プトレマイオス朝
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2010年3月) |
プトレマイオス朝 | |||||
Πτολεμαϊκὴ βασιλεία Ptolemaïkḕ Basileía | |||||
| |||||
| |||||
紀元前300年頃のプトレマイオス朝の領土(青) | |||||
首都 | アレクサンドリア | ||||
言語 | コイネー, エジプト語, ベルベル語派 | ||||
宗教 | セラピス[2] | ||||
政府 | 君主制 | ||||
ファラオ | |||||
• | 紀元前305年–紀元前283年 | プトレマイオス1世 (初代) | |||
• | 紀元前51年–紀元前30年 | クレオパトラ7世 (最後) | |||
歴史・時代 | 古典古代 | ||||
• | 創立 | 紀元前305年 | |||
• | 解体 | 紀元前30年 | |||
通貨 | ドラクマ | ||||
現在 | キプロス エジプト リビア トルコ イスラエル パレスチナ レバノン シリア ヨルダン |
エジプトの歴史 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
このテンプレートはエジプト関連の一部である。 | ||||||||||
エジプト先王朝 pre–3100 BCE | ||||||||||
古代エジプト | ||||||||||
エジプト初期王朝時代 3100–2686 BCE | ||||||||||
エジプト古王国 2686–2181 BCE | ||||||||||
エジプト第1中間期 2181–2055 BCE | ||||||||||
エジプト中王国 2055–1650 BCE | ||||||||||
エジプト第2中間期 1650–1550 BCE | ||||||||||
エジプト新王国 1550–1069 BCE | ||||||||||
エジプト第3中間期 1069–664 BCE | ||||||||||
エジプト末期王朝 664–332 BCE | ||||||||||
古典古代 | ||||||||||
アケメネス朝エジプト 525–332 BCE | ||||||||||
プトレマイオス朝 332–30 BCE | ||||||||||
アエギュプトゥス 30 BCE–641 CE | ||||||||||
サーサーン朝エジプト 621–629 | ||||||||||
中世 | ||||||||||
ムスリム占領期 641–969 | ||||||||||
ファーティマ朝 969–1171 | ||||||||||
アイユーブ朝 1171–1250 | ||||||||||
マムルーク朝 1250–1517 | ||||||||||
近世 | ||||||||||
オスマン占領期 1517–1867 | ||||||||||
フランス占領期 1798–1801 | ||||||||||
ムハンマド・アリー朝 1805–1882 | ||||||||||
エジプト副王領 1867–1914 | ||||||||||
近代 | ||||||||||
イギリス占領期 1882–1953 | ||||||||||
エジプト・スルタン国 1914–1922 | ||||||||||
エジプト王国 1922–1953 | ||||||||||
共和国 1953–現在 | ||||||||||
古代エジプトの王朝 |
---|
王朝誕生前のエジプト |
エジプト初期王朝 |
第1 第2 |
エジプト古王国 |
第3 第4 第5 第6 |
エジプト第1中間期 |
第7 第8 第9 第10 |
エジプト中王国 |
第11 第12 |
エジプト第2中間期 |
第13 第14 第15 第16 第17 |
エジプト新王国 |
第18 第19 第20 |
エジプト第3中間期 |
第21(並立:アメン大司祭) 第22 第23 第24 第25 第26 |
エジプト末期王朝時代 |
第27 第28 第29 第30 第31 |
グレコ・ローマン時代 |
アレクサンドロス大王 |
プトレマイオス朝 |
アエギュプトゥス |
プトレマイオス朝は、古代エジプトのヘレニズム国家の一つ(紀元前306年 - 紀元前30年)。アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)の死後、部下であったプトレマイオス(マケドニア出身のマケドニア人)が創始した。首都はアレクサンドリアに置かれた。
目次
1 概要
2 歴代プトレマイオス朝ファラオ
3 系図
4 脚注
概要
プトレマイオス朝はエジプトの伝統を取り入れて血族結婚を繰り返したとされ、200年以上エジプトを支配しながらエジプト人の血が混じらずマケドニア人の血脈を保ったとされていたが、クレオパトラ7世の妹であるアルシノエ4世とされる骨の分析の結果、マケドニア系とアフリカ系の特徴を持っていたことが分かり、マケドニア人の血脈を保っていたという定説は覆った[3]。
代々「プトレマイオス」という名前を持った王が、姉・妹・叔母・姪などにあたる「ベレニケ」「アルシノエ」「クレオパトラ」という名前を持った女王と共同統治した。しかしプトレマイオス朝は一族内での殺し合いが頻繁に行なわれ、紀元前80年に同王朝の直系が断絶し、これに介入した共和政ローマにより、紀元前30年に滅ぼされた。
歴代プトレマイオス朝ファラオ
在位年が重複している箇所はすべて複数のファラオによる共同統治である。
ファラオ | イメージ | 続柄・備考 | 在位 |
---|---|---|---|
プトレマイオス1世 | 初代。 | 前305−前285年 | |
ベレニケ1世 (女王) | プトレマイオス1世の后。 | ?−前285年 | |
プトレマイオス2世 | プトレマイオス1世とベレニケ1世の子。 | 前288−前246年 | |
