となった(麻生太郎と共に)。ただし厳密には、1966年2月11日号で曽我町子と共にQ太郎(人形)が、1972年6月9日号で『天才バカボン』のキャラクターが、1989年2月24日号で手塚治虫と共にアトムが表紙を飾っている。以後、以下のキャラクター・架空の機体が表紙を飾っている。




  • ドラえもん(2010年4月2日号、漫画・アニメのキャラクターの単独表紙としては初)


  • フグ田サザエ(2012年12月14日号、2016年1月12日臨時増刊号「サザエさん2016」など)


  • 猪名寺乱太郎(2013年7月5日増大号。加藤清史郎と共に)


  • 浅倉南(2015年8月10日増刊号「甲子園2015」)


  • 上杉達也(2015年9月11日増大号。学生公募モデルを起用した「女子学生&男子学生シリーズ」の一つという扱い)


  • ジバニャン、USAピョン(2015年12月25日号)


  • シャア・アズナブル、ガルマ・ザビ(2016年5月27日号)


  • 宇宙戦艦ヤマト(2017年2月24日号)


  • R2-D2、C-3PO(2017年12月22日号。マーク・ハミルとともに登場)



報道



注目を集めた記事・スクープ




  • 2007年2月2日号で、発掘!あるある大事典の納豆ダイエットのデータ捏造をスクープ。番組は即打ち切り終了となった。

  • 2007年3月9日号「驚愕のスクープ! JAL極秘客室乗務員監視ファイル 社内スパイ」で、日本航空とJALFIOが、同社客室乗務員の勤務評価などを承諾無しに個人情報を収集していた事をスクープした。

  • 2007年7月20日号で、「毎日新聞 幻のレンブラントのでたらめ報道」の記事を掲載。これを受け、毎日新聞社は「本紙の名誉を著しく傷つけた」とする抗議文を送るものの、結局、毎日新聞はレンブラント報道に関し、7月31日付け朝刊28面で訂正記事、8月8日付け朝刊13面で誤報の検証記事を掲載した。



批判を受けた記事・不祥事




  • 1992年、参議院選挙に候補者を送った政治団体「風の会」を、巻末イラストのブラックアングルで山藤章二が「虱の党」と揶揄した[8]。1993年10月20日、風の会代表の野村秋介は、朝日新聞東京本社で朝日新聞社長らの謝罪を受けた席上、拳銃自殺した。その週のブラックアングルは白紙のまま刊行された。


  • 2000年7月7日号から2001年8月10日号にかけて計53回連載した紀行もののグラビア記事「世界の家族」について、武富士から「連載企画の編集協力費」(広告費)5000万円を受け取り、記者とカメラマンの海外出張費に充てて掲載したものでありながら、記事中に武富士の会社名を一切入れなかったことが2005年3月末発売の週刊文春2005年4月7日号の記事で発覚し、同記事では裏金であると指摘した。これを受けて朝日新聞社は、武富士側に謝罪のうえ法定利息を加算して約6300万円を返金し、箱島信一社長を報酬減額30%3カ月間、編集長大森千明を停職2カ月の上降格とするなど、計6人を社内処分した。後任編集長は加藤明。これを報じた週刊文春の新聞広告に掲げられていた記事タイトルの一部が朝日新聞社の広告ガイドラインに接触するとして、朝日新聞掲載分の広告に限って該当箇所を広告代理店が黒塗りにした上で掲載された(週刊文春#問題のあった記事・注目を浴びた記事を参照)。


  • 2002年12月1日付で加藤明も解任され、同時に2002年1月から1年続いた「虫」名義の匿名書評が打ち切りとなった。「虫」による大江健三郎作の「憂い顔の童子」批判が、来年からの連載が決まっていた大江を怒らせたことが原因とされる(週刊文春2002年12月15日号)。


