全国高等学校野球選手権大会
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全国高等学校野球選手権大会 | |
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開始年 | 1915 |
主催 | 朝日新聞社 日本高等学校野球連盟 (後援・毎日新聞社 特別協力・阪神甲子園球場 以上2団体は全国大会のみ) |
参加チーム数 | 49 (記念大会を除く) |
加盟国 | 日本 |
前回優勝 | 大阪桐蔭高等学校 (2018年) |
最多優勝 | 中京大学附属中京高等学校(7回) |
サイト | 高野連公式サイト |
備考 |
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全国高等学校野球選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい)は、朝日新聞社と日本高等学校野球連盟が兵庫県西宮市・阪神甲子園球場にて毎年8月に主催している日本の高校野球大会。40回大会以来、下1桁が0と5の回は記念大会として実施されている。大会旗および優勝旗の色は赤。優勝旗は深紅色なので「深紅の大優勝旗」と呼ばれている[1]。
「夏の甲子園」「夏の高校野球」「夏の選手権」または「甲子園」などと表現される。歴代優勝校は、全国高等学校野球選手権大会歴代優勝校に記述。
目次
1 地方大会と代表校
1.1 代表枠
1.1.1 地区割りの変遷
2 会場
3 会期
4 開閉会式
4.1 司会
4.2 開会式
4.3 閉会式
4.4 開閉会式の特記
5 大会歌
6 試合日程の進行
6.1 基本的な日程表
6.1.1 試合組み合わせ
6.2 始球式
6.3 第1試合の基本的な開始時間
6.4 夏の大会における甲子園の土
6.5 使用球
6.6 育成功労賞・野球殿堂特別表彰授賞式
6.7 大会期間中の黙祷
6.7.1 8月15日の黙祷
6.7.2 他の日程における個別での黙祷
6.8 問題点
6.8.1 再試合等による試合への影響
6.8.2 吹奏楽部など他の学校活動への影響
6.8.3 熱中症に対する大会運営
7 海外遠征
8 歴史
8.1 年譜
8.2 歴代優勝校
8.2.1 優勝旗
8.3 その他の記録
8.4 夏の高校野球の球史に残る試合
9 テレビ・ラジオ中継
9.1 NHKでの中継
9.1.1 テレビ
9.1.2 ラジオ等
9.2 民放での中継
9.3 インターネット中継
10 脚注
10.1 注釈
10.2 出典
11 関連項目
12 外部リンク
地方大会と代表校
本大会の出場校は6月中旬から7月下旬にかけて行う地方大会[注 1] で決められる。試合方式は本大会と同じくともにすべてノックアウトトーナメントであり、優勝校が代表校として本大会に出場できる。全地方大会の出場校数は4000校前後である(1990年から2011年まで4000校越えであった)[2]。
地方大会の基本的なルールは選抜高等学校野球大会と同じく開催年度の公認野球規則、アマチュア野球内規、高校野球特別規則に則って行われる。地方大会では得点差によるコールドゲーム制度(5回10点差以上、7回7点差以上)が実施されている。但し、決勝戦に限ってはコールドゲームは適用されず、9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。
代表枠
第1回(1915年)では、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区の代表校と春の東京大会優勝校の計10校の代表であった[3][4]。その後は参加する府県・地区の増加により毎年のように地区の分割、新設が行われ、第12回(1926年)には北海道、奥羽、東北、北関東、南関東、東京、静岡、東海、甲信越、北陸、京津、大阪、兵庫、紀和、山陰、山陽、四国、北九州、南九州、朝鮮、満州、台湾の22枠となった。以降、1941年まで枠間の移動はありつつも枠数は維持された。南九州は4県ないし5県から1校、四国は4県から1校という厳しさで、逆に兵庫県は地元という名目で第1回大会から単独で代表を送り続けていた[3]。この時期は甲子園に出場しやすい地区とそうでない地区に差があり、『週刊ベースボール』、2012年8月20日号の「あの夏を変えた勢力図闘争!」という特集では[3]、近年のスポーツ新聞などで掲載される出場回数ランキング、優勝回数ランキング、勝利数ランキングは[5]、出場回数が多くなる人口が多い都道府県が有利となるのではないかという指摘がなされている[3]。
戦争に伴う1942年から1945年の中断をはさみ、1946年は朝鮮、満州、台湾の枠を削除した19枠で大会が再開された。以降は地区の分割が進み、地区数は増加を続けた。参加校が特に多い北海道と東京都については、北海道は第41回(1959年)より北北海道・南北海道で各1校、東京都は第56回(1974年)より東東京・西東京で各1校となった。
第40回(1958年)、第45回(1963年)、第50回(1968年)、第55回(1973年)は記念大会として1府県1代表制で行われ、第60回(1978年)以降は全ての年で1府県1校・北海道と東京は2校の49代表制となった(後述の記念大会年を除く)。ただ、参加校が最も少ない地方大会は鳥取県(25校)で5回戦制である一方、参加校が最も多い地方大会は一時期200校を超えた神奈川県で8回戦制であり、都道府県により地方大会の試合数は大きく異なっている。
以降、枠の増減は行われていないが、第80回記念大会(1998年)は記念大会として従来通りの北海道・東京都に加えて、参加校が128校を超える埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県・大阪府・兵庫県の6府県が最大8回戦制からそれぞれ2校に拡大され最大7回戦制になった。第90回記念大会(2008年)でも同じく6府県が2校に、第100回記念大会(2018年)では前述の6府県に加えて福岡県も2校に拡大された。
地区割りの変遷
会場
1915年に第1回全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで行われた。豊中グラウンドは1913年(大正2年)に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設・設置したものであるが、規模の小ささなどが問題となっていた。
この当時は遠征費用を全て出場校が負担していたこともあり、会期を短縮して出場校の費用を軽減することが考慮された結果、複数のグラウンドを設置することも求められた。これに鳴尾運動場を所有していた阪神電気鉄道が応え、場内に野球用グラウンドを2面設置することで1917年の第3回大会から会場が移された。しかし、学生野球が人気になるにつれ観客が増加。1923年の第9回大会では溢れた観客がグラウンドになだれ込む事件が発生する。さらにグラウンドの水はけの悪さもあって、主催者の大阪朝日新聞は、本格的な野球場の建設を提案した。