アルシノエ1世 (女王) | プトレマイオス2世の最初の后。トラキア王リュシマコスの娘。 | 前284−前274年 | |
アルシノエ2世 (女王) | プトレマイオス2世の同母姉で2番目の后。 | 前277−前270年 | |
プトレマイオス3世 | プトレマイオス2世とアルシノエ1世の子。 | 前246−前222年 | |
ベレニケ2世 (女王) | プトレマイオス3世の后。キュレネ王メガスの娘で、ベレニケ1世の孫[4]。 | 前244−前222年 | |
プトレマイオス4世 | プトレマイオス3世とベレニケ2世の子。 | 前222−前204年 | |
アルシノエ3世 (女王) | プトレマイオス4世の同母姉妹で后。 | 前220−前204年 | |
プトレマイオス5世 | プトレマイオス3世とアルシノエ3世の子。 | 前204−前180年 | |
クレオパトラ1世 (女王) | プトレマイオス5世の后。シリア王アンティオコス3世の娘。 | 前193−前176年 | |
プトレマイオス6世 | プトレマイオス5世とクレオパトラ1世の子。 | 前180−前164年 | |
クレオパトラ2世 (女王) | プトレマイオス6世の同母妹で后。 | 前173−前164年 | |
プトレマイオス8世 | プトレマイオス6世及びクレオパトラ2世の同母弟。兄姉と共同統治。 | 前171−前163年 | |
プトレマイオス6世 | 復位。 | 前163−前145年 | |
クレオパトラ2世 (女王) | プトレマイオス8世の后。夫プトレマイオス6世の死後、同母弟の8世と再婚。一時、反乱軍を率いて夫8世を放逐し単独統治。 | 前163−前127年 | |
プトレマイオス7世 | プトレマイオス6世の子。8世に殺害されたとされる。 | 前145−前144年 | |
プトレマイオス8世 | プトレマイオス6世の死により復位。 | 前145−前131年 | |
クレオパトラ3世 (女王) | プトレマイオス8世の二番目の后。プトレマイオス6世とクレオパトラ2世の娘。 | 前142−前131年 | |
プトレマイオス・メンフィティス | 母クレオパトラ2世により王とされるが、まもなくプトレマイオス8世により殺される。 | 前131年 | |
プトレマイオス8世 | 復位。 | 前127−前116年 | |
クレオパトラ3世 (女王) | プトレマイオス8世とともに復位。 | 前127−前107年 | |
クレオパトラ2世 (女王) | プトレマイオス8世と復縁、プトレマイオス8世およびクレオパトラ3世と共同統治。 | 前124−前116年 | |
プトレマイオス9世 | プトレマイオス8世とクレオパトラ3世の子。 | 前116−前110年 | |
クレオパトラ4世 (女王) | プトレマイオス9世の同母姉妹で后。母クレオパトラ3世により放逐。 | 前116−前115年 | |
クレオパトラ・セレネ1世 (女王) | プトレマイオス9世の同母姉妹で二番目の后。母クレオパトラ3世により離縁。クレオパトラ5世と数える説がある。 | 前115−前107年 | |
プトレマイオス10世 | プトレマイオス9世の同母弟。母クレオパトラ3世に擁立されるが、対立し廃位。 | 前110−前109年 | |
プトレマイオス9世 | 復位。母クレオパトラ3世により廃位。 | 前109−前107年 | |
プトレマイオス10世 | 復位。母クレオパトラ3世を暗殺し、ベレニケ3世と結婚。 | 前107−前88年 | |
プトレマイオス9世 | 弟プトレマイオス10世の死により復位。 | 前88−前81年 | |
ベレニケ3世 (女王) | プトレマイオス9世とクレオパトラ・セレネ1世の娘。プトレマイオス10世の后。のちにプトレマイオス11世と強制的に結婚させられ、その19日後に殺される。 | 前81−前80年 | |
プトレマイオス11世 | プトレマイオス10世の子。ベレニケ3世殺害に怒った群衆により虐殺される。在位80日。プトレマイオス朝直系最後の王。 | 前80年 | |
プトレマイオス12世 | プトレマイオス9世の子。 | 前80−前58年 | |
クレオパトラ5世 (6世)[5] (女王) | プトレマイオス12世の姉妹で后。 | 前79−前57年 | |
クレオパトラ6世 (女王) | プトレマイオス12世の子とされるが、5世と同一人物との説がある。 | ?−前57年 | |
ベレニケ4世 (女王) | プトレマイオス12世とクレオパトラ5世 (6世) の娘。父の国外追放後、母と共同統治。 | 前58−前55年 | |
プトレマイオス12世 | 復位。娘ベレニケ4世を処刑。 | 前55−前51年 | |
クレオパトラ7世 (女王) | ベレニケ4世の妹。一般にクレオパトラとして知られる女王。 | 前51−前30年 | |
プトレマイオス13世 | クレオパトラ7世の弟で、7世と対立。 | 前51−前47年 | |
アルシノエ4世 (女王) | クレオパトラ7世の妹で、プトレマイオス13世の姉。弟13世とともに姉7世に対立。 | 前48−前47年 | |
プトレマイオス14世 | クレオパトラ7世とプトレマイオス13世の弟。 | 前47−前44年 | |
プトレマイオス15世(カエサリオン) | クレオパトラ7世とユリウス・カエサルの子。3歳のときクレオパトラ7世が共同統治者に指名。プトレマイオス朝最後の王。 | 前44−前30 |
系図
マケドニア将軍 アンティパトロス | マケドニア貴族 ラグス (en) | アルシノエ (en) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エウリュディケー (en) | 1 プトレマイオス1世 (在位 前305年 - 前285年) | 2 ベレニケ1世 (en) (? - 前285年) | フィリッポス マケドニア貴族 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トラキア王 リュシマコス | 5 アルシノエ2世 (en) (前277年 - 前270年) | キュレネ王 マガス (en) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