  • 2003年1月24日号に、「独占インタビュー」として北朝鮮による拉致被害者の地村保志、富貴恵夫妻の取材記事を掲載したが、契約記者の上田耕司が地村夫妻の承諾をとらずに会話を隠しマイクで秘密録音し、記事にしないようにとの要請があったにも関わらず無断で掲載したものだったと発覚。当初、「取材の承諾を得たものだと理解」と強弁していたが、地村家が朝日新聞社の全ての取材を拒否した後に謝罪。鈴木健編集長、山口一臣副編集長が停職10日、出版本部長が減給処分となった。


  • 2006年11月17日号の「雅子さまと皇太子殿下が考えていた皇籍離脱の『真相』」で、オーストラリア紙の元東京特派員ベン・ヒルズが執筆した『Princess Masako―Prison of chrysanthemum throne』を著者インタビューを含めて掲載。これに対して宮内庁東宮職は「両殿下が『皇籍離脱まで考えていた』とする報道は、全くの事実無根」と抗議した。そもそも原著に「皇籍離脱を考えた」との記述はなく、12月22日号で「おわび」を掲載した。


  • 2007年5月4日・11日合併号で「長崎市長射殺事件と安倍首相秘書の『接点』」という大見出しを広告に掲載した。しかし、記事の内容は「安倍晋三首相の元秘書(飯塚洋ら)が射殺犯の暴力団から被害を受けたという証言がある」に過ぎず、安倍が記者会見で「報道ではなくテロ」と厳しく抗議した。朝日新聞は夕刊社会面に山口一臣編集長の談として「一部広告記事の見出しに安倍首相が射殺犯と関係があるかのような不適切な表現がありました。おわびします」と小さな訂正記事を掲載した。安倍は「誠意のある対応ではない」として謝罪広告を要求。「週刊朝日」は、さらに全国新聞4紙にも謝罪広告を掲載したが、5月9日、安倍の公設秘書2人と元公設秘書の計3人は、朝日新聞社と「週刊朝日」編集長、取材記者らに対して、約5000万円の損害賠償と記事の取消および謝罪広告を求め、東京地裁に提訴した。


  • 2008年9月12日号の週刊朝日に、妻を殺害した事件で有罪判決を受けた受刑者が、名誉を傷つけられたとして、朝日新聞出版を提訴した。記事の内容は「懲りない浮気癖」と題して報じられたが、この見出しの表現が問題となった。2013年10月18日、名古屋地方裁判所は受刑者の交友関係について「事実と認める証拠はない」として10万円の支払いを命じた[9]。朝日新聞出版は控訴したが、名古屋高等裁判所は地裁判決を支持して控訴を棄却、朝日新聞出版は最高裁に上告しなかったため、2014年4月14日、判決が確定した[10]


  • 2009年4月3日号で新聞広告に「岡田克也と西松建設が怪しい」と記載したが、記事本文には記述がなかった。これについて民主党の岡田克也が抗議文を送ると、編集長名で「広告の見出しに誤解を与える表現がありました。岡田氏本人と関係者におわびします」と即座に謝罪した[11]


  • 2010年4月8日号より、 南アフリカW杯に向けて金子達仁の「勝ってみやがれ!」の連載を開始。6月11日号では「必然性のない勝利はいらぬ。負けろ、日本。未来の為」との見出しをつけた批判記事を掲載する。しかし、日本代表が決勝トーナメントに進出した後の7月9日号では表紙に「進めニッポン!世界を獲れ!」と謳い、論調を一変した。