鳴尾球場を所有していた阪神電鉄は、鳴尾村に流れていた申川と枝川(武庫川の支流)を廃川とした後にできた埋め立て地に大規模な沿線開発を行っており、当時阪神電鉄の専務だった三崎省三の構想もあり、旧枝川・旧申川の分流点あたりに野球場を建設する計画を立てていたことから、利害が一致。ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドのポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせるため突貫工事で建設され、1924年8月1日に球場が完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起の良い年であることから、甲子園大運動場と命名された。
同年第10回大会から使用を開始。1946年の第28回大会はGHQに甲子園を接収されていたため、阪急西宮球場で行う。さらに出場校を大幅に増やした第40回記念大会の1958年と第45回記念大会の1963年も甲子園球場と西宮球場を併用して使用するものの、不公平として評判が良くなかったため(甲子園で試合できず敗退した学校からは苦情があった)、これ以降は一貫して甲子園で行われるようになった。
当大会を主目的に建設された甲子園球場は半世紀余りの大会を優先的に行っているため、当球場は高校野球の聖地として高校球児達の憧れの舞台となっている。「甲子園」という言葉自体が高校野球全国大会の代名詞となっており、“夏の甲子園”という通称としても扱われているように当大会に大きく貢献していることから、2010年シーズンから大会の特別協力として扱われている。
なお、上述のような経緯、そして開設当時は阪神電鉄も電車運賃と沿線開発によって収益を挙げられたことにより、高校野球の開催について甲子園球場の使用料を請求しておらず、これは開設から90年以上を経た2015年時点でもそのままとなっている[6]。
また、阪神甲子園球場は阪神タイガースの本拠地ともなっているが、阪神タイガースは高校野球の開催期間中に甲子園を使用せず、長期ロードが続くこととなる。かつてはロード中に成績が低迷することが多かったことから、「死のロード」という異名がつくまでとなった。
会期
現在の全都道府県から代表が出場する以前(第40・45回を含む。第50・55回は基本14日間)は8月中旬(概ね8月10日前後から)の10日間前後が割り当てられていた。
第60回・1978年以後各都道府県の代表が参戦するようになってから、概ね8月8日を起点とした14日間を基本として行うようになったが、選手の健康管理の観点から第85回・2003年(実際は雨天中止のため第86回・2004年)以後は準々決勝を原則2日間に分けて行うことになったため、15日間が基本となった。出場枠が55校に拡大される場合は2日間延長される。
第95回・2013年以後は前述のとおり、準々決勝を1日でまとめて行う代わりに、その翌日を休養日とするため、休養日を除いた基本日程は14日間に戻る。第101回・2019年以後は準決勝と決勝の連戦を避けるため、休養日が1日追加された。
夏季オリンピック開催年は、開催期間の重複を可能な限り避けるための日程調整が実施されることがある。例として、第74回大会(1992年・バルセロナ五輪)は8月10日から、第90回記念大会(2008年・北京五輪)は史上最も早い8月2日にそれぞれ開幕していた。
なお、日本の電力消費は全国高等学校野球選手権大会をピークになっており[7]、電力供給もそれに合わせて調整を行っているという通説がある。電力需給の観点から、電力行政を管轄する通商産業省(現:経済産業省)が開催時期をずらすことについて検討をしたことがある[8]。
開閉会式
司会
第78回(1996年)までは主催者の職員が司会を担当していたが、第79回(1997年)以後は兵庫県内の高校の放送部員(概ね、NHK杯全国高校放送コンテスト兵庫県大会のアナウンス部門・朗読部門[注 2] で入賞した生徒)が4人(開会式・閉会式に各2名ずつ)が担当するようになった[注 3]。
開会式
開式の前に関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟がライトスタンドと一塁側アルプスの間に設けられたゲートから入場。
- 開式の辞
- 開式の言葉ののちファンファーレが鳴り響く。
- 選手入場
- ライトスタンドと一塁側アルプスの間に設けられたゲート[注 4] から入場。曲は『大会行進曲』(作曲・山田耕筰)。春の選抜高校野球と違い、流行歌による入場行進曲の設定はない。先導者・国旗・大会旗・(記念大会[注 5] は歴代優勝校旗)の順に入場し各校がそれに続く。先ずは前年度優勝校が優勝旗を持って入場(地方大会を優勝し代表校として出場する場合は出場選手全員、敗退している場合は主将のみが単独で入場)。その後、下1桁が奇数回開催の時は北から南、下1桁が偶数回開催時は南から北の順に主将を先頭に3列で入場し、レフト寄りから前年度優勝校、続いて入場した学校はセンター、3校目は2校目に入場した学校の手前、4校目は2校目に入場した学校の奥と交互に外野側に整列。選手は白色の運動靴で入場する。全出場校が揃うとともに選手は一斉にバックネット方向へ前進する。
第31回大会(1949年)から西宮市立西宮高等学校の女子生徒[注 6] が国旗、大会旗、(記念大会は歴代優勝校旗)、代表校のプラカード[注 7] を持っている(プラカードガール)。
- 国旗・大会旗掲揚
- 選手・役員は脱帽の上、掲揚台側を向く。
- なお、東日本大震災後に行われた第93回大会(2011年)では黙祷が行われた(その時の黙祷は、サイレンはなし)。
- 大会会長の開会の挨拶
- 朝日新聞社社長による5分ほどの挨拶[9]。
- 優勝旗返還
- 優勝旗が前年度優勝校の主将から大会会長の朝日新聞社社長に返還され、代わりに記念旗(レプリカ)が授与される。なお優勝旗は大会期間中、甲子園歴史館で準決勝日まで展示される。
- 御祝の言葉
文部科学大臣による。出席できない場合は、文部科学副大臣ないし文部科学政務官が代理を務める。
- 励ましの言葉
- 日本高等学校野球連盟会長による。
- 選手宣誓
- 大会歌吹奏・選手退場
- 選手達は3塁側から4列ずつで退場する。
- 閉会の辞
- 開会式の司会を務めた高校生が自己紹介する。関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟は三塁側アルプスから退場する。
なお第82回大会(2000年)の開会式から、ライト側で西宮をPRする会による人文字を行っている。
閉会式
表彰式に先立ち、共同公開インタビューとして、NHKアナウンサーの司会により優勝監督へ、朝日放送テレビアナウンサーの司会により優勝校の殊勲選手若干名にそれぞれインタビューを行う。閉会式の準備ができるまでの間、ベンチ周辺でインタビューが行われ、閉会式の準備が終わり次第、閉会式が始まる。
- 開式の辞
- 開会式とは別の高校生(放送部員)が閉会式開幕のあいさつを行う。
- 選手入場・整列
