ラトビア










ラトビア共和国

Latvijas Republika











ラトビアの国旗 ラトビア共和国国章
(国旗) (国章)


国の標語:Tēvzemei un Brīvībai
(ラトビア語:祖国と自由のために)


国歌:Dievs, svētī Latviju!(ラトビア語)
ラトビアに幸いあれ!


ラトビアの位置









































公用語

ラトビア語

首都

リガ
最大の都市
リガ

政府












大統領

ライモンツ・ヴェーヨニス

首相

アルトゥールス・カリンズ(英語版)


面積











総計

64,589km2(121位)
水面積率
1.5%


人口











総計(2013年)

2,014,000人(138位)

人口密度
36人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2017年) 269億[1]ユーロ


GDP (MER)





合計(2017年) 303億[1]ドル(101位)


GDP (PPP)











合計(2017年)
540億[1]ドル(107位)
1人あたり 27,702[1]ドル



独立
 - 日付

ロシア帝国から
1918年11月18日
ソビエト連邦から
1990年5月4日

通貨

ユーロ (EUR)

時間帯

UTC (+2)(DST:(+3))

ISO 3166-1
LV / LVA

ccTLD

.lv

国際電話番号
371



ラトビア共和国(ラトビアきょうわこく、ラトビア語: Latvijas Republika)、通称ラトビアは、冷戦時代に旧ソ連に属した北ヨーロッパの共和制国家(1990年に独立)。EU、NATO、OECDの加盟国。通貨はユーロ、人口は201.5万人、首都はリガである。




目次






  • 1 概要


  • 2 国名


  • 3 地理


  • 4 交通


  • 5 通信


  • 6 地方行政区分


  • 7 国民


    • 7.1 民族


    • 7.2 言語


    • 7.3 宗教


    • 7.4 非国籍者問題とロシア語




  • 8 歴史


  • 9 政治


  • 10 経済


  • 11 軍事


  • 12 文化


    • 12.1 食文化


    • 12.2 文学


    • 12.3 音楽


    • 12.4 スポーツ


    • 12.5 世界遺産


    • 12.6 祝祭日




  • 13 参考文献


  • 14 脚注


  • 15 関連項目


  • 16 外部リンク





概要


バルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の一つで、西はバルト海に面する。北はエストニア、南はリトアニア、東はロシア、南東はベラルーシと国境を接する。面積は九州本島の1.76倍[2]。国連の分類では北ヨーロッパの国である[3]。首都のリガは港湾都市で、バルト海クルーズの主な寄港地の一つでもある。


公用語はラトビア語である。国民の約27%がロシア系住民で、映画・テレビ・新聞・雑誌などではロシア語も広く利用される。また、世代によっては英語またはドイツ語も話すことができる。このマルチリンガルな国の特色は外国企業の進出の要因にもなっている。


第一次世界大戦後の1918年にロシア帝国より独立、第二次世界大戦中の1940年にソビエト連邦に占領された。翌1941年独ソ戦でドイツが占領、大戦末期1944年ソビエト連邦が再占領し併合。1991年に同連邦から独立を回復、2004年にEUとNATOに、2016年にOECDに加盟した。



国名


正式名称はラトビア語で、Latvijas Republika。通称、Latvija [ˈlatvija]


公式の英語表記は、Republic of Latvia。通称、Latvia


日本語の表記は、ラトビア共和国。通称、ラトビア


国名の「ラトビア」は、バルト人の一派であるラトガレ人 (Latgaliansに由来する。



地理




ラトビアの地図



Kuldyga. ventos krioklys, 2006-09-22.jpg


国土は北緯55~58度、東経21~25度。東西450km、南北210kmに及ぶ。リガ湾がバルト海に面し、その沖合にエストニアのサーレマー島がある。ダウガヴァ川、ルバンス湖ほか無数の河川、湖沼が分布する。大部分が海抜100m以下の低地で森林に覆われる。最高地点はガイジンカインス山 (標高311m) 。気候は東部が大陸性、西部が海洋性で四季がはっきりしている。夏は6~8月、平均気温19度C、最高35度Cの時も。冬は12~3月で降雪あり、平均気温ー6度C、最低ー30度Cの時も。
主な都市は:




  • イェルガヴァ:Jelgava (ミタウ)


  • ヴァルカ:Valka (ヴァルク)


  • ヴァルミエラ:Valmiera (ヴォルマール)