  • 2012年10月26日号にて、橋下徹大阪市長に関する佐野眞一と週刊朝日取材班(今西憲之・村岡正浩)の連載記事「ハシシタ 奴の本性」を掲載した。遺伝子で人格が決まるとする内容に対し橋下は、「政策論争はせずに、僕のルーツを暴き出すことが目的とはっきり言明している。血脈主義ないしは身分制に通じる本当に極めて恐ろしい考え方だ[12]」「言論の自由は保障されるべきだが、一線を越えている[12]」と反応し、朝日新聞グループの見解が示されるまでは、関連メディア(朝日新聞社・朝日放送など)から記者会見などで質問されても回答を拒否する旨を述べた[12]。これに対して朝日新聞社と朝日放送は「週刊朝日を発行する朝日新聞出版と自社は無関係」と主張した[13]。この記事について自由同和会[14]などの人権団体より激しい抗議があったため、朝日新聞出版は10月19日、同和地区について「不適切な記述」があったとして謝罪を行い、2回目以降の連載を中止した[15]。また、この件については、橋下に対して批判的であることも多い部落解放同盟[16][17]でさえも、「被差別部落出身を暴く調査をおこなうことを宣言して書かれた明確な差別記事」「確信犯的な差別行為である」「土地差別調査事件が大きな社会問題となるなかで、あえて地名を明記した事実は当該住民に対する重大な差別行為」と述べ、「偏見を助長し、被差別部落出身者全体に対する差別を助長するもの」で、許しがたいものであるとして抗議している[18]。この不祥事について、読者からも多数の抗議の声が寄せられ、次号にお詫び記事を掲載した。橋下に対しては当初、お詫び記事が掲載された同誌を郵送するだけだったが[19]、結果的に橋下の怒りを助長したのみならず、更に多くの批判を生む結果となった。その結果、2012年11月12日に尾木和晴編集長代行、篠崎充朝日新聞出版社長代行、中村正史の三名が橋下のもとを訪れて直接謝罪し、さらには朝日新聞出版社長の神徳英雄が「人権を傷つけたことを重大に受け止めたい」として、辞任する事態にまで発展している[20]。また、親会社である朝日新聞は、社説でこの問題に触れ、「痛恨の極みというほかない」「この過ちをわが問題と受けとめ、社会の期待に応える報道とは何か、足元をかためて、その実現に取り組んでゆきたい」と述べた[21]

  • 2012年11月20日、6日前にNHKの森本健成アナウンサー(当時)が強制わいせつ容疑で電車の乗客に現行犯逮捕された事件について、「森本は被害者の後ろから犯行に及んだようだ」と伝えたが、森本の身柄を引き渡された警視庁玉川署は「向かい合った状態」とし、週刊朝日の報道内容を否定した。この事件について誤報を流したメディアは他にもあり、ネットユーザーが週刊朝日の報道を含む誤報を基に「証言が二転三転している」などと誤認逮捕を疑う事態も発生し、玉川署は「被害者をさらに傷付けるようなものもあり、本当に可哀想。被害者の心に沿った報道を心がけてほしい」とマスコミの誤報やネットユーザーの憶測を批判した[22]

  • 2012年12月17日、一般社団法人日本肝胆膵外科学会は、朝日新聞出版が週刊朝日ムック「手術数でわかるいい病院2013」の広告企画の案内書において、同団体の理事長である宮崎勝に無断で「取材協力:日本肝胆膵外科学会 理事長 宮崎勝」と表し、複数の病院施設に対して100万円以上の広告料を要求しているとして、同団体の会員に注意喚起するとともに朝日新聞出版に抗議した。2012年12月20日、朝日新聞出版は正式な謝罪を行い、広告募集の営業活動を中止した[23][24]

  • 2013年10月8日、朝日新聞から出向していた小境郁也編集長に重大な就業規則違反があったとして当人を解任、懲戒解雇。併せて役員らの懲戒処分も発表したが、上記橋下徹特集記事問題との関連性などの具体的理由はプライバシーを理由に発表していない[25]