- 校名プラカードは開会式で優勝校・準優勝校を担当した西宮市立西宮高等学校2年生の女子生徒が持っている。選手はスパイクシューズのまま入場する。
- 審判委員長講評
- 日本高等学校野球連盟会長による。
優勝旗・優勝盾授与
- 大会会長の朝日新聞社社長から優勝校の主将に優勝旗、副主将に優勝盾が授与される。
- 準優勝盾授与
- 大会会長の朝日新聞社社長から主将に授与される。
- 優勝メダル授与・準優勝メダル授与
- 大会会長の朝日新聞社社長から授与される。
- 大会会長の閉会の挨拶
- 朝日新聞社社長による。
- 大会旗・国旗降納
- 選手・役員は脱帽の上、掲揚台側を向く。
- 優勝校・準優勝校選手場内一周(大会歌吹奏)
- 内野側から反時計回りに一周する。NHKの放送は途中で番組が終了する(早い時間に試合が終了し、放送時間が余った時は一周し終わり、最大で蛍の光演奏後まで放送する年もある。)。
- 閉会の辞
- 閉式のことばとともに司会を務めた高校生が自己紹介する。
ファンファーレ
- 演奏者(関西吹奏楽連盟の一部メンバー)がバックスクリーン整列し、開会式と同じファンファーレを演奏。
蛍の光合唱・演奏
- 蛍の光合唱・演奏後、関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟は三塁側アルプスから退場する。球場内にはオルゴールの栄冠は君に輝くが流れる。閉会式後は写真撮影やインタビューが行われる。
開閉会式の特記
開会式・閉会式の国旗・大会旗の掲揚・降納は、2000年までは、開会式は出場校の主将(のちに記録員)が、閉会式は決勝戦を戦った選手全員がバックスクリーンの回転広告版の上(三菱電機の広告看板前)に集まって行っていたが、改修以後は選手衆はバックスクリーンに移動することなく、所定位置からバックスクリーン方向の掲揚台を向いて見守る形になっている。
大会歌
同大会歌は、第12回大会(1926年)に制定され第29回大会(1947年)までは、福武周夫作詞、信時潔作曲、陸軍戸山学校合唱団が歌いポリドールより発売された『全国中等学校優勝野球大会の歌』。「撃ちてし止まん」等、文語体で詞が統一されている。選抜高等学校野球大会の大会歌は『全国選抜中等学校野球大会の歌』[注 8] であって、歌唱者さらにレコードレーベルが同じだったが曲調と詞は合間に手拍子が挿入されているなど、『全国中等学校優勝野球大会の歌』とは全く異なっていた。
現在も選手入場の際に使われている『(全国中等野球)大会行進曲』は山田耕筰が作曲した作品であり、第21回大会(1935年)から使用されているが、富田砕花作詞の歌詞がある。この場合は『全国中等野球大会行進歌』と呼ばれる。
『栄冠は君に輝く』は学制改革により従来の中等学校が高等学校となり、夏の甲子園大会が全国高等学校野球選手権大会と呼ばれることになる1948年に作成された。朝日新聞社は学制改革を記念して「高等学校野球大会歌」を募集した。5252の応募作品の中から高橋道子(実際には当時の高橋の婚約者で結婚後は夫である中村義雄の作)の歌詞「栄冠は君に輝く」が選ばれ、古関裕而が作曲し、第30回大会から大会歌に制定される[10]。伊藤久男とコロムビア男声合唱団によって歌われて1949年に日本コロムビアからレコードを発売。
試合日程の進行
基本的な日程表
通常の49代表・48試合制の年の試合日程は以下の通りである。
日程 | 試合・他 | |
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初日 | 開会式 | |
第1試合 | 1回戦 (49→32) | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
2日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
3日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
4日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
5日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | 2回戦 (32→16) | |
6日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
7日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
8日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
9日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
10日目 | 第1試合 | 3回戦 (16→8) |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
11日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
12日目 | 第1試合 | 準々決勝 (8→4) |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
13日目 | 休養日 | |
14日目 | 第1試合 | 準決勝 (4→2) |
第2試合 | ||
15日目 | 休養日 | |
最終日 | 決勝戦 | |
表彰式・閉会式 |
試合組み合わせ
現在の組み合わせ抽選の抽選方法は、まず3回戦までの組み合わせを決定し、準々決勝4試合と準決勝2試合はその都度で決定する。シード制は採用されていないため、初戦で注目校同士の対戦になる事もある。なお、3回戦の勝ち上がり校は、連戦による選手の健康被害を最小限にするため、第10日の勝ち抜け校は第1・2試合、第11日のそれは第3・4試合に振り分ける(第11日については、結果的に連戦となる)
2013年度の第95回記念大会から2016年度の第98回大会までは全試合抽選方式を採用していた。抽選方法は以下の通り。
- 大会直前に行われる組み合わせ抽選会では、初戦(1・2回戦計24試合)の対戦だけを決める(併せて選手宣誓者も決定される)。先に北海道と東京都(記念大会時は埼玉県、千葉県、神奈川県、愛知県、大阪府、兵庫県、福岡県の7府県も含む)の2代表が抽選を行い(これは同県同士が初戦で当たらないための配慮)、その後他のチームが抽選を行う。なお、抽選順は事前に行った予備抽選で決定する。
- 大会開始後は試合ごとに勝利チームが抽選し、次戦の日程を決めていく。
- 1回戦の勝者による2回戦の抽選は第1日の3チームは第7日目、第2・3日の8チームは第8日目、第4・5日の6チームは第9日目の試合から引く。
- 3回戦の抽選は、2回戦最終日の第9日目の勝者だけは連戦にならないよう、第11日目の試合から引く。その他のチームは制約なし。
- 準々決勝の抽選は、3回戦の1日目に当たる第10日目の勝者4チームは第1・第2試合から、連戦となる第11日目の勝者4チームは第3・第4試合から引く。
