ズバリ!当てましょう
ナショナル プライスクイズ ズバリ!当てましょう | |
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ジャンル | クイズ番組 |
出演者 | 泉大助 鈴木ヒロミツ 辺見マリ 出門英 石坂浩二 酒井ゆきえ ほか |
オープニング | 「ズバリ!当てましょうのテーマ」 (キューティQ) |
製作 | |
プロデューサー | 高田明侑 |
制作 | フジテレビ |
放送 | |
音声形式 | 1979年4月7日放送分まではモノラル、同年4月14日以降はステレオ。 |
放送国・地域 | 日本 |
第1期 | |
放送期間 | 1961年8月5日 - 1972年2月12日 |
放送時間 | 土曜 21:00 - 21:30 (初期は21:15 - 21:45) |
回数 | 550 |
第2期 | |
放送期間 | 1975年10月4日 - 1982年3月27日 |
放送時間 | 土曜 19:00 - 19:30 |
回数 | 315 |
特記事項: 全放送回数:865回。1967年2月11日及び2月25日以降はカラー放送。 | |
『ズバリ!当てましょう』(ズバリあてましょう)は、1961年8月5日から1972年2月12日まで(第1期)と1975年10月4日から1982年3月27日まで(第2期)フジテレビ系列局ほかで放送されていた視聴者参加型クイズ番組である。正式名称は『ナショナルプライスクイズ ズバリ!当てましょう』(後に『プロ・アマ対抗 ズバリ!当てましょう』→『Nationalファミリークイズ ズバリ!当てましょう』となった)。松下電器産業(現社名:パナソニック)提供。
目次
1 概要
2 2チーム対抗戦時代
3 テーマ曲
4 タイトルロゴ
5 放送時間
6 出演者
6.1 司会
6.2 アシスタント・ホステス
6.3 レギュラー回答者
7 ネット局
8 備考
9 脚注
概要
提示されたものの値段をノーヒントでズバリ当てることが課題である。ズバリ一発で当てると「ズバリ賞」として当時で100万円相当のナショナルの電化製品一式が賞品としてもらえた。放送開始当時はいわゆる家電ブームの真っ直中であり、当時の給与水準、物価から考えると破格の商品、いわゆる「高嶺の花」であった。また、正解でなくても、「内輪で一番近い方は?!」とみなされた解答者には問題となった品物がプレゼントされる[1]。そして、最終的にトップ賞になると、ナショナルの電化製品一品(ズバリ賞で出される賞品の中から好きなものを一品選べる)がプレゼントされる。また第1期末期(1970年前後)にはトップ賞の出場者は翌週も出場し、3週連続トップになるとナショナル製品一品の他に「世界一周旅行」が贈られたが、1971年10月に公正取引委員会の規則改正で「賞金・賞品の上限は100万円まで」となったため、同年9月限りでこのルールは廃止された。スタジオに展示されていたナショナルの電化製品一式には白物家電(冷蔵庫、掃除機、電子レンジ、トースター、洗濯機、アイロン、照明スタンドなど)、テレビ(家具調タイプとパーソナルタイプの2種類)やオーディオ(ステレオコンポ、ラジカセ)などのAV機器、自転車が置かれていた。
「内輪で一番近い方は!?」というフレーズのきっかけともなった番組で、これは当時の流行語にもなっている。
オープニングで「明るいナショナル」(作詞・作曲:三木鶏郎)が歌われ、オープニングの最後に「丈夫で豊かな暮らしを広げる松下電器がお送りする、ナショナルプライスクイズ・ズバリ!当てましょう」と言うアナウンスが入った。引き続いて解答者席横のドアをバックにタイトルロゴと放送回数のテロップが映し出されながら「ズバリ!当てましょうのテーマ」が流れた。第2期では、19時の時報とともにナショナルのテレビCM(15
秒)を2本流した後、四角い箱からカラフルな丸い玉がでてきて、最後は「?」マークを形作るオープニングアニメが流れた。その為「ナショナル劇場」や「ナショナルゴールデン劇場」でお馴染みのナショナルのオープニングキャッチは使用していない。
スポンサーの松下電器(当時)がテレビ受像器を製造・販売している事から、当番組はカラー化・ステレオ放送化も早かった。まず1967年2月11日に初めて(恐らく試験的に)カラーで放送。(その回のタイトルは「カラーで当てましょう」)。フジテレビの自社制作番組では初めて、カラーカメラ・VTRを使用した番組である。翌々週の2月25日からは、毎週カラー放送となり[2]、フジテレビの音声多重放送開始から半年後の1979年4月14日にステレオ放送も行われた。
ステレオ放送開始以降、シンキングタイム、ファンファーレなどのBGMはダン池田とニューブリードによる生演奏となった[3]。しかしこの際に「バリバリズバリと当てましょう」と言う部分のコーラスが消滅した。この頃は番組のセットが2段になっており下段は解答者席が左右2つに分かれ、中央に登場口がある。一方、上段はダン池田とニューブリードがいるバンドステージとなっていた。