  • ヴェンツピルス:Ventspils (ヴィンダウ)


  • クルディーガ:Kuldīga (ゴールディンゲン)


  • ダウガフピルス:Daugavpils (ドヴィンスク、デューナブルク)


  • ツェーシス:Cēsis (ヴェンデン)


  • リエパーヤ:Liepāja (リーバウ)


  • リガ:Rīga (リーガ)


  • レーゼクネ:Rēzekne (ロジッテン)



交通





リガ国際空港から飛び立つエア・バルティックの旅客機


ラトビア最大のリガ国際空港は、バルト三国の中で最も航空路線・利用客数が多く、この地域でのハブ空港として機能している。最近では、夏季のみだが、リエパーヤのリエパーヤ国際空港への定期航空路の開設があり、独立回復後初の国内定期便(リガ⇔リエパーヤ)が就航したほか、数十年ぶりとなる地方空港を発着する国際定期便も就航した。2008年からは、クルゼメ地方の港湾都市ヴェンツピルスとリガを結ぶ定期便も復活した。


鉄道はラトビア国鉄が運営しており、軌間は1,520mm(広軌)である。


リガ市内の交通機関はトラム、トロリーバス、バスの3つで、距離の大小関係なく値段は共通して0.70ls。2006年までは0.20lsだった。



通信


他のバルト地域と同様、都市部ではインターネット接続環境が整備されている。特に公衆無線インターネット接続網は、リガ都心部を中心にアクセス可能地域が急速に拡大されているほか、光ファイバー網も整備され始めている。



地方行政区分




ラトビアの行政区分



ラトビアは、110の基礎自治体と9つの直轄市で構成されている。2009年7月1日の行政区画再編以前は26の地区と7つの直轄市があった。



国民



世界銀行のデータによればラトビアの人口は1989年まで右肩上がりで増え続け、最高で267万人に達したが2015年には198万人まで減少している[4]。ラトビアが欧州連合に加盟した2004年(226万人)以降、10年で1割も人口が減った計算になり、これはEU加盟をきっかけに移動の自由を手に入れた若者を中心とする国民が、西ヨーロッパ諸国へ次々と移り住み人口流出が止まらないことが一因であるとされている[5]


こうした状況にラトビア政府も危機感を強めており、2013年からは帰国した者の待遇の改善に取り組むなど、帰国を促すキャンペーンを行っている[5]



民族















































民族構成[6]

ラトビア人
  
62.1%
ロシア人
  
26.9%
ベラルーシ人
  
3.3%
ウクライナ人
  
2.2%
ポーランド人
  
2.2%
リトアニア人
  
1.2%
その他
  
2.1%


2011年現在の民族別住民構成は、ラトビア人が62.1%、ロシア人が26.9%、ベラルーシ人が3.7%、ウクライナ人が2.3%、ポーランド人が 2.4%、リトアニア人 (Lithuaniansが1.4%である。その他ラトガリア人 (Latgaliansやリヴォニア人が生活している。



言語



























言語話者(ラトビア)

ラトビア語
  
58%
ロシア語
  
38%
その他
  
4%




地域別ロシア語母語話者の割合 2000年


言語はラトビア語が国語・公用語であるが、リガなどの都市部ではロシア語系住民(ロシア人、ベラルーシ人等)が多く、ロシア語の使用率も高い。話者は少数であるものの、ラトヴィア語に近いラトガリア語及びウラル語族のリヴォニア語も法律によって権利を保障されている。
母国語話者の割合は公用語のラトビア語58.2%、ロシア語 37.5%である。ラトビア人の71%がロシア語を話すことができ、ロシア人の52%がラトビア語を話すことができる。国籍取得の条件にラトビア語習得が義務付けられているため、ロシア系住民によるラトビア語話者数が増加した。


バルト三国の中で最もロシア人の人口が多いため、ロシア語人口が多い。特に首都のリガでは人口の41.7%(2008年)はロシア人であり、人口の半数近くを占め、ラトビア人(42.3%)とほぼ同数となっている。ロシア語以外の外国語習得率も高いが世代によって話せる言語が異なり、中高年はソ連時代の外国語教育の中心であったドイツ語を、一方、青少年はイギリス等での出稼ぎ経験者も多く、英語を流暢に話せるものの割合が高い。ラトビア人の間では英語が話せてもロシア語が話せない若者が増加している。