- 準決勝の抽選は制約なし(ただし準決勝に勝利した場合で決勝でのベンチの位置もこの抽選で決める)。
1994年以前も全試合抽選方式を採用していたが、その頃とは違って、試合間隔にも配慮した仕組みになっていた。
組み合わせ抽選会は毎年開会式3日前の16:00から行われている。また、選手宣誓は対戦相手が決まった後、各校の立候補した主将によるくじ引きで決定する。大会開始から100年となった2015年度の第97回大会では抽選を行わず、主催者により第1回大会優勝校である京都二中の伝統を継承している鳥羽が指名された。
当初は選抜高等学校野球大会同様に、一度の抽選で決勝戦までの対戦を決めていた。しかし第40回大会(1958年)、第45回大会(1963年)は記念大会として1県1代表制を採り、出場校が増えたため、まず3回戦までの組み合わせを決定し準々決勝と準決勝はその都度甲子園球場で決定される方式を採った。
当時の朝日新聞縮刷版を見ると、第40回大会(1958年)、第45回大会(1963年)ともに、1回戦から、その都度抽選を行っている。また、1952年8月11日の朝日新聞紙上に「今度の大会から、第3日第1試合の第一回戦(7試合14チーム)の番組と、不戦一勝のクジを引いた残り9チームによる第2回戦の取り組みを決めるだけで、勝ち残ったチームがどのチームと顔を合わせるかは次の抽選まで決まらないという方式をとった」(原文のまま)という記述がある。朝日新聞紙上で確認できるそれ以前については、敗者復活戦の無くなった第5回から7回まではすべて抽選。8回から12回までは記述が見当たらず不明。1927年の第13回大会から中止前年の1940年第27回大会まではその都度抽選。戦後復活の1946年昭和21年度大会から、1951年の昭和26年度大会(この〜年度大会という呼称は、1953年の昭和28年度大会まで続いている)までは、現行選抜大会と同じヤグラ方式である。以上のことから、1952年から1994年までは、その都度抽選を行ったことになる。
その後、第76回大会(1994年)までは初戦[注 9] が大会直前に決定しその後の組み合わせは随時甲子園で抽選して決定していたが阪神・淡路大震災に因る交通障害、或いは選手の健康管理上試合スケジュールの均一化を図ることから第77回大会(1995年)から再びこの方式に戻された(この時1日4試合日の開始時刻も8:00開始から、30分繰り下げられて8:30開始となった)。
かつて一発抽選だった頃は、隣接県同士が初戦で対戦することも珍しくなかったが、第60回記念大会(1978年)以降1府県1代表制(但し北海道・東京都は2代表制)となってからは隣接県同士の対戦を避けるため[注 10]、東海・近畿・北信越(東ブロックの境目-新潟・長野・富山・岐阜・三重。西ブロックの境目-福井・滋賀・京都・奈良・和歌山。但し、石川は当初1978~87年迄の10年間は東ブロックだったが、1988~2006年迄の19年間は西ブロックへ移動した)地区を境に東西対決方式で抽選する形が第88回大会(2006年)まで29年間続いていた。
しかし、東西隣接した府県勢同士がこの後も初戦で対戦しあう事態が度々あったことに加え、地区別で唯一東西両ブロックが混在していた北信越勢だけが92年の星稜(石川)対長岡向陵(新潟)を皮切りに、5度初戦でつぶしあう新たな弊害も起こっていた。第89回大会(2007年)からは東西対決方式を廃止し、第59回大会(1977年)以来30年ぶりのフリー抽選式に戻した。但し、これまで通り北海道、東京都の2代表[注 11] に関しては初戦で直接当たらないように配慮している。
準々決勝戦については、第84回大会(2002年)までは1日4試合を一括開催していたが、第85回記念大会(2003年)から選手の健康管理を考えて、1日2試合ずつの2日間開催に変更した。但し、雨天中止による日程遅延が3日間以上続いた場合は日程消化の関係で4試合を一括開催する[注 12]。この関係で長年8月8日にほぼ固定されていた開幕日が、1 - 2日程度前倒しして行われるようになっている。
現在、夏の甲子園大会の出場校数が49(ただし、第80・90回の記念大会は55)であるため、1校だけ組み合わせの時点で初戦の対戦校が決定しない。その1校は1回戦を免除される(現在では2回戦で第1日目に勝利した3校のいずれかと対戦)利点があるものの、対戦成績は出場49校が定着した第60回記念大会(1978年)以降、第80回記念大会(1998年)・第90回記念大会(2008年)を含め10勝29敗(引き分け再試合1:2016年第98回大会時点)である。また、勝利した10校のうち2勝以上あげたのは2006年・第88回大会の鹿児島工業のみであり、他の9校は勝利しても次の3回戦で敗退している。対戦が決定していた当時、第88回大会(2006年)で鹿児島工がこのジンクスを破って4強入りしたが、中迫監督は「試合を見に行かせた」「対戦相手の試合を見られることもいいこと」などと振り返っている[11]。第100回記念大会(2018年)では出場校数が56と1975年の第57回大会以来(38校)43年ぶりに偶数となるため、こうした事態は発生しない。
なお、2013年度の第95回大会からは、1994年以前の1試合ごとの抽選に戻すことになった。1994年以前の組み合わせ抽選は初戦は大阪市内の会場で、本選に入ってからは1回戦・2回戦・3回戦・準々決勝のそれぞれの最終日に甲子園球場で公開抽選の形式でまとめて決定していたが、第95回の大会では初戦は従来通り事前に大阪市内の会場で抽選会を行った後、本選に入ってからはそれぞれの勝ち上がり校は試合の終了後にすぐ組み合わせ抽選を行い、極端な連戦や試合間隔の開きすぎといった不公平感は極力なくすように日程を調整する。このほか準々決勝についてはこれまでの1日2試合×2日間から、2002年(実質は2003年)まで行っていた1日4試合開催に戻すこと、また準々決勝のあくる日は原則として休養日(雨天中止が3日間以上続いた場合は休養日なし)に充て、選手の連戦による健康被害軽減に努めることになった[12][13]。
しかし2016年の第98回大会では履正社-横浜戦があった第8日に球場の開門前に1万人が押しかける事態となったため、2017年の第99回大会から安全対策として事前に大観衆の集まる試合を把握することが可能な1995年~2012年までの第1回抽選で1回戦から3回戦までの対戦校が決まるシステム方式に戻された。なお準々決勝及び準決勝はその都度抽選で決定。但し、準々決勝の抽選会においては、前年迄と同じく3回戦最後の試合の勝者が準々決勝最初の試合に当たらないように配慮される[14]。
全国大会では、地方大会(決勝戦を除く)で採用されている点差によるコールドゲームは全試合とも認められていない。ただし、降雨等止むを得ない事情で試合を中断・打ち切る場合は、試合が7回以降に入った場合に成立(コールドゲーム)とする。なお、地方大会でも決勝戦に限り、全国大会同様に試合が9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。
始球式
開幕試合の始球式は朝日新聞社のヘリコプターからボールを投下する[15][注 13]。