1979年12月には初代司会者の泉大助が降板。翌1980年は司会者がその前までチームキャプテンだった出門英に変更して以降、司会者の変更などリニューアルを繰り返していた。年数回、スタジオを離れ、地方での公開収録も行ったが、1982年3月に番組は終了した。
2チーム対抗戦時代
前述の通り、第2期は1979年4月14日からステレオ放送を開始したが、同時に内容も大幅に変え、2チームの対抗戦となった。そのチーム編成は、前期は芸能人2チーム対抗戦(当初のキャプテンは鈴木ヒロミツ・辺見マリのコンビ。進行役的なポジションでもあった)だったが、「プロ・アマ対抗 ズバリ!当てましょう」となってからの後期は、ハナ肇率いる芸能人チーム「プロ・チーム」と、一般視聴者チーム「アマ・チーム」との対抗戦となった。そしてクイズ内容は次の3種類となる(後に一部変更)。
- プライスクイズ
- それまで行ってきた金額当てと全く同じ。内輪で一番近い金額を出したチームが10点獲得。双方とも外輪の時は点数無し。「ズバリ賞」も有り。
- 音楽クイズ
- バンドの生演奏を聴いて、曲名を当てるクイズ。早押しで正解したチームは、10点獲得。クイズの構成は、低音楽器から順々に音を重ねていく方式だった。
- ショッピングクイズ(1979年12月まで)
- 10万円相当の買い物をするコーナー。出場者は制限時間1分間の間に、ベルトコンベアーから出てくる商品を自軍までもっていく(よみうりテレビ『買ッテ来ルゾト勇マシク』と同形式)。総額が10万円に近い方の勝ち、10点獲得。双方とも10万円を超えたら点数無し。なお、選んだ商品は総額が10万円以内なら全品貰える(負けたチームも)。また、総額が丁度10万円なら「ズバリ賞」の賞品も一緒に貰える。
- ノーヒントプライスクイズ(1980年1月以降)
- 「ショッピングクイズ」に変わって登場。ルールは「プライスクイズ」と同じだが、ヒントは無し。
こうして最高得点を稼いだチームが優勝、松下製品の中から一品貰える。
テーマ曲
「ズバリ!当てましょうのテーマ」
作詞:山上路夫、作曲:いずみたく、歌:不明(第1期・前期)、キューティーQ(第1期・後期)
第2期の末期の音楽は服部克久が担当していた。
タイトルロゴ
1961年8月5日 - 1972年2月12日 、1975年10月4日 - 1980年12月
- 「ズバリ!」「当てましょう 」と2段に別れており、上に「ズバリ!」、その下に「当てましょう 」と書かれたもの。
- 書体が明朝体
1981年1月 - 1982年3月27日 : 丸囲みの中に「ズバリ!当てましょう」が入っていた。
- 書体が特殊体
放送時間
- 土曜 21:15 - 21:45 → 21:00 - 21:30 (1961年8月5日 - 1972年2月12日、大半のネット局では日曜 12:15 - 12:45、全550回)
- 土曜 19:00 - 19:30 (1975年10月4日 - 1982年3月27日、全315回)
出演者
司会
泉大助(1961.8 - 1972.2、1975.10 - 1979.12)
鈴木ヒロミツ(1979.4.14 - 9、チームキャプテン・進行役)
辺見マリ(1979.4.14 - 1980.9、1979.12まではチームキャプテン・進行役)
出門英(1979.10 - 1980.9、1979.12まではチームキャプテン・進行役)
石坂浩二(1980.10 - 1982.3、ちなみに同番組が一旦終了した後に放送されたクイズ番組『クイズの王様』(1972.2 - 1974.3)も石坂が司会を担当した。また、第2期開始前に放送された『動物家族』のナレーションも担当していた)
あかはゆき(1975.10 - 1979.3)
酒井ゆきえ(1979.4 - 1979.12・1980.10 - 1982.3、出門・辺見時代は出題・進行補佐係として出演)
アシスタント・ホステス
- 古川姉妹(放送開始当初、1960年代前半)
淡島千景(放送開始当初に問題朗読を担当)- キューティQ
- 松本めぐみ
ザ・リリーズ(1970年代後半、第2期)
団しん也(出門・辺見時代から石坂・酒井時代までコメディリリーフとしてレギュラー出演)ほか
レギュラー回答者
ハナ肇(プロ・チームキャプテン。ちなみに『クイズの王様』ではハナ肇とクレージーキャッツとして、ザ・ドリフターズと共に隔週出演していた)
ネット局
放送開始当初はフジテレビ系列局を中心に、系列が無かった地方ではその地方で最初に開局した局(親局がVHF波で放送されている局が殆ど)で放送された。後に、地方でフジテレビ系列局が続々と開局していったが、新規に開局した局がUHF局であり、当時はUHF受信対応テレビがほとんど普及しておらず、多くの視聴者に番組を見てもらいたい(物理的な視聴者の減少を懸念した)スポンサーの松下電器の強い意向もあり、ネットの移行はスムーズには行われず、系列局がある地域でも最後まで放送された地域もあった。