宗教


ルーテル教会、ローマ・カトリック、正教会などである。



非国籍者問題とロシア語




地域別のロシア人・ウクライナ人・ベラルーシ人の割合 2011年


ラトビア移民帰化局によると、ラトビアの人口は約230万人であるが、ラトビア国籍保有者は約180万人、外国籍保有者が3〜4万人である。そして、残りの約45〜50万人のソ連時代から帰化せずに永住してきた移民は非国籍者(無国籍)という扱いになっている。彼らは、文字通り国籍がどの国からも付与されていないため、ソ連時代のラトビア国内で出生し一度も国外へ出たことがない場合でも、帰化しない限りラトビア国籍保有者となることができず、また、他国の国籍保有の条件を満たしているわけでもない(または、生活の便宜上そうすることを希望していない)ため、いずれの国からも国民としての扱いを受けることができない。


したがって、彼らは選挙権をはじめとするさまざまな市民権の行使ができない場面があり、人道的観点からラトビアにおける最も重大な政治問題のひとつとして解決が望まれている。この問題に対しては、ロシア(非国籍者の多くはロシア系住民)のみならず欧州の人権担当機関からも再三にわたり改善を促されているが、非ラトビア系住民のラトビア社会への帰化に危機感を持っているラトビア当局は、いまだに抜本的な解決策を示さない状況が続いている。一方で、ロシア系住民はビザ無し訪露が可能である。


こうした状況を作り上げた歴史的事実としては、1991年ラトビアがソ連から独立を回復した際、ソ連への併合(1940年)以前の国民と、その直系子孫にのみ自動的に「ラトビア」国籍の旅券が付与された。それ以外の、ソ連時代にラトビアへ移民してきたロシア語を母国語とするロシア人に付与されなかったが、ラトビアで産まれた彼らの子供には片親の要請だけで国籍が付与されている。彼らは帰化せずに永住し続けてソ連政府が発給した旅券をそのまま使用していたが、1997年から、ラトビア政府が発給する「Alien Passport(非国籍旅券)」への切り替えが義務づけられ、「非国籍者」と定義されるようになった。


ソ連時代にはロシア語の習得は義務であったが、独立後は義務ではなくなり、若い世代や地方に住むラトビア人を中心にロシア語を理解できない者も増えている。依然としてロシア語の存在は非常に大きく、映画館やテレビ放送ではラトビア語とロシア語の字幕が並列されていたり、ラトビア国内で出版・発行される新聞や雑誌であってもラトビア語版とロシア語版が存在するものも多数ある。比較すると圧倒的にロシア語版のほうが種類、量ともに豊富である。ラトビア国内で就職する場合でさえ、さほど専門性、国際性が問われない単純な職種であっても、顧客の3〜5割がロシア語話者という状況のため、ラトビア語に加えてロシア語が話せることが就職の条件となっていることも多く、普段の生活ではラトビア語しか話さないものでもロシア語を勉強する。


ラトビアに進出する外国企業も、当地におけるマルチリンガル比率の高さ(基本はラトビア語・ロシア語+他言語)を当地へ進出する上でのメリットと考えており、こうした事情もロシア語が容易に影響力を失わない要因のひとつとなっている。
このような状況はロシア本国はもとより、ロシア語圏と呼ばれる国・地方の者にとっては大変魅力的であり、観光客や新たなビジネスの獲得に大きく貢献している。また、西側資本もラトビアをEU内におけるロシアとの窓口として見る向きがあり、政治的・経済的にもラトビアはロシアの影響から抜け出すべきと考える者にとっては皮肉な現実となっている。


これらの事実は、今でもかつての占領国の母語が自国で大いに幅を利かせていると感じるラトビア系住民にとっては脅威であり、ロシア語は独立後に勝ち取ったラトビア語の地位を脅かす存在ととらえられることも少なくない。そのため、法律により、原則として公共の場所での広告や店舗の案内・メニュー等にはラトビア語の使用が義務付けられているため、ロシア語も含めラトビア語以外の言語が公共の場所で単独で使用される例を見つけることはほとんどない。この原則は教育現場においても適用されており、公立学校はもちろん、各民族学校での授業においても、6割以上はラトビア語でなければならないとされている。しかし、監督官が臨場した時にはラトビア語で授業を行い、帰れば再び多言語を使用するといった具合に器用に使い分けされており、教育現場では必ずしも徹底されていない。