4 アルシノエ1世 (en) (前284年 - 前274年) | 3 プトレマイオス2世 (前288年 - 前246年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マケドニア王 プトレマイオス・ケラウノス (en) | マケドニア王 メレアグロス | 6 プトレマイオス3世 (前246年 - 前222年) | 7 ベレニケ2世 (前244年 - 前222年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シリア王 アンティオコス3世 | 9 アルシノエ3世 (前220年 - 前204年) | 8 プトレマイオス4世 (前222年 - 前204年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
11クレオパトラ1世 (前193年 - 前176年) | 10 プトレマイオス5世 (前204年 - 前180年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13/16/23 クレオパトラ2世 (前173年 - 前164年、前163年 - 前127年、前124年 - 前116年) | 12/15 プトレマイオス6世 (en) (前180年 - 前164年、前163年 - 前145年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
14/18/21 プトレマイオス8世 (en) (前171年 - 前163年、前145年 - 前131年、前145年 - 前131年) | 20 プトレマイオス・メンフィティス (前131年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
19/22 クレオパトラ3世 (前142年 - 前131年、前142年 - 前131年) | 17 プトレマイオス7世 (en) (前145年 - 前144年) | クレオパトラ・テア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
25 クレオパトラ4世 (前116年 - 前115年) | 24/28/30 プトレマイオス9世 (前116年 - 前110年、前109年 - 前107年、前88年 - 前81年) | 26 クレオパトラ・セレネ (クレオパトラ5世説あり、前115年 - 前107年) | 27/29 プトレマイオス10世 (前110年 - 前109年、前107年 - 前88年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
33/37 プトレマイオス12世 (前80年 - 前58年、前55年 - 前51年) | 34 クレオパトラ5(6)世※ (前79年 - 前57年) | 31 ベレニケ3世 (前81年 - 前80年) | 32 プトレマイオス11世 (前80年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
36ベレニケ4世 (前58年 - 前55年) | 35 クレオパトラ6世 (※と同一人物説あり、?年 - 前57年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
40 アルシノエ4世 (前48年 - 前47年) | 39 プトレマイオス13世 (前51年 - 前47年) | 41 プトレマイオス14世 (en) (前47年 - 前44年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
38 クレオパトラ7世 (前51年 - 前30年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ローマ独裁官 ユリウス・カエサル | ローマ軍人 マルクス・アントニウス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
42 プトレマイオス15世 (カエサリオン、前44年 - 前30年) | アレクサンドロス・ヘリオス (en) | クレオパトラ・セレネ | プトレマイオス・フィラデルフォス (en) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
^ Buraselis, Stefanou and Thompson ed; The Ptolemies, the Sea and the Nile: Studies in Waterborne Power.
^ North Africa in the Hellenistic and Roman Periods, 323 BC to AD 305, R.C.C. Law, The Cambridge History of Africa, Vol. 2 ed. J. D. Fage, Roland Anthony Oliver, (Cambridge University Press, 1979), 154.
^ 2009年8月2日に放送されたNHKスペシャル「シリーズ・エジプト発掘 第3集『クレオパトラ 妹の墓が語る悲劇』」で取り上げられた
^ 父メガスはベレニケ1世の前夫の子。
^ クレオパトラ・セレネ1世をクレオパトラ5世として数えた場合、6世となる。