第1試合の基本的な開始時間
- 4試合開催日 8:00[注 14]
- 3試合開催日 9:00[注 15](初日のみ10:30)
- 2試合開催日(主として準決勝) 11:00
- 1試合開催日(主として決勝) 12:30ないしは13:00[注 16]
- 2試合以上開催する場合、「試合時間は2時間・その後のグラウンド整備と次の試合の練習に30分」と想定され新聞の組み合わせ発表では4試合日の場合「(1)8:00、(2)10:30、(3)13:00、(4)15:30」とそれぞれ掲載[注 17] されているがあくまでも目安であり、原則的に前の試合終了から30分後に次の試合を行う[注 18]。
- なお第93回・第94回は、東日本大震災に伴う節電対策のため試合開始時間が一部日程で繰り上げられる処置が取られたが、第95回(2013年)については4試合日は8時開始を維持したが、2・3試合日は平年と同じ時間帯に戻した。
- 第98回(2016年)以降は、決勝の開始時間を14:00に設定している。
夏の大会における甲子園の土
3年生部員にとってこの大会の決勝以外で負けると高校野球生活が終わるという意味をこめて「夏が終わる」と表現され[注 19]、大会途中で敗退したチームが試合終了直後に甲子園の土を拾い集める光景はよく報道でも取り上げられている。なお優勝・準優勝校は試合終了直後に土を拾い集められないことで閉会式終了時で中継が終了するため、大会途中で敗退したチームのみが行うものと誤解されている場合もあるが、実際には優勝・準優勝校も閉会式や記念写真撮影、インタビュー終了後、グラウンドから去る寸前に土を拾っている。また1・2年生の中にはもう一度戻ってくるという意味を込めて持ち帰らない者もいる。
使用球
第83回大会(2001年)でアルプス席のブラスバンド部員がファウルボールに当たり負傷したことから、翌第84回大会(2002年)から打球に注目してもらうため、従来は係員が回収していたファウルボールを選抜大会も含めて観客にプレゼントするようになった[16](但しホームランボールは打った選手への記念として渡すために回収される)。
育成功労賞・野球殿堂特別表彰授賞式
毎年8月15日の第2試合開始前に育成功労賞の授賞式がある。また野球殿堂の特別表彰授賞式を行うことがある。
大会期間中の黙祷
8月15日の黙祷
8月15日は終戦の日のため、正午前にプレーを中断し、正午に選手、審判員、観客一同で1分間の黙祷を行う(サイレン鳴響も行う)。正午が試合間の入れ替え時間と重なった時は、次の試合開始前(両チーム挨拶の前)に行う場合がある。なお、当日の試合が中止となった場合は黙祷は行われない。
他の日程における個別での黙祷
広島県・長崎県代表は、それぞれの原子爆弾投下の日時で独自に黙祷を行うことがある。一例として2016年の第98回大会第3日目第2試合、山梨学院と長崎商の対戦で、試合時間が長崎に原爆が投下された8月9日の11時2分を挟むことから、試合中(応援団は1回表終了後、選手は1回裏終了後)に黙祷を行った例がある[17][18]。
ただし高校独自で行われるものであり試合進行が止められることはない。
問題点
再試合等による試合への影響
サスペンデッドゲームを採用していないこと、球場がドームではないことから、大量の得点差がついた試合も、試合が成立する7回(第7イニング)の終了以前に降雨等による天災でノーゲームとなり、本来の試合でリードされていた高校が、数日後の再試合で勝利するという現象がしばしば起きている。
- 1982年(第64回大会・1回戦)-八幡大付対日大二戦:八幡大付が4-2とリードしながら、6回裏攻撃中に雷鳴と激しい雨により降雨ノーゲームが宣告される。3日後の再試合では、日大二が9-6で勝利。また日大二は、17年前の1965年(第47回・1回戦で、岡山東商にリードされながら降雨ノーゲームとなり、再試合で勝利している。
- 1993年(第75回大会・3回戦)-鹿児島商工対常総学院戦:鹿児島商工が4-0とリードしながら、4回表攻撃中に豪雨に見舞われ降雨ノーゲーム。翌日の再試合では、常総学院が1-0で勝利。なお鹿児島商工は、前日の2回戦も雨の中で行っており、その試合は8回表途中で降雨コールドゲームにより堀越に3-0で勝利していた。
- 2003年(第85回大会・1回戦)-駒大苫小牧対倉敷工戦:駒大苫小牧が8-0と大量リードしながら、4回裏途中で台風接近による降雨ノーゲームの宣告。翌日の再試合では倉敷工が5-2で勝利。
- 2009年(第91回大会・1回戦)-如水館対高知戦:如水館が2-0・6-5と2試合共にリードしながら、大会史上初となる2日連続の降雨ノーゲームに。再試合では高知が9-3で勝利。
- 準々決勝後の再抽選では、インターバル期間に差が生じてしまうことがある。
- 2018年の第100回記念大会より延長戦におけるタイブレーク方式が導入、延長13回から試合が決着するまで延長無制限で行われる。同時に準決勝までは延長引き分け再試合が廃止となる。また決勝戦ではタイブレーク方式を採用せず延長15回で引き分けた場合は再試合とするが、再試合では準決勝までと同じ形で延長無制限でのタイブレーク方式を採用する。これにより再試合を除く決勝戦以外での延長イニング数は60年ぶりに無制限に戻る。
- 1. 2018年(第100回大会)・佐久長聖対旭川大高が4-4のまま延長12回で決着がつかず、甲子園大会史上初のタイブレーク方式が適用された。試合は、14回表に佐久長聖が1点を獲得し、そのまま5-4で勝利した。
- 2. 2018年(第100回大会)・済美対星稜が9-9のまま試合はタイブレークに突入し、13回表に星稜が2点勝ち越すも、その裏の済美の攻撃で大会史上初の逆転サヨナラ満塁ホームランを放ち、13-11で勝利を収めた。
吹奏楽部など他の学校活動への影響
高校の野球部が全国高等学校野球選手権大会に出場すると、通常は同校の吹奏楽部・チアリーディング部およびチアダンス部(バトン部がチアリーディングおよびチアダンスを兼任していることも多く、その場合はバトン部が参加。学校によってはバトントワリング部とも称す)が応援に参加する(両方を複合させたバトンチアの場合もある)。
熱中症に対する大会運営
入場行進からセレモニー含めた開会式が全部終わるまでに1時間ほどあるため、熱中症になる者が出ている。朝日新聞や文部科学大臣などの挨拶を中心に短縮するなど大会運営に問題があるとの声がある[9]。
海外遠征
大会終了後、基本的に上位進出校の3年生選手を集め、国際親善を主目的とした海外遠征チームが組まれる。行き先は主にアメリカ(韓国、ブラジルへの遠征実績もあり)で、2006年以降(2008年を除く)はアーバンユース・アカデミー(カリフォルニア州コンプトンにあるMLBの野球振興・選手育成機関)との対戦が組まれている。
選手及びコーチングスタッフは、帽子マークは「J」、胸文字は「JAPAN」、袖に日章旗という、数十年間変わっていない簡素なデザインのユニフォーム(白及びグレー地)を着用することが多いが、過去には試合により各校のユニフォームの袖に国旗を縫いつけたものも併用したことがある。また背番号は1(優勝投手)から投手→捕手→内野手→外野手の順に振り分けられる(つまり投手は背番号がほぼ一ケタ、野手は背番号が必ず10番台となる)[注 20]。
