総構え
総構え(そうがまえ)は、城や砦の外郭(がいかく)、またはその囲まれた内部のこと。特に、城のほか城下町一帯も含めて外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ、日本の城郭構造をいう。惣構(そうがまえ)、総曲輪(そうぐるわ)、総郭(そうぐるわ)ともいう。
目次
1 概要
2 最古の遺構
3 主な総構えの城
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク
概要
日本では異民族の侵入が少なかったことや山地が国土の大半を占めることなどから、大陸に見られるような城壁都市は一部を除いて発展せず、野戦用の防御施設として作られた「柵」や武士の居館を堀や櫓で防備した「館(やかた、たて、たち)」が、中世には山城へと発展した。
近世にいたり、城郭が単なる軍事拠点のみならず政治的統治拠点としての役割を持つようになると、城下町や家臣団防備の目的で従来の城の機能的構成部分(内郭)から、さらにもう一重外側に防御線が設けられるようになった。これが総構えである。普通、「城」という場合は、内郭のみを指し、外郭である総構えは天然の地勢(山・河川)をも含むため、どこまでをいうのか不明瞭なものもあった。また総構えの堀は総堀(惣堀)と言うが、外堀と言われることも多い。ただし単に外堀と言った場合は、総構え堀を指す場合と本城の外側の堀を指す場合とがある。
後北条氏の拠点、小田原城の総構えは2里半(約9km)に及ぶ空堀と土塁で城下町全体を囲む長大なものであった。大坂城の外郭も周囲2里の長さで、冬の陣では外郭南門の外側に出丸が造られ(真田丸)、徳川方は外郭内に1歩も侵入できなかったという。また江戸時代の江戸城外郭は最大で、堀・石垣・塀が渦状に配されて江戸市街の全てを囲んでいた。
総構えの典型は、中国の城や中世欧州の都市のように、都市全域を囲む堀と塁(城壁)にみることができる。中世都市の堺は三方を深さ3m、幅10m程の濠で囲み、木戸を設けて防御に備えていた。今でも遺構を見ることが出来る京都の「御土居」も典型的な総構えであり総延長は5里26町余(22.4km)にも及んだ。
京都市北区大宮土居町の御土居堀
姫路城総構えと街道沿いの町割り。文化3年(1806年)。
郡山城総構え
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
福岡城の曲輪分界図
最古の遺構
現在判明している総構えの最古の遺構は、兵庫県伊丹市にある有岡城(伊丹城)趾で、国指定の史跡[1]となっている[2]。有岡城は、南北朝時代に伊丹氏により築城され伊丹城と称したが、天正年間に荒木村重により改修され総構えとなり有岡城と改称した。しかし10年ほどで廃城となっている。
尚、文明15年(1483年)に築城が始まった山科本願寺も巨大な土塁と水堀を用いて寺社町を囲う壮大な総構えを有しており、これを最古とする説もある。
文禄年間に伊丹の姿を描いた絵図
現代の伊丹市の地図における総構えの範囲
主な総構えの城
- 江戸城
- 小田原城
- 西尾城
- 大坂城
有岡城 (伊丹城)- 姫路城
- 郡山城
- 若松城
- 岡山城
- 広島城
- 彦根城
- 福岡城
- 大分城
- 小倉城
- 佐伯城
- 田中城
- 桑名城
- 長浜城
- 岩槻城
- 土浦城
- 岐阜城
- 清洲城
- 甲府城
- 金沢城
- 犬山城
- 伏見城
- 亀山城
- 柳川城
- 水戸城
- 福山城
- 萩城
- 倉賀野城
- 白井城
- 宿阿内城
- 平井城
- 明石城
- 三次城
- 館林城
- 盛岡城
- 岸和田城
- 久保田城
- 米沢城
- 長岡城
- 松江城
- 高知城
関連項目
- 城郭都市
- 環濠都市
- 環濠集落
- 曲輪
- 外濠 (東京都)
脚注
^ 1979年12月指定。『図説 中世城郭事典 三』p.36
^ 『夢路を追って~官兵衛と村重~摂津⇔姫路』神戸新聞 2014.05.02 朝刊 20頁 西播
外部リンク
- 豊臣秀吉の大坂城
- 彦根城・天保7年(1836)に作られた「御城下惣絵図」6幅の合成
- 勢州桑名城之図
- 正保城絵図(国立公文書館 Digital Gallery)
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