ジョセフ・エストラーダ
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ホセ・マルセーロ・エヘルシト (ジョセフ・エストラーダ) José Marcelo Ejército (Joseph Estrada) | |
フィリピン共和国 第13代大統領 | |
任期 | 1998年6月30日 – 2001年1月20日 |
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出生 | (1937-04-19) 1937年4月19日(81歳) マニラ |
配偶者 | ルイサ・エストラーダ |
ジョセフ・エストラーダ(Joseph Estrada、 1937年4月19日 - )は、フィリピンの政治家、俳優。マニラ市長。元フィリピン大統領 。愛称のErap(エラップ)は「兄弟」と言うタガログ語 Pare の綴りをさかさまにしたもの。
来歴
マニラでも貧しい地区トンドで生まれるが、彼の家庭は中流階級であった。アテネオ・デ・マニラ大学を退学になり、マプア工科大学に入学するが俳優になるために中退。100以上の映画に出演。
元俳優の大統領という経歴は、アメリカ合衆国のロナルド・レーガンと共通している。妻はフィリピン上院議員のルイサ・エストラーダ。
1998年のフィリピン大統領選挙において約40%の得票率を得て当選。経済を活性化させるために特定の富裕層向けの優遇政策を打ち出すが、通貨ペソの下落を招くなど、芳しい結果は得られなかった[1]。
13という数字は、キリスト教において不吉な数字であったため、自身のことを「戦後(第二次世界大戦を指す)9番目の大統領」と名乗っていたが、不正蓄財疑惑により、フィリピン議会から弾劾の訴追を受け、皮肉にも2000年11月13日に弾劾動議が成立、6年の大統領任期を大半を残して、退陣を余儀なくされた。
この一連の出来事を、1985年に起きた「エドゥサ革命(英語: Peaple Power Revolution)の続きとして「ピープルパワー2(英語: People Power Two)」と言われている。その後、不正蓄財で逮捕されるも、2007年恩赦を受ける。
2010年の大統領選挙に立候補し、25%以上の票を獲得するも第二位で落選。
2013年のマニラ市長選挙に出馬し、現職を破り当選[2]。
エストラーダはアメリカの女優クレア・デインズのフィリピンに対する侮辱発言で大激怒し、デインズに対して永久入国禁止令を出した。
脚注
^ “フィリピン動向分析レポート(2000年フィリピン)- エストラーダ政権崩壊の過程”. JETRO (JETRO). (2000年). http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/2000/205/2000205TPC.html 2014年3月21日閲覧。
^ http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013051400726
外部リンク
- Joseph Estrada Blog
- Official Website of Joseph Ejercito Estrada
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