社会民主連合
社会民主連合 Socialist Democratic Federation(SDF) | |
---|---|
成立年月日 | 1978年3月26日 |
前身政党 | 日本社会党(一部) 社会市民連合(後述)[1] |
解散年月日 | 1994年5月22日 |
解散理由 | 日本新党、新党さきがけなどへの離散・合流 |
後継政党 | 日本新党、新党さきがけ |
政治的思想・立場 | 中道左派 自由社会主義[2] 社会民主主義[2][3] 社会改良主義(漸進的改革)[2][3] 平和主義[2][3] |
社会民主主義 |
---|
先駆 ヒューマニズム 啓蒙時代 フランス革命 空想的社会主義 チャーティズム 1848年革命 パリ・コミューン キリスト教社会主義 (宗教社会主義) 労働組合 進歩主義 マルクス主義 (正統派マルクス主義) フェビアン協会 第二インターナショナル |
発展 修正主義 · 社会改良主義 倫理社会主義 労働社会主義インターナショナル 民主社会主義 ケインズ経済学 修正資本主義 フランクフルト宣言 ネオ・コーポラティズム 社会的市場経済 第三の道 |
理念・政策 間接民主制 · 複数政党制 労働基本権 · 自由権 福祉国家論 · 混合経済 富の再分配 · フェア・トレード 環境保護 · 世俗主義 協同組合 · 社会正義 |
人物 アトリー · アウォロウォ · ベルンシュタイン ベタンクール · ブットー · ブラント · ブランティング カーティン · en:Ignacy Daszyński · デブス · ダグラス エジェヴィト · ゴンサーレス · ヒルファディング ジョレス · 張君勱 · 片山哲 ラッサール · レイトン · レベック マクドナルド · マンデラ · ネーダー · ネルー バッジェ・イ・オルドーニェス · パルメ プレハーノフ · サヴェジ · トマス ウィリアムズ |
組織 社会民主党 社会主義インターナショナル 国際社会主義青年同盟 欧州社会党 国際労働組合総連合 |
政治ポータル |
社会民主連合(しゃかいみんしゅれんごう、英:Socialist Democratic Federation、SDF)は、かつて存在した日本の政党。略称は社民連(しゃみんれん)[4]。
1978年、日本社会党を離党した国会議員を中心とした社会市民連合(しゃかいしみんれんごう)と社会クラブ(しゃかいクラブ)が合流して結成された。1994年、日本新党、新党さきがけへの合流に伴い解散。
自由民主党の一党支配を終わらせることを第一の目標に掲げ、社公民路線を推進した。議席数はごく少なかったが、反共(日本共産党を「全体主義政党」と非難した)の立場と、社会民主主義を軸に、自由民主党と日本共産党を除く(非自民・非共産)各党に対し連立のための歩み寄りを説得する活動で、党勢以上の影響力を行使した。その交渉で他党に妥協を説く必要もあって、自党の政策を推進することよりも、政権交代を最優先と強調した。党員を「会員」と呼ぶなど、政党というよりは緩い連合体を志向していた。
目次
1 政策理念
2 党史
2.1 社会市民連合
2.2 社会クラブ
2.3 社会民主連合
2.4 年表
3 歴代の常任役員会・執行部役員表
4 代表
4.1 歴代社会市民連合代表一覧
4.2 歴代社会クラブ代表一覧
4.3 歴代社会民主連合代表一覧
5 社会民主連合の政権ポスト
6 党勢の推移
6.1 衆議院
6.2 参議院
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
政策理念
一、 われわれは、自由、平等、博愛という市民革命の理想を現代において実現する新しい自由な社会主義社会をめざす。
一、 われわれは、この社会を自由と民主主義にのっとり漸進的改革を積み重ねて実現する。
一、 われわれは、この社会を実現するため平和主義、民主主義、社会主義の理念の下に結集する。
— われわれのめざすもの (社会民主連合結成大会,一九七八年三月二十六日)
党史
ここでは、社民連の前身となる社市連と社会クラブも含めて解説する。
社会市民連合
日本社会党の江田三郎は社会党書記長時代の1962年に、アメリカの生活水準、ソ連の社会保障、イギリスの議会制民主主義、日本の平和憲法を4つの柱とする[5]新しい社会主義像[6]「江田ビジョン」を提唱し党内左派と対立。1976年2月に野党による超党派政策研究集団「新しい日本を考える会」を結成するが、12月の総選挙で落選し、社会主義協会との確執を深めていった[5]。その後も江田三郎は社会主義協会や日本労働組合総評議会(総評)と対立を続ける一方で矢野絢也・佐々木良作らと社公民政権構想を打ち上げるなど独自の活動を続けた。
