海上郡
海上郡(かいじょうぐん)は、千葉県(下総国)にあった郡。
目次
1 郡域
2 歴史
2.1 近世以降の沿革
2.2 町村制以降の沿革
2.3 変遷表
3 行政
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね以下の区域にあたる。
銚子市の大部分(富川町、森戸町以北を除く)
旭市の大部分(秋田、萬力、米込、入野、関戸、萬歳以北および井戸野・川口・泉川・駒込・大塚原・鎌数・新町を除く)
匝瑳郡と合わせた地域が海匝と呼ばれ、香取郡も合わせ香取海匝と呼ばれる場合がある。
歴史
もとは「うなかみ」郡と読んだが、上総国の海上郡(上海上郡)と区別して下海上郡とも称された。後に「かいじょう」郡という読みが行われるようになり、戦後は「かいじょう」郡が公式の読み方とされた。
下海上国造の領域を中心に編成された。下海上国造の領域は匝瑳郡、香取郡および鹿島郡の一部も含んでいたが、物部小事の坂東を征した功により匝瑳郡が建郡され、香取神宮と鹿島神宮の神郡として香取郡、鹿島郡が建郡され条里を割かれたとされる。なお、下海上国造の後裔を称する他田日奉神護が正倉院文書に遺した「他田日奉部直神護解[1]」には、神護の祖父忍が孝徳期に海上郡少領であったことが書かれており、建郡(立評)に同意したことが伺える。また、当郡出身の他田日奉得大理は『万葉集』巻二十 防人歌に「暁の かはたれ時に 島蔭を 漕ぎ去し船の たづき知らずも」と詠んでいる[2]。『続日本紀』延暦4年(785年)正月27日条では、大領の他田日奉徳刀自に外従五位下の位階が授けられ、『日本三代実録』仁和元年(885年)閏3月19日の条によれば、他田日奉春岳が、百姓の調庸を代納した功績により外従五位下を授けられている。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での当郡域の支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地が存在。(70村)
幕末の知行
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
天領 | 旗本領[3] | 25村 | 神宮寺村、仁玉村、中谷里村、●成田村、野中村、東足洗村、西足洗村、江ヶ崎村、幾世村、松ヶ谷村、岩井村、倉橋村、●猿田村、権田沼新田、下永井村、八木村、小浜村、高野村、三門村、船木台村、塚本村、高田村、●柴崎村、松岸村、○松本村 |
与力給知 | 3村 | 足川村、岩崎村、上永井村 | |
幕府領・旗本領 | 9村 | 三川村、横根村、常世田村、親田村、赤塚村、中島村、正明寺村、芦崎村、余山村 | |
幕府領・旗本領・与力給知 | 1村 | 塙村 | |
幕府領・与力給知 | 4村 | 萩園村、平松村、行内村、三宅村 | |
旗本領・与力給知 | 3村 | 十日市場村、椎名内村、飯岡村 | |
藩領 | 上野高崎藩 | 13村 | 岡野台村、●小船木村、●野尻村、垣根村、長塚村、本城村、●今宮村、荒野村、新生村、●飯沼村、高神村、小川戸村、三崎村 |
上野安中藩 | 2村 | 琴田村、清滝村 | |
下総佐倉藩 | 1村 | 長尾村 | |
下総小見川藩 | 1村 | 忍村 | |
天領・藩領 | 幕府領・高崎藩 | 2村 | 蛇園村、○四日市場村 |
幕府領・旗本領・高崎藩 | 2村 | 後草村、見広村 | |
幕府領・旗本領・下総生実藩 | 1村 | ○網戸村 | |
旗本領・安中藩 | 2村 | 高生村、辺田村 | |
旗本領・佐倉藩 | 1村 | 大間手村 |
慶応4年7月2日(1868年8月19日) - 天領が安房上総知県事の管轄となる。- 明治2年2月9日(1869年3月21日) - 安房上総知県事の管轄地域が宮谷県の管轄となる。
- 明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が佐倉県、小見川県、生実県、高崎県、安中県の管轄となる。
10月28日(1871年12月10日) - 第1次府県統合により、高崎県・安中県の管轄区域が群馬県の管轄となる。
11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が新治県の管轄となる。
- 明治8年(1875年)5月7日 - 第2次府県統合により千葉県の管轄となる。
- 明治11年(1878年)11月2日 - 郡区町村編制法の千葉県での施行により、行政区画としての海上郡が発足。「海上匝瑳郡役所」が銚子町に設置され、匝瑳郡とともに管轄。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行に伴い、以下の町村が発足。(4町14村)
高神村(単独村制。現・銚子市)
本銚子町(飯沼村が改称のうえ単独村制。現・銚子市)
銚子町 ← 荒野村[突入地を除く]、新生村、今宮村(現・銚子市)
豊浦村 ← 小川戸村、辺田村、三崎村、荒野村[突入地](現・銚子市)
伊豆原村 ← 松本村、本城村、長塚村(現・銚子市)
海上村 ← 松岸村、垣根村、柴崎村、高野村、四日市場村、三宅村、赤塚村、余山村(現・銚子市)
船木村 ← 高田村、芦崎村、岡野台村、船木台村、三門村、中島村、正明寺村、九ヶ村新田[4]、白石鶏沢新田[5](現・銚子市)
椎芝村 ← 野尻村、小船木村、塚本村、忍村、猿田村(現・銚子市)
鶴巻村 ← 倉橋村、見広村、大間手村、蛇園村、長尾村(現・旭市)
滝郷村 ← 清滝村、幾世村、岩井村、松ヶ谷村(現・旭市)