過去の連載小説・エッセイ・コラム・漫画



  • 吉川英治「新・ 平家物語」1950-57年


  • 長谷川町子「似たもの一家」1949年、「新やじきた道中記」1950年


  • 三島由紀夫「夏子の冒険」1951年

  • 獅子文六「大番」1956-58年


  • 今東光「悪名」1960年


  • 海音寺潮五郎「天と地と」1960-62年


  • 水上勉「飢餓海峡」1952年


  • 高木俊朗「知覧」1964-65年


  • 山崎豊子「仮装集団」1966-67年


  • サトウサンペイ「夕日くん」1968-85年


  • 司馬遼太郎「街道をゆく」1971-96年

  • 「デキゴトロジー」1978-2004年(一時中断時期あり。2014年から「デキゴトロジー・レジェンド」として復活) 新潮社で書籍化(後に朝日新聞社から文庫本が発売)


  • 渡辺淳一「化粧」1979-81年、「桜の樹の下で」1987-88年


  • 村上春樹「週刊村上朝日堂」1985-86、95-96年


  • 山内久司・横澤彪「必殺ざんげテレビ人」1985-87年


  • 鴻上尚史「鴻上夕日堂の逆上」1987-88年、「鴻上の知恵」1991-92年


  • 佐藤道夫「法律余談」1991年-


  • 高杉良「濁流」


  • ナンシー関「小耳にはさもう」1993-2002年


  • 松本人志「オフオフ・ダウンタウン」1993-95年


  • 内田かずひろ「ロダンのココロ」2000-02年


  • 倉田真由美「フリドラ男」


  • 新ナニワ金融道外伝「青木雄二プロダクション」2011-12年



関連文献


連載などの書籍化(一部)



  • 『わが師の恩』 朝日新聞社、1992年

  • 『語るには若すぎますが 1.2』 古舘謙二 インタビュー・構成、河出書房新社、2003年

  • 『春も秋も本! 週刊図書館』、40年間の書評集

  • 『ベッドでも本! 週刊図書館』、期間は昭和26年から平成3年(1951~91年)

  • 『本が待ってる! 週刊図書館』 朝日新聞社、各 1993年

  • 『「週刊朝日」の昭和史 事件 人物 世相』 全5巻、朝日新聞社、1989~90年



小説トリッパー



朝日新聞出版が発行している季刊の小説雑誌[26]。週刊朝日別冊[27]。3・6・9・12月の年4回発行[26]。1995年6月創刊[28]。「小説トリッパー」という誌名は、創刊に当たって糸井重里によりネーミングされた[29]。朝日新人文学賞が誌上で発表されていた[30]



脚注





  1. ^ “業務内容—週刊朝日”. 週刊朝日|株式会社シーエム (2011年). 2016年11月30日閲覧。


  2. ^ 部数算定期間は2014年10月1日~2015年9月30日、印刷証明付部数の比較による。“JMPAマガジンデータ:男性総合、週刊誌(一般週刊誌)”. 一般社団法人日本雑誌協会. 2016年11月30日閲覧。

  3. ^ abc【復刻】週刊朝日トリビア はみ出し純情系 創刊85周年記念企画、朝日新聞社、2011年4月5日 15:51更新。


  4. ^ 社団法人 日本雑誌協会

  5. ^ abc「週刊朝日 創刊90周年 あの頃、その時、あの表紙」『週刊朝日』2012年2月17日号(創刊号〜5100号の100号ごとの節目の号の表紙とその解説を掲載)


  6. ^ 週刊朝日名物企画復活、今年もやります!「女子学生表紙モデル」、dot.ドット、朝日新聞出版、2013年4月18日 19:21更新。


  7. ^ 本誌名物「女子大生表紙シリーズ」に初の男性モデル登場 東大医学部4年の○○さん、dot.ドット(週刊朝日)、朝日新聞出版、2014年8月13日 16:00更新。


  8. ^ なお、1992年にこのコーナーに掲載されたものをまとめた『山藤章二のブラック・アングル 14(ISBN 978-4-02-256618-8)』では、欠番扱いとなっている。