海外遠征の代わりに、真剣勝負の場であるWBSC U-18ワールドカップ[注 21] もしくはBFA U-18アジア選手権大会[注 22] に出場する年もある(その場合、選手権不出場校の選手や2年生以下の選手が選ばれたことがある)。この場合、2011年アジア選手権・2012年世界選手権は社会人他アマ代表と同一の、2013年世界選手権は同年のWBC日本代表と同一の、2014年アジア選手権以降は侍ジャパンのユニフォームを着用する。
歴史
年譜
1915年(第1回大会) - 全国中等学校優勝野球大会として豊中球場で行われる。
1916年(第2回大会) - 敗者復活制度が施行される(第3回(1917年)まで)。
1917年(第3回大会) - 会場が鳴尾球場に変更される。
1918年(第4回大会) - 米騒動の影響で出場校は出揃ったものの中止。
1924年(第10回大会) - 会場が阪神甲子園球場に変更される。
1925年(第11回大会) - 香川県の高松商が本州に所在する学校以外では初めてとなる優勝を達成。真紅の大優勝旗が初めて四国に渡る。また、高松商は春と夏、両大会の優勝経験がある初めての学校となった。
1929年(第15回大会) - 開会式にて初めて選手宣誓が行われる。当時は紙に書かれた宣誓文を読み上げるスタイルであった[19]。
1933年(第19回大会) - 準決勝の中京商対明石中の試合が延長25回で決着(中京商が勝利)。中京商は第17回大会(1931年)から大会史上唯一の3連覇。
1939年(第25回大会) - 和歌山・海草中の嶋 清一が準決勝と決勝の2試合連続でノーヒットノーラン達成による優勝。
1940年(第26回大会) - 全日本中等学校体育競技総力大会の一部門として開催。
1941年(第27回大会) - 太平洋戦争の影響で地方大会の途中で中止( - 1945年。1942年は、代わりに文部省主催で全国中等学校野球大会が開催されたが、文部省の意向により全国高等学校野球選手権大会とは独立した大会とされ、通算記録にも数えられていない)。
1946年(第28回大会) - 全国中等学校野球連盟結成。阪急西宮球場で大会を再開。敗戦による外地喪失のため外地の地方大会が消滅。また、アメリカ施政下にある沖縄も地方大会に参加していない。
1947年(第29回大会) - 会場が再び阪神甲子園球場となる。福岡県の小倉中が九州勢として初優勝を達成。真紅の大優勝旗が初めて九州に渡る。
1948年(第30回大会) - 学制改革により全国高等学校野球選手権大会に名称を変更。小倉が連覇を達成。
1952年(第34回大会) - 当時アメリカ施政下にある沖縄県が、東九州大会に参加するようになる。
1954年(第36回大会) - 宮崎県代表の高鍋が出場したことを最後に、当時アメリカ施政下にあった沖縄県以外の空白県が消える。
1956年(第38回大会) - 初のナイター試合(伊那北対静岡)。
1957年(第39回大会) - 勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が開始される。
1958年(第40回大会) - 初の記念大会として、沖縄県を含む全国各都道府県の代表47校で開催。沖縄県は初めての本大会出場となる。沖縄は当時アメリカ施政下にあったため、沖縄県代表は琉球列島米国民政府発行の渡航証明書(パスポートに相当)を各自所持して参加した。阪急西宮球場と2会場に分かれて開催された。準々決勝の徳島商対魚津は春夏通じて初の規定による引き分け再試合となる。
1959年(第41回大会) - 北海道代表が南北2代表に分かれる。
1960年(第42回大会) - 打者用ヘルメットの着用が義務化。
1962年(第44回大会) - 作新学院が史上初の春夏連覇達成。
1963年(第45回大会) - 45回記念大会として、全国各都道府県(北海道は2代表。アメリカ施政下の沖縄を含む)の代表48校で開催。阪急西宮球場と2会場に分かれて開催。
1965年(第47回大会) - 走者に対してもヘルメットの着用が義務化。
1966年(第48回大会) - 中京商が春夏連覇を達成。
1968年(第50回大会) - 50回記念大会として、全国各都道府県(北海道は2代表。アメリカ施政下の沖縄を含む)の代表48校で開催。西宮は使用せず、全試合を甲子園で開催した。以後、全ての大会が甲子園で開催されている。
1969年(第51回大会) - 松山商対三沢の試合が、春夏通じて史上初の決勝戦引き分け再試合。翌日の再試合は松山商が勝利し優勝。
1970年(第52回大会) - この大会から決勝戦進出校の全選手(優勝旗、優勝楯、準優勝楯を持っている選手は除く)による国旗・大会旗の降納が始まる。2000年(第82回大会)まで30年間行われた。
1972年(第54回大会) - 耳付きヘルメットの着用が義務化。同大会、開幕日は開会式のみを行い、試合そのものは翌日に順延する。また、甲子園では春を含めても史上初めての同名校対決が実現(三重・海星と長崎・海星)。
1973年(第55回大会) - 55回記念大会として、全国各都道府県(北海道は2代表。沖縄県は前年に返還)の代表48校で開催。
1974年(第56回大会) - 金属バットを採用。東京代表が東西2代表に分かれる。
1978年(第60回大会) - 60回記念大会として、全国各都道府県(北海道、東京は2代表)代表の49校で開催。この大会から2006年(第88回大会)まで29年間、初戦が東西対決となった。
1979年(第61回大会) - この大会より、正式に現行の49代表制で開催。箕島が公立高校で初の春夏連覇を達成。滋賀県代表の比叡山の勝利を最後に未勝利県が消える。
1987年(第69回大会) - PL学園が春夏連覇を達成。
1989年(第71回大会) - 春を含めても史上2度目の同名校対決が実現(奇しくも1度目と同じく三重・海星と長崎・海星)。
1991年(第73回大会) - 球場外野後方の左翼・右翼に設けられたラッキーゾーンが、この大会を最後に撤去される。
1992年(第74回大会) - 高知県代表の明徳義塾が石川県代表の星稜・松井秀喜に5打席連続敬遠を行い、物議を醸した。
1995年(第77回大会) - 両耳の打者ヘルメットの着用が義務化。組み合わせ抽選方法を3回戦まで対戦相手がわかる方式に変更(準々決勝と準決勝は再度組み合わせ抽選)。
1996年(第78回大会) - 松山商が決勝戦延長10回裏、奇跡のバックホームでサヨナラ負けを阻止。延長11回を制して、春夏を通じ「大正」「昭和」「平成」の3年号連続の優勝を達成。
1997年(第79回大会) - この大会より、開会式及び閉会式の司会進行役が選出された男女計2名の現役高校生になる。又男子高校生による入場行進の先導も、同大会から行われた。
1998年(第80回大会) - 80回記念大会として埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の各地区を2分割し、55代表校で実施。横浜が春夏連覇を達成。松坂大輔が59年ぶりとなる決勝戦でのノーヒットノーランを達成。