系列は現在の系列。○は現在他系列局だが、放送当時フジテレビ系列局や他系列とのクロスネットだった局。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
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関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 札幌テレビ | 日本テレビ系列 | ○第1期のみ |
北海道文化放送 | フジテレビ系列 | 第2期のみ | |
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 | 一時期青森テレビへ移行 |
青森テレビ | TBS系列 | 青森放送へ再移行 | |
岩手県 | 岩手放送 | 現・IBC岩手放送 | |
宮城県 | 東北放送 | ||
仙台放送 | フジテレビ系列 | ||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | |
秋田テレビ | フジテレビ系列 | ||
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 | |
山形テレビ | テレビ朝日系列 | ○ | |
福島県 | 福島テレビ | フジテレビ系列 | 福島中央テレビ[4]開局後も移行せず放送継続[5] |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | |
新潟県 | 新潟放送 | TBS系列 | 新潟総合テレビ開局後もスポンサーの意向により放送継続 1980年11月29日より、ステレオ放送となる。 |
長野県 | 信越放送 | ||
長野放送 | フジテレビ系列 | 1980年6月21日より、ステレオ放送となる。 | |
静岡県 | 静岡放送 | TBS系列 | 第1期まで テレビ静岡開局後もスポンサーの意向により放送継続 |
テレビ静岡 | フジテレビ系列 | 第2期から | |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 第1期の途中まで 富山テレビ開局後もしばらく放送 |
富山テレビ | フジテレビ系列 | 第1期の途中から | |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | 第1期の途中まで 石川テレビ開局後もしばらく放送 |
石川テレビ | フジテレビ系列 | 第1期の途中から | |
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 福井テレビ開局後もしばらく放送 |
福井テレビ | フジテレビ系列 | ||
中京広域圏 | 東海テレビ | ||
近畿広域圏 | 関西テレビ | ||
鳥取県 | 日本海テレビ | 日本テレビ系列 | 当時の放送エリアは鳥取県のみ、1972年9月まで 電波相互乗り入れに伴い山陰中央テレビに一本化 |
島根県 | 山陰放送 | TBS系列 | 当時の放送エリアは島根県のみ 山陰中央テレビ開局後も1970年12月まで放送 |
島根県 ↓ 島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビ | フジテレビ系列 | 1971年1月から、1972年9月までの放送エリアは島根県のみ 電波相互乗り入れに伴い鳥取県にもエリア拡大 |
岡山県 | 山陽放送 | TBS系列 | 当時の放送エリアは岡山県のみ |
岡山県 ↓ 岡山県・香川県 | 岡山放送 | フジテレビ系列 | 1979年3月までの放送エリアは岡山県のみ 1979年4月から電波相互乗り入れに伴い香川県にもエリア拡大 |
広島県 | 中国放送 | TBS系列 | 第1期のみ |
広島テレビ | 日本テレビ系列 | ○第1期のみ | |
テレビ新広島 | フジテレビ系列 | 第2期のみ | |
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 | |
徳島県 | 四国放送 | ||
香川県 | 西日本放送 | 当時の放送エリアは香川県のみ 1979年4月から電波相互乗り入れに伴い岡山放送へ一本化 | |
愛媛県 | 南海放送 | ||
愛媛放送 | フジテレビ系列 | 現・テレビ愛媛 | |
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | |
福岡県 | 九州朝日放送 | テレビ朝日系列 | ○1964年9月まで |
テレビ西日本 | フジテレビ系列 | 1964年10月から テレビ西日本のネットチェンジに伴う移行 | |
佐賀県 | サガテレビ | ||
長崎県 | 長崎放送 | TBS系列 | |