1977年2月8日、第40回社会党党大会で、共産党を排除した形での、野党協力(具体的には、社公民+新自由クラブ)による「革新・中道連合政権」構想を求める意見書を提出した。しかし、事前に「大会で江田意見書を潰す」と表明した社会主義協会などの激しい反対により否決された。大会は、江田糾弾大会の状況を呈していたという。ついに3月26日、江田は社会党を離党[5]。市川房枝の下でボランティアとして働いた経験のある菅直人、構造改革派の安東仁兵衛らと社会市民連合を結成した。当時、落選中の身だった江田三郎は同年6月の参院選に出馬の構えを見せたが、公示直前に死去。息子の江田五月が代わりとなって全国区から立候補し当選した。一方で参院地方区から立候補した9候補、参院選と同日選挙となった都議選に擁立した9候補は全員が落選する結果となった。
社会クラブ
1977年9月28日、9月26日に社会党を離脱した田英夫・秦豊・楢崎弥之助が結成。
社会民主連合
前年に結成された社市連と社会クラブ、前年の12月に社会党を離党した阿部昭吾が参加し、1978年3月26日に結成された。なお党名については、「社会市民連合」のままとする案や、「新社会党」や「社会民主党」など複数の案が出たが、結局「社会民主連合」となった。
1981年に反自民共闘を念頭に新自由クラブと院内会派である新自由クラブ・民主連合(新自連)を結成した。1983年の第13回参議院議員通常選挙では比例代表選挙に新自由クラブとの統一確認団体である新自由クラブ民主連合(自ク連)を結成、田英夫代表を名簿登載1位で擁立、当選させた。院内会派は後に解消したが、新自由クラブ解党後は田川誠一の進歩党と統一会派である進歩民主連合(進民連、会派代表は江田)を組んだ。
反自民・非共産共闘の理由から1986年の総選挙のあと、所属の衆議院議員4人が、日本社会党会派と民社党会派に2人ずつ分かれて属することで(江田、菅が社会党会派、阿部、楢崎が民社党会派)、民社党会派が日本共産党を上回り、国会運営から日本共産党の排除に成功したこともあった。選挙においても、社会、民社両党を中心に公明、新自クの候補まで幅広く推薦することで、野党共闘の足がかりになろうとした。
1992年のPKO法案では、法案推進で自公民路線への傾斜を強める公明・民社を止めることができず、社民連は連合参議院と共にPKO参加自体には賛成するも自衛隊と別組織によること(国連平和協力法案審議時における自公民合意内容)を訴えて反対し、結果的に社会党に接近する形になった。この後、社会党と単独で統一会派を組んでいる。なおこの時、社会党本部に江田三郎の遺影が掲示された。1992年の第16回参議院議員通常選挙にはサラリーマン新党の青木茂を名簿1位として西風勲、西川美紀並びに渡辺文学を比例代表選挙に擁立し、選挙区では進歩党公認の円山雅也(神奈川県選挙区)を推薦したが獲得議席ゼロであった。
党の第一の目標であった政権交代は、1993年の細川連立内閣の成立で実現し、衆議院4議席ながら閣僚も輩出した。1994年1月、社会党との統一会派を解消、日本新党との統一会派になった(ただし楢崎弥之助は社民連党籍のまま社会党会派に残った)。
1994年5月に社会民主連合は解散した。江田五月と阿部昭吾は日本新党を経て新進党に参加。菅直人は新党さきがけを経て旧民主党に参加。楢崎弥之助は社会党会派無所属を経て同年12月に自由連合に参加。田英夫は同年1月に日本社会党脱党者との無所属会派護憲リベラルの会を経て同年9月に新党護憲リベラル(その後平和・市民に改称)に参加した。
年表
1977年
3月26日 - 江田三郎が社会党を離党し、社会市民連合を結成。
9月28日 - 社会党を離党した田英夫・秦豊・楢崎弥之助が社会クラブを結成。
1978年
3月26日 - 社会市民連合、社会クラブが合流し、社会民主連合を結成。
- 1981年
- 9月21日 - 新自由クラブと院内会派新自由クラブ・民主連合(新自連)を結成
1982年
- 11月30日 - 第13回参議院議員通常選挙に新自由クラブとの統一確認団体で臨むために新自由クラブと交渉を始めた田に反発し、秦が離党。
1983年
- 7月9日 - 第13回参議院議員通常選挙で新自由クラブとの統一確認団体「新自由クラブ民主連合(自ク連)」で比例代表選挙に臨む。
- 9月6日 - 新自由クラブとの院内会派を解消。ただし参議院は新政クラブとして、新自由クラブや税金党との院内会派を存続した
1990年