2000年(第82回大会) - 本大会から、延長戦の規定を15回引き分け再試合制に変更[20]。智弁和歌山が高校野球史上唯一の三桁安打を記録して優勝。
2003年(第85回大会) - 本大会より、準々決勝戦を選手の健康負担を理由に「1日2試合ずつ、2日間の日程」で開催。ただし雨天順延日が3日間あったため予定を変更し、結局前年通りの「1日4試合」で開催された。
2004年(第86回大会) - 南北海道代表の駒大苫小牧が北海道勢として初優勝。北海道の地に初めて深紅の大優勝旗が渡った。
2005年(第87回大会) - 高知代表の明徳義塾が開幕前に発覚した不祥事を理由に出場を辞退、高知が急遽代替出場。駒大苫小牧が史上6校目の2連覇を達成。
2006年(第88回大会) - 駒大苫小牧対早稲田実業の試合が大会史上2度目(延長15回引き分け再試合制度になってからは初)の決勝戦引き分け再試合。翌日の再試合は早稲田実が勝利し優勝。山形代表(日大山形)のベスト8入りにより、47都道府県の代表校全てがベスト8以上を記録。
2007年(第89回大会) - 第60回(1978年)以降定着していた組み合わせ抽選における東西対決方式から、30年振りに全地区フリー抽選の形式に戻される。また、選抜高等学校野球大会同様にダートサークルが追加。佐賀北が11年ぶりの公立高校優勝。
2008年(第90回大会) - 90回記念大会として第80回(1998年)と同様に埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の各地区を2分割し当時史上最多タイの55代表校で実施。同年開催された北京オリンピックの開催期間と重なったため、開会日が史上最速の8月2日となる。スケジュールの都合上抽選会は省略され、地方代表決定戦終了後に組み合わせ抽選が行われた。
2009年(第91回大会) - ベースコーチにヘルメットの着用が義務化。
2010年(第92回大会) - この年よりセンバツを主催する毎日新聞社が後援スポンサーとなる(甲子園の全国大会のみ。なお、同年からのセンバツ大会には朝日新聞社が後援スポンサーに就いた)。興南が沖縄県勢として初優勝。深紅の大優勝旗が初めて沖縄に渡った。あわせて、史上6校目の春夏連覇も果たす。
2011年(第93回大会) - 東日本大震災に伴う電力不足の影響で、試合開始の時間等が見直された。
2012年(第94回大会) - 前年に続き、電力事情を勘案して2年連続で試合開始の時間等が見直された。また大会史上初めて、決勝戦の組み合わせが春夏連続で同じ対戦カードとなり、大阪代表の大阪桐蔭が光星学院を下して、史上7校目の春夏連覇を達成。
2013年(第95回大会) - 本大会より準々決勝を1日4試合で行い、準々決勝と準決勝の間に休養日を設ける。抽選方法が全試合抽選に変更される(但し、1994年までとは違う方式)。
2014年(第96回大会) - 平成26年台風第11号接近に伴い、8月9日の段階で開会式・開幕戦3試合を2日延期する決定を出す。開会式の延期は1960年の第42回大会以来54年ぶりで開幕が2日延期されたのは96回の歴史上で史上初。北陸勢がすべて3回戦進出、北信越、東北勢ともに4校ずつが16強入り(ともに史上初)。
2015年(第97回大会) - 本大会開催100周年を記念して、初めて大会のシンボルマークが佐藤卓のデザインにより制定された。また第1回大会の出場校のユニフォームを再現し、入場行進。また、始球式は早稲田実業OBでプロ野球・読売ジャイアンツで活躍した王貞治が務めた。プロ野球OBが高校野球の始球式を務めるのは、春夏通じて史上初となる。
2017年(第99回大会) - 抽選方法が2012年までの形式に戻される。
2018年(第100回大会) - この大会より、中央特別自由席(バックネット裏)を全席指定席とし、前売り販売を開始する。また、併せて外野席を有料化する[21]。また、この大会の延長戦の13回からタイブレーク制度が初めて適用された。入場者数が、これまで最多の92万9千人(第72回大会)を超え101万5千人となり、初めて100万人を超えた。大会は北大阪代表の大阪桐蔭が史上初の2度目(2012年以来、6年ぶり2回目)の春夏連覇。
2019年(第101回大会) - 本大会より準決勝と決勝の間に休養日を設ける予定。
歴代優勝校
優勝旗
深紅の大優勝旗と呼ばれている。現在の優勝旗は3代目[22][23][24]。いずれも西陣の職人による制作。
- 初代:第1回大会から第39回大会まで使用。綾錦織り。
- 2代目:第40回大会から第99回大会まで使用。つづれ織りで正絹を使用。
- 3代目:第100回大会から。つづれ織り[22][25]。大きさは、縦1.06m、横1.51m、旗とポールを足した総重量は約10kgとなる。2代目の意匠を踏襲する。
その他の記録
- 第100回大会(2018年)終了時点で、以下の県が一度も優勝したことがない。
太字は決勝進出経験のない地域
- 青森県
- 岩手県(選抜は準優勝経験あり)
- 宮城県
- 秋田県(選抜は決勝に進出経験なし)
- 山形県
- 福島県(選抜は準決勝に進出経験なし)
- 新潟県(選抜は準決勝に進出経験なし)
- 石川県(選抜は準決勝に進出経験なし)
富山県(準決勝に進出経験なし)
福井県(選抜は優勝経験済み)- 山梨県
- 滋賀県(選抜は準決勝に進出経験なし)
- 鳥取県(選抜は準優勝経験あり)
- 島根県
- 岡山県(選抜は優勝経験済み)
長崎県(選抜は優勝経験済み)- 熊本県(選抜は優勝経験済み)
- 宮崎県(選抜は決勝に進出経験なし)
- 鹿児島県(選抜は優勝経験済み)
- なお、地方大会が消滅した地区では台湾代表と満州代表の決勝進出があるが、いずれも準優勝のため、優勝経験は一度もなかった。朝鮮代表は準決勝進出が一度もなかった。
- 選手権優勝都道府県で北海道、群馬県、千葉県、福岡県、佐賀県は選抜で一度も優勝したことがない。
- 第100回大会(2018年)現在、第1回から全ての大会の予選に参加した高校(皆勤校)は全国に15校ある。
- 春夏通算で全国47都道府県との対戦を終えているのは、2013年夏大会終了までに北海道、東京都、大阪府、兵庫県の4都道府県。以上の4つは当該都道府県との対戦もあり47となる。当該都道府県を除く46カード全てに勝利しているのは、大阪府と広島県。王手がかかっているのは、神奈川県と兵庫県で、神奈川は未対戦の山形県、兵庫は三重県のみにまだ勝利がない(2013年夏大会終了まで)[26]。
夏の高校野球の球史に残る試合
長い歴史を持つ大会であるゆえに『球史に残る』とされる試合は多く、以下は一例である。
静岡中対前橋中延長19回(1926年)
中京商対明石中延長25回(1933年)
魚津対徳島商延長18回引き分け再試合(1958年)
掛川西対八代東延長18回引き分け再試合(1964年)
三沢対松山商決勝延長18回引き分け再試合(1969年)
高松商業対仙台育英延長17回(1978年)
逆転のPL(1978年)
箕島対星稜延長18回(1979年)