テレビ長崎 | フジテレビ系列 | 第2期では77年4月から同時ネット | |
熊本県 | 熊本放送 | TBS系列 | |
テレビ熊本 | フジテレビ系列 | ||
大分県 | 大分放送 | TBS系列 | テレビ大分開局後もスポンサーの意向により放送継続 |
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | TBS系列 | 第2期初期時点で毎週木曜19:00-19:30 |
鹿児島テレビ | フジテレビ系列 | ||
沖縄県 | 沖縄テレビ |
備考
- 当時電化製品が高価な時代だったため、「電化製品をもらおう!」ということで、主婦を中心に出場希望者が殺到したという(この現象は、当時同じく高嶺の花だったハワイ旅行が賞品の『アップダウンクイズ』(毎日放送)でも起きていた)。
- フジテレビ系列以外のネット局の多く(本文にもあるが、クロスネット局の一部が他系列の番組編成の都合で本来の時間に放映できなかったり、あるいは放送そのものが出来ず他局に譲渡したケースあり)が、日曜日の12:15 - 12:45の枠で遅れネットしていた。この場合は松下電器とともに、地域ごとのナショナルショップ各店もスポンサーを担当していたと考えられる(どの局だったかは不詳)。
- 「ナショナル プライスクイズ」のタイトルロゴはナショ文字を使用していた。
- この番組の放送当時、テレビ局の放送送出用VTRは、初めは2インチVTRだったが、後に1インチVTRの登場に伴い、それに切り替わった(ステレオ放送時は既に1インチに切替済)。2インチVTRの時代は、その録画用テープが余りにも高額なため、余程の事がない限り、原則として消去・再利用を繰り返すのが通例だったため、その時代に於いての同番組のビデオ・テープによる保存が現存している回は少ない[6]。その中で、1969年3月29日放送の「400回記念ゲスト大会」は、放送用のカラー・ビデオ・テープにて保存された内の1つで、その模様の一場面は、1988年の『フジテレビ30年史』と2009年2月28日の『バラエティルーツの旅・あなたがいたから僕がいる 半世紀大感謝祭!!』にて紹介された[7]。なお、放送ライブラリーには1976年9月11日放送の「600回記念大会」が保存されている。
- 関東地区では、1964年4月から1965年3月まで毎週月曜11:00 - 11:30に再放送されていた。
- 所謂「値段当てクイズ番組」の元祖であり、このコンセプトは後に『巨泉まとめて百万円』(読売テレビ)や『世界まるごとHOWマッチ』、『世界バリバリ★バリュー』(共に毎日放送)などに引き継がれた。
脚注
^ ただしその品物が余りにも高額だった時は、関連する品物かヒントとなった品物が代わりに贈られた。
^ 参考文献:フジ・メディア・ホールディングス決算報告書、当時の朝日新聞縮刷版
^ これ以前の第1期末期にも、有馬徹とノーチェクバーナによる生演奏を使用していた。
^ 現在は日本テレビ系列だが、当初はフジテレビ・NET(現在のテレビ朝日)系列として開局。
^ 『福島テレビ30年史』 福島テレビ、1993年、41頁。
^ 2インチVTRにて収録された放送用ビデオ・テープは、その後、同機の衰退等に伴い、1インチVTR等にダビングされて、フジテレビに保存されている。
^ この回は、金田正一(当時:読売ジャイアンツ投手)・金田留広(正一の実弟。当時:東映フライヤーズ投手)チームが、1番組の中で2回も「ズバリ賞」を達成した。
フジテレビ系列 土曜21:15 - 21:45枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
女舞 | ズバリ!当てましょう (1961年8月 - 1962年9月) | ズバリ!当てましょう ※21:00 - 21:30 スター千一夜 21:30 - 21:45 |
フジテレビ系列 土曜21時台前半枠 | ||
スター千一夜 ※21:00 - 21:15 (30分繰り下げて継続) ズバリ!当てましょう ※21:15 - 21:45 | ズバリ!当てましょう (1962年10月 - 1972年2月) | クイズの王様 |
フジテレビ系列 土曜19時台前半枠 | ||
動物家族 | ズバリ!当てましょう ↓ プロ・アマ対抗 ズバリ!当てましょう ↓ ズバリ!当てましょう (1975年10月 - 1982年3月) | 知ッテレビジョン (土曜19:30枠から移動) |
フジテレビ系列 松下電器一社提供枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
(無し) | ズバリ!当てましょう (第1期) | クイズの王様 |
フジテレビ系列 松下電器一社提供枠 | ||
動物家族 | (プロ・アマ対抗) ズバリ!当てましょう (第2期) | 夢で逢えたら |
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