2012年にはロシア語の第二公用語化の国民投票が行われ、74.8%の反対多数で否決された[7]。当然ながら非国籍者であるロシア系住人には投票権は無く、選挙権の無い非国籍者のままとすることでロシア語の公用語法案の法制化やロシア系住民の政治勢力の拡大を阻止しているともとらえることができる。


このように、ラトビア民族主義者との綱引き状態から、無国籍問題は解決せずロシア系住民との融和は進んでおらず、国が抱える大きな課題となっている。



歴史





  • 8世紀 - ヴァイキングが進出。居留地のみ。


  • 13世紀初め - このころ、リヴォニア帯剣騎士団が領有を始める。


  • 1629年 - リーフラント(スウェーデン領)とクールラント(ポーランド領)に分裂。


  • 1730年 - リーフラントとクールラントの双方が、事実上ロシア帝国の支配下に入る。


  • 1918年11月18日 - 第一次世界大戦後に独立を宣言(ラトビア第一共和国)。


  • 1940年8月5日 - ソ連に併合され、ラトビア・ソビエト社会主義共和国となる。


  • 1941年 - 第二次世界大戦(独ソ戦)により、全域がナチス・ドイツの軍政下に入る。


  • 1944年 - 大戦末期、ソ連が再占領。ラトビア・ソビエト社会主義共和国が復活。翌年ドイツ降伏。


  • 1990年5月4日 - ラトビア共和国がソ連からの法的 (de jure) 独立を宣言。


  • 1991年8月21日 - ラトビア共和国最高会議による完全独立宣言。諸外国からの国家承認がなされ、事実上の独立を達成。


  • 1991年9月6日 - ソ連がラトビア(およびエストニア、リトアニアのバルト三国)独立を承認。


  • 2004年3月29日 - 北大西洋条約機構 (NATO) に加盟。


  • 2004年5月1日 - 欧州連合 (EU) に加盟。


  • 2014年1月1日 - ユーロを導入。


  • 2016年7月1日 - OECDに加盟。



政治




国会議事堂


政体は共和制である。議会 (サエイマ Saeima) は、一院制で定員100議席、任期は4年である。大統領は、議会内での選挙で選ばれ、任期は4年である。


主な国内問題としては、国内に居住するロシア人への処遇問題がある。ソ連時代からラトビア領内に住む非ラトビア人に対しては、ラトビア国籍取得に際して軒並みラトビア語試験などを課し、民族主義的な側面が多々あり、2009年現在35万人のロシア人が無国籍である。最大のマイノリティであるロシア系市民やロシアが頻繁にこのことに関する改善を要求し、EU加盟委員会も加盟に際してこの問題の改善を促した。




2011年8月ヘルシンキで、フィンランド・スウエーデン・ノルウェー・デンマーク・アイスランド・エストニア・ラトビア・リトアニアの8カ国外相会談開催。
会談後、バルト三国独立20周年を祝うセミナーが開催された。


他方、首都のリガではロシア語生活者が半数近くを占めるなど文化としてのラトビアの存続に危機感が募る中、EU加盟後の現在でもロシアはこの問題を外交カードとして使っており、ラトビアにとっては非常に悩ましい問題である。


EU加盟後も、ロシアと国境問題が存在した。これは併合前の国境を主張していたためで(ラトビアはロシア西部プスコフ州の一部の領有権を主張)、ロシアとの国境は暫定国境になっていたが、両国の関係改善を求めるEUの働きかけもあり、最終的にはラトビア側が要求を取り下げ、2007年3月27日にロシアとの国境画定条約に調印した。



経済




首都リガ


IMFによると、ラトビアの2017年の国内総生産 (GDP) は303億ドルであり、2014年度の山梨県[8] とほぼ同じ経済規模である。同年の一人当たりのGDPは15,550ドルで、隣国リトアニアより約1,200ドル低くバルト三国では3番手に当たる[1]


ソ連時代には重工業が盛んで、ソ連域内屈指の工業地域であった。当時ソ連内を走る電車の約9割がラトビアのリガ車両製作工場製であったともと言われていた。また、電機メーカーのVEFを始め多くの工場が立地していたが、独立回復後の市場経済化の流れの中で、工業拠点の多くが軒並み放棄され、現在も廃墟のまま残るなど、ソ連時代の産業はほとんど継承されなかった。結果として、現在では国際的に競争力のある基幹産業と呼べるものは見当たらず、木材加工や金属などの産業がラトビアの産業を支えている。