  9. ^ “朝日新聞出版に賠償命令 元中電社員の名誉毀損訴訟”. 産経新聞. (2013年10月18日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131018/crm13101818090014-n1.htm 2014年4月20日閲覧。 


  10. ^ “朝日新聞出版、上告せず”. 朝日新聞. (2014年4月15日). http://www.asahi.com/articles/ASG4B4QMFG4BOIPE01F.html 2014年4月20日閲覧。 


  11. ^ 民主・岡田副代表、「週刊朝日」広告に抗議文(2009年3月24日20時34分 Yomiuri Online)

  12. ^ abc“本社など取材、橋下氏が拒否 週刊朝日の連載めぐり”. 朝日新聞デジタル. (2012年10月17日). http://www.asahi.com/politics/update/1017/OSK201210170090.html 2012年10月21日閲覧。 


  13. ^ 橋下市長、朝日を延々84分“口撃”(デイリースポーツ2012年10月19日配信記事)


  14. ^ 週刊朝日の緊急連載「ハシシタ 奴の本性」の記事に対する抗議文 (PDF)”. 自由同和会 (2012年10月18日). 2012年10月21日閲覧。


  15. ^ “週刊朝日の連載中止 橋下氏巡る不適切な記述で”. 朝日新聞デジタル. (2012年10月19日). http://www.asahi.com/national/update/1019/TKY201210190469.html 2012年10月21日閲覧。 


  16. ^ 社民党埼玉県連HP 県連合第18回定期大会報告より(2012年11月11日閲覧)


  17. ^ 部落解放同盟HP 2011年度(第68期)一般運動方針に、民主・社民両党を支持する趣旨の記載有り(2012年11月11日閲覧)


  18. ^ 『週刊朝日』(2012年10月26日号)掲載記事「ハシシタ 奴の本性」に関する抗議文部落解放同盟HP(2012年11月12日閲覧)


  19. ^ 「自身にルーツを暴いてもらいたい」 おわび号に橋下氏反発(MSN産経west2012年10月22日21:03配信記事(2012年11月12日閲覧))


  20. ^ 週刊朝日側、社長辞任で“けじめ”「人権を傷つけた」橋下氏に直接謝罪(MSN産経west2012年11月12日 16:35配信(配信日に閲覧))


  21. ^ 週刊朝日問題―報道の自覚に欠けた


  22. ^ 森本アナ「下半身触ったというのは間違い」 玉川署が明かした「11分間痴漢の真相」J-CASTニュース2012年11月21日19時32分配信(2015年12月15日閲覧)


  23. ^ 日本肝胆膵外科学会 | ご報告


  24. ^ おわび(PDF)


  25. ^ 週刊朝日編集長を懲戒解雇 重大な就業規則違反「内容は公表差し控える」 産経新聞2013年10月8日

  26. ^ ab小説トリッパー(@tripper_asahi)さん


  27. ^ 朝日新聞出版 最新刊行物:お知らせ:第4回朝日時代小説大賞が決定しました


  28. ^ 朝日新人文学賞受賞作・候補作一覧1-19回|文学賞の世界


  29. ^ 小説トリッパーさんはTwitterを使っています: "〈トリッパーちょっといい話 その1〉


  30. ^ CiNii 図書 - 第19回朝日新人文学賞発表! ; 特集時代小説家入門




参考文献




  • 尾崎秀樹、宗武朝子『雑誌の時代 その興亡のドラマ』主婦の友社 1979年

  • 塩澤実信『創刊号に賭けた十人の編集者』流動出版 1981年

  • 扇谷正造『夜郎自大』TBSブリタニカ 1982年

  • 高橋吾郎『週刊誌風雲録』文藝春秋 2006年



関連項目



  • 朝日新聞

  • 朝日新聞社

  • 朝日新聞出版



外部リンク



  • 週刊朝日

  • 週刊朝日「談」


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  • ポッドキャスト番組「週刊朝日編集長登場!今週の読みどころ」(発売日ごとに更新)









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