進歩党と院内会派「進歩民主連合」を結成。
1992年
- 7月9日 - 日本社会党と院内会派「日本社会党・護憲民主連合」を結成
1993年
- 8月9日 - 細川連立内閣で与党入り。
1994年
5月22日 - 社会民主連合解散。
歴代の常任役員会・執行部役員表
社会市民連合
代表 | |||||
---|---|---|---|---|---|
江田三郎 | |||||
代表委員 | 副代表委員 | 事務局長 | |||
大柴滋夫、江田五月、菅直人 | 西風勲、安東仁兵衛 | 大柴滋夫 |
社会クラブ
代表 |
---|
田英夫 |
社会民主連合
代表 | 副代表 | 書記長 | 政策委員長 | 国会対策委員長 | 参議院議員会長 |
---|---|---|---|---|---|
田英夫 | 江田五月 | 楢崎弥之助 | 安東仁兵衛 | 阿部昭吾 | 田英夫 |
〃 | 大柴滋夫 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
江田五月 | 安藤仁兵衛 | 〃 | 菅直人 | 〃 | 〃 |
〃 | 楢崎弥之助 | 阿部昭吾 | 〃 | 〃 | 〃 |
代表
歴代社会市民連合代表一覧
代 | 代表 | 在任期間 | |
---|---|---|---|
1 | 江田三郎 | 1977年(昭和52年)3月 - 1977年(昭和52年)5月 | |
2 | 大柴滋夫 | 1977年(昭和52年)5月 - 1978年(昭和53年)3月 | |
江田五月 | |||
菅直人 |
歴代社会クラブ代表一覧
代 | 代表 | 在任期間 | |
---|---|---|---|
1 | 田英夫 | 1977年(昭和52年)9月 - 1978年(昭和53年)3月 |
歴代社会民主連合代表一覧
代 | 代表 | 在任期間 | |
---|---|---|---|
1 | 田英夫 | 1978年(昭和53年)3月 - 1985年(昭和60年)2月 | |
2 | 江田五月 | 1985年(昭和60年)2月 - 1994年(平成6年)5月 |
社会民主連合の政権ポスト
()内の党内ポストは、入閣直前のポスト
1993年8月6日・細川内閣
- (国務大臣)
科学技術庁長官・江田五月(常任役員会代表)
党勢の推移
衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結党時) | 0/- | 511 | 社会市民連合、第34回総選挙前には2 |
第35回総選挙 | ○2/7 | 511 | |
第36回総選挙 | ○3/5 | 511 | |
第37回総選挙 | ○3/4 | 511 | |
第38回総選挙 | ○4/5 | 512 | |
第39回総選挙 | ○4/6 | 512 | |
第40回総選挙 | ○4/4 | 511 |
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(結党時) | 0/- | - | 252 | 社会市民連合 |
第11回通常選挙 | ○1/10 | 0 | 252 | 同上 |
第12回通常選挙 | ●0/1 | 1 | 252 | 繰り上げ当選+1 |
第13回通常選挙 | ●2/10 | 1 | 252 | 新自由クラブと合同名簿、追加公認+1 |
第14回通常選挙 | ●-/0 | 1 | 252 | |
第15回通常選挙 | ●-/0 | 0 | 252 | |
第16回通常選挙 | ●0/10 | 1 | 252 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
脚注
^ 日本大百科全書(ニッポニカ) 2018年4月21日閲覧
- ^ abcd社民連十年史 社民連 われわれのめざすもの
- ^ abcブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
^ デジタル大辞泉
- ^ abc宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・クロニック)』 講談社、1991年、1159頁。ISBN 4-06-203994-X。
^ 世界大百科事典 コトバンク. 2018年8月9日閲覧。
関連項目
- 日本の政党一覧
- 生活者ネット
- 代理人運動
市民バンク:代表片岡勝は副書記長・東京都連書記長を務めた
国のかたち研究会(立憲民主党内のグループ)
外部リンク
- 社民連十年史 ――草の根のロマン――