ソ連崩壊以降、経済の混乱によりインフラストラクチャーの整備や開発の遅れが目立っていたが、近年になり不動産・金融・製造業等の分野に対する外国(ドイツ、スウェーデン、英国、ロシア等)からの直接投資が活発になって、EU域内で最も高い成長率を記録するなど、リガを中心に経済成長が著しかった。しかし、実体経済に基づかないバブル的な経済事情と、ずさんな審査のもとに組まれた大量の不良融資やローンは、ラトビアを2008年の全世界的な恐慌のあおりを最も酷く受けた国の一つとする結果に至った。国内第二位のパレックス銀行は多額の負債を抱えたまま1ラッツで国有化され、政府もIMFに対して緊急融資の要請をした。2009年には経済が18%も落ち込んだが、その後の政府による厳格な緊縮財政は欧州連合 (EU) から高い評価を受けた。この結果、2013年7月のEU財務相理事会でラトビアのユーロ導入が承認され[9]、翌年1月1日から旧来のラッツに代わって流通がはじまった[10]。2016年7月1日、OECDに加盟した[11]


他方で、都市部ではインフレ率が大幅な上昇傾向にあることに加え、主な投資先がリガやその周辺に集中するなど地域間の格差が拡大しており、ラトビア経済が抱える最も大きな課題のひとつとなっている。


ここ数年[いつ?]、リガは、旧市街を中心に観光業が活発化しており、外資系ホテルの参入や新規航空路線の拡充とともに観光客が増加しているものの、リガ以外では観光開発が十分でなく、観光業でも地方とリガの間の格差が広がりつつある。


世界遺産にも登録されている旧市街地を中心とする地区は、景観保護のため高層ビルの建設が認められておらず、高層ビルは少ない。市内にある高層ビルはいずれも、そうした規制のなかったソ連時代に建設されたものである。これらのビルのうち、旧市街北部にある環境省等が入居するビルは、景観回復のため取り壊しも含め議論されている。




軍事




ラトビア共和国陸軍



陸海空の三軍及び郷土防衛隊からなる国軍を有する。国軍以外の準軍事組織としては内務省の国境警備隊がある。


第二次世界大戦中は独ソ戦初期に占領され、枢軸側に多くの兵士を供出した。たとえば武装親衛隊の第15SS武装擲弾兵師団および第19SS武装擲弾兵師団はラトビア人で構成されていた。枢軸側の敗戦から1991年の再独立まではソ連領であり、1998年9月までソ連軍が駐留していた。2004年には北大西洋条約機構に加盟した。再独立後の1992年より徴兵制をしいていたが、2007年1月1日より完全志願制に移行した。



文化




Svente邸宅


イギリスの旅行案内サイトFirst Choiceは、ユーザー投票で世界一美しい国に選んだ[12]



食文化




文学




音楽



世界的ヴァイオリニストのギドン・クレーメルを生んだ国である。また、バイエルン放送交響楽団首席指揮者(2003-)のマリス・ヤンソンス、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長(2018-)のアンドリス・ネルソンスのように、ドイツの有名オーケストラで活躍する指揮者を複数輩出している。



スポーツ



古くからバスケットボールが盛んで、バスケットボール欧州選手権ではリトアニアと覇権を争った。ソ連時代ではウリャーナ・セミョーノヴァらを輩出しモントリオールオリンピック、モスクワオリンピックで女子代表は金メダルを獲得した。また、ボブスレーやリュージュなどのそり競技にも伝統的に力を入れている。



世界遺産



ラトビア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件存在する。




祝祭日























































































日付 日本語表記 ラトビア語表記 備考

01月01日
元日 Jaunais Gads
復活祭の前々日 聖金曜日 Lielā Piektdiena
移動祝日 復活祭 Pirmās Lieldienas
復活祭の翌日 復活祭月曜日 Otrās Lieldienas

05月01日
メーデー Darba svētki
1920年の憲法制定会議の招集もこの日なので、同時に祝われる。

05月04日
独立宣言の日 Neatkarības deklarācijas pasludināšanas diena
1990年のこの日に、ラトビアは、ソビエト連邦からのその独立およびラトビア共和国の独立回復を宣言した。