嚶鳴村 ← 琴田村、江ヶ崎村、後草村、高生村(現・旭市)
旭町 ← 成田村、十日市場村、網戸村、匝瑳郡太田村(現・旭市)
富浦村 ← 中谷里村、仁玉村、神宮寺村(現・旭市)
浦賀村 ← 椎名内村、野中村、西足洗村、東足洗村(現・旭市)
足川村(単独村制。現・旭市)
三川村 ← 三川村、権田沼新田(現・旭市)
飯岡町 ← 飯岡村、下永井村、上永井村、横根村、萩園村、行内村、平松村、岩崎村(現・旭市)
豊岡村 ← 八木村、小浜村、親田村、常世田村(現・銚子市)、塙村(現・旭市)
- 明治24年(1891年)
1月26日 - 椎芝村が改称して椎柴村となる。
8月14日 - 伊豆原村が町制施行・改称して西銚子町となる。(5町13村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
大正3年(1914年)12月12日 - 浦賀村・足川村が合併し、改めて浦賀村が発足。(5町12村)- 大正4年(1915年)9月12日 - 浦賀村が改称して矢指村となる。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
昭和8年(1933年)2月11日 - 銚子町・本銚子町・西銚子町・豊浦村が合併して銚子市が発足し、郡より離脱。(2町11村)- 昭和12年(1937年)2月11日 - 高神村・海上村が銚子市に編入。(2町9村)
- 昭和17年(1942年)7月1日 - 「海匝地方事務所」が旭町に設置され、匝瑳郡とともに管轄。
- 昭和29年(1954年)
- 2月11日 - 旭町・富浦村・矢指村が合併し、改めて旭町が発足。(2町7村)
3月31日(3町3村)
- 鶴巻村・滝郷村・嚶鳴村が合併して海上町が発足。
- 飯岡町・三川村、豊岡村の一部(塙)が合併し、改めて飯岡町が発足。
- 4月1日 - 船木村・椎柴村が銚子市に編入。(3町1村)
6月1日 - 旭町が匝瑳郡豊畑村・共和村を編入。
7月1日 - 旭町が市制施行して旭市となり、郡より離脱。(2町1村)
- 昭和31年(1956年)7月1日 - 豊岡村が銚子市に編入。(2町)
平成17年(2005年)7月1日 - 飯岡町・海上町が旭市・香取郡干潟町に合併し、改めて旭市が発足。同日海上郡消滅。
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |||
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| 銚子町 | 銚子町 | 昭和8年2月11日 銚子市 | 銚子市 | 銚子市 | 銚子市 | 銚子市 | |||
本銚子町 | 本銚子町 | |||||||||
伊豆原村 | 明治24年8月14日 西銚子町に町制改称 | |||||||||
豊浦村 | 豊浦村 | |||||||||
海上村 | 海上村 | 昭和12年2月11日 銚子市に編入 | ||||||||
高神村 | 高神村 | |||||||||
椎芝村 | 明治24年1月26日 椎柴村に改称 | 椎柴村 | 昭和29年4月1日 銚子市に編入 | |||||||
船木村 | 船木村 | 船木村 | ||||||||
豊岡村 | 豊岡村 | 豊岡村 | 豊岡村 | 昭和31年7月1日 銚子市に編入 | ||||||
昭和29年3月31日 飯岡町に編入 | 飯岡町 | 平成17年7月1日 旭市 | 旭市 | |||||||
飯岡町 | 飯岡町 | 飯岡町 | 昭和29年3月31日 飯岡町 | |||||||
三川村 | 三川村 | 三川村 | ||||||||
鶴巻村 | 鶴巻村 | 鶴巻村 | 昭和29年3月31日 海上町 | 海上町 | ||||||
滝郷村 | 滝郷村 | 滝郷村 | ||||||||
嚶鳴村 | 嚶鳴村 | 嚶鳴村 | ||||||||
旭町 | 旭町 | 旭町 | 昭和29年2月11日 旭町 | 旭町 | 昭和29年7月1日 市制 | 旭市 | ||||
富浦村 | 富浦村 | 富浦村 | ||||||||
足川村 | 大正3年12月12日 浦賀村 | 大正4年10月1日 矢指村に改称 | 矢指村 | |||||||
浦賀村 | ||||||||||
匝瑳郡 共和村 | 匝瑳郡 共和村 | 匝瑳郡 共和村 | 匝瑳郡 共和村 | 昭和29年6月1日 旭町に編入 | ||||||
匝瑳郡 豊畑村 | 匝瑳郡 豊畑村 | 匝瑳郡 豊畑村 | 匝瑳郡 豊畑村 |
行政
- 海上・匝瑳郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 明治11年(1878年)11月2日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
^ 大日本古文書 3-150頁 「中宮舎人海上国造他田日奉部直神護解」 - 正倉院文書データベース
^ 万葉集 巻20 防人歌 20-4384 - 万葉集検索システム(山口大学教育学部)
^ 右記のほか御屋敷野新田が記載されているが詳細不明。
^ 四日市場村・三宅村・赤塚村・余山村・芦崎村・岡野台村・三門村・中島村・正明寺村の入会地より起立。
^ 同年山林地より起立。
参考文献
角川日本地名大辞典 12 千葉県- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 消滅した郡の一覧
- 海上郡 (上総国)
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