松商学園対四日市工延長16回(1991年)
松井秀喜5打席連続敬遠(1992年)
松山商対熊本工決勝 奇跡のバックホーム(1996年)
サヨナラボーク(1998年)
PL学園対横浜延長17回(1998年)
明徳義塾対横浜 6点差逆転試合(1998年)
智弁和歌山対帝京 9回表・裏の大逆転試合(2006年)
駒大苫小牧対早稲田実業決勝 延長15回引き分け再試合(2006年)
宇治山田商業対佐賀北延長15回引き分け再試合(2007年)
日本文理対中京大中京決勝(2009年)
世紀の落球(2010年)
金農旋風(2018年)
テレビ・ラジオ中継
全国高等学校野球選手権地方大会内の各都道府県の項や、中継を行う各放送局の項も参照。
NHKでの中継
テレビ
1953年(第35回大会)からNHKがテレビによる中継を始めた[27]。基本的に総合テレビのみで18:00まで中継するというスタイル(国会中継のため、NHK Eテレ(教育テレビ)に差し替えられたケースもある)であった。しかし、1974年(第56回大会)準々決勝の東海大相模対鹿児島実業戦が延長戦となり、テレビ中継の放送予定時間を大幅に超えたため、試合途中の18:55で中継放送を打ち切った(鹿児島地区のみ18:59まで延長)。その直後からNHKに対して視聴者から中継打ち切りに対する抗議が殺到し、天気予報とそれに続く『7時のニュース』終了後に中継を再開した。
これを受けて、NHKでは翌1975年(第57回大会)から現在のように総合テレビとNHK Eテレ(教育テレビ)のリレー中継方式で完全生中継を行うようになった。但し、1998年(第80回大会)は編成の都合上、一部日程において午前中のNHK Eテレ(教育テレビ)へのリレー時に15分間の中断が存在した(当該試合出場校の地元局では中継を続行)。地上デジタル放送開始以降は、イベントリレー機能を利用してリレー時の案内を実施している。
現在は全試合アナウンサーと解説者1名で実況しているが、1980年代(遅くとも1984年)から1998年までは初戦のみ両校関係者をゲストとして招き、4人体制で中継を行っていた。
初戦では学校紹介のVTRが放送され、主に学校所在地の市区町村を中心に紹介している。BGMは2017年(第99回大会)までは「栄冠は君に輝く」、2018年(第100回大会)からは「甲子園」のインストゥルメンタルが流れる。
高校野球関係者が入った年に行われる野球殿堂入り表彰式は、民放とは異なり映像を映さず、実況でもどういう表彰かは明言しない。
2010年まではNHK衛星第2テレビジョンでも開会式、準々決勝、準決勝、決勝・閉会式のみ放送していた。なお、小笠原諸島、沖縄県大東島地方の地上波テレビの衛星再送信中継局ができるまでは、東東京・西東京・沖縄のそれぞれの代表出場校の試合も放送していた。
2015年(第97回大会)から全試合でリアルタイム字幕放送、5.1サラウンドを実施。
2017年(第99回大会)からは放送において、投手の投球数表示(球速表示と交互に)がされるようになった。
2018年(第100回大会)は中継テーマソングとして福山雅治の「甲子園」が使われることになった。
海外向けのNHKワールド・プレミアムでも準決勝、決勝・閉会式を放送している。録画での時差放送(ディレード)となる場合と生中継となる場合があるが、近年は編成の都合上、時差放送で行われることが少なくない[注 23]。
2011年以降は東日本大震災に伴う節電・省エネルギーのため、第1試合は3試合以上行う場合(開会式日は除く。2011年は準々決勝・準決勝も含む)は8:00開始となったため、平日に総合テレビで中継される際は冒頭15分間の生中継は行わない[注 24]。また通常は(選抜も含め)決勝戦は総合テレビでの完全中継であるが、2011年・2012年は決勝戦が午前中の開催となったため、試合が11:54以後も続いている場合は総合テレビの定時枠(正午のNHKニュース、連続テレビ小説午後の再放送など)確保のため、通常日と同じくNHK Eテレ(教育テレビ)へリレーされ、13:05以後も試合が続いていれば再び総合テレビに戻る(国会中継が行われる場合はNHK Eテレ(教育テレビ)で継続して放送する)。2012年はロンドンオリンピックの録画中継(8:15)の為、大会前半はNHK Eテレ(教育テレビ)で8:00から放送された。
ラジオ等
ラジオ中継の歴史は古く、戦前の1927年(昭和2年)に当時の大阪中央放送局が初の実況中継を行っている(これがスポーツ実況中継の始まりでもあった)[28]。
現在は原則として、日本国内向けにラジオ第1放送で全試合を中継[注 25]。放送時間は4試合日の場合、8:05 - 18:20(2012年の場合。時間は変更の場合あり)。
2012年(第94回大会)からはIPサイマル配信「NHKネットラジオ らじる★らじる」でも同時配信される(2018年(第100回大会)では、民放ラジオポータルサイト「radiko」のNHKラジオ第二次実験配信に伴い[29][30]、「radiko」でも同時配信を行う。但しアーカイブ機能の利用は「らじる★らじる」のみ利用可能)。
テレビとは異なり、平日は11:50[注 26] から正午のニュース終了(12:20)まで、土曜日と日曜日は11:55[注 27] から正午のニュース終了(12:15)まで、試合展開に関わらず中継が一時中断するほか、毎正時ごろのニュース挿入と、道路交通法の規定による日本道路交通情報センターからの交通情報による中断もある(これらの場合、ニュースの場合は毎時00分になった後の攻撃終了後、交通情報の場合は毎28分前後の攻守交替時に行われる)。
また、8月9日の長崎平和祈念式典と8月15日の全国戦没者追悼式を放送するため高校野球中継は試合展開に関わらず一時中断する。
また、放送時間終了時に試合が続いている場合はそのままラジオ第1で時間を延長して放送するが、18:50[注 28] からニュース終了まで中継は試合展開に関わらず中断する。ニュース終了後も試合が続いている場合は、ニュース終了後に中継を再開する(中断中に試合が終了した場合は、ニュースの中で結果のみ放送する)。
民放での中継
朝日放送テレビ・朝日放送ラジオ(いずれも2018年3月31日までは朝日放送〈現:朝日放送グループホールディングス〉)では、ラジオが開局翌年の第34回大会(1952年)から、テレビは前身の「大阪テレビ放送」だった第39回大会(1957年)から(「全国高校野球選手権大会中継」)1回戦から決勝まで生中継を実施している。サンテレビジョンと提携した第67回大会(1985年)以降は土曜日と準々決勝以降を除き、昼の時間帯は近畿圏の独立局とのリレーネットも実施している(CMも通常の全画面ではなく画面下側3分の1に表示され、球場の風景も放送)。第77回大会(1995年)〜第82回大会(2000年)の間、BSアナログハイビジョン試験放送(BS-9ch・JO248-BS-HDTV)において中継を行っていた。この名残からか、第83回大会(2001年)からは、BS朝日でも朝日放送との同時放送を行っている(ハイビジョン中継、連動データ放送あり[注 29]。ABCでは2009年からリアルタイム字幕放送