05月第2日曜日
母の日 Mātes diena

06月23日
リーグァの日 Līgo Diena

06月24日
聖ヨハネの日 Jāņi
11月18日 独立記念日 Latvijas Republikas proklamēšanas diena
第一ラトビア共和国の独立は1918年のこの日に宣言された。
12月25日 クリスマス Ziemassvētki
12月26日 ボクシング・デー 2. Ziemassvētki

12月31日 大晦日 Vecais Gads


参考文献






アルタ・タバカ編『リガ案内』(土曜社、2012年)



脚注


[ヘルプ]



  1. ^ abcde“World Economic Outlook Database, October 2018” (英語). IMF (2018年10月). 2018年12月13日閲覧。


  2. ^ ラトビア面積64,589km²、九州本島面積36,749.82km² (九州面積42,194.75km²から屋久島・種子島・奄美大島・五島列島など離島除く)。


  3. ^ 国際連合統計局の分類より。地図 および次の「Northern Europe」参照 [1] 2011年2月17日. 2011年4月2日閲覧。
    日本の外務省欧州局は西欧課が担当する。外務省欧州局 2011年4月2日閲覧。



  4. ^ “Population, total”. 世界銀行. 2016年9月18日閲覧。

  5. ^ ab“ラトビア「帰ってきて」訴え…EU加盟後、国民流出”. 毎日新聞. (2016年9月18日). http://mainichi.jp/articles/20160918/k00/00m/030/091000c 2016年9月18日閲覧。 


  6. ^ Veģis, Pēteris. “On key provisional results of Population and Housing Census 2011”. Population and Housing Census 2011. Social Statistics Department of Latvia. 2012年1月19日閲覧。


  7. ^ 2012. gada 18. februāra tautas nobalsošana par likumprojekta "Grozījumi Latvijas Republikas Satversmē" pieņemšanu Rezultāti


  8. ^ 内閣府. “ホーム > 統計情報・調査結果 > 国民経済計算(GDP統計) > 統計データ > 統計表(県民経済計算) > 県民経済計算(平成18年度 - 平成27年度)(2008SNA、平成23年基準計数)> 統計表 > 1. 総括表 > 県内総生産(生産側、名目)※支出側も同じ(Excel形式:71KB)”. 2018年12月13日閲覧。


  9. ^ “EU、ラトビアのユーロ導入を正式承認 18カ国体制に”. 日本経済新聞. (2013年7月9日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM09050_Z00C13A7FF1000/ 2014年1月6日閲覧。 


  10. ^ “ラトビアがユーロ導入、18カ国目”. ロイター. (2014年1月2日). http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA0102D20140102 2014年1月6日閲覧。 


  11. ^ “ラトビアの正式加盟 : OECD 日本政府代表部” (日本語). www.oecd.emb-japan.go.jp. 2018年7月4日閲覧。


  12. ^ “「世界一美しい国」ラトビアが圧倒的”. (2013年10月12日). http://www.huffingtonpost.jp/2013/10/11/worlds-most-beautiful-cou_n_4083274.html 2014年11月25日閲覧。 




関連項目



  • ラトビア関係記事の一覧

  • ラトビア人の一覧


  • リヴォニア(リボニア、リーフラント)

  • ラトビアの歴史

  • クールラント

  • リヴォニア帯剣騎士団

  • ドイツ騎士団


  • ドイツ植民(東方植民)


  • プロイセン(プロシア)

  • ハンザ同盟

  • バルト海


  • バルト帝国、スウェーデン


  • バルト三国、エストニア、リトアニア

  • バルト海諸国理事会

  • 独ソ戦

  • ロシア


  • シェンゲン圏、シェンゲン協定

  • ソ連崩壊

  • バルト海クルーズ



外部リンク







  • 政府


    • ラトビア共和国内閣府 (ラトビア語)(英語)


    • ラトビア共和国議会 (ラトビア語)(英語)



  • 日本政府


    • 日本外務省 - ラトビア (日本語)


    • 在ラトビア日本国大使館 (日本語)(ラトビア語)(英語)




  • ラトビア政府観光局 (日本語)(ラトビア語)(英語)

  • 地理

    • Names of Towns

    • CIZOJAZYČNÉ VARIANTY NÁZVU V POBALTSKÝCH ZEMÍCH

    • Jewish Holdings - Latvian Historical Archives

    • History of Latvia and Courland

    • Latvia - Jewish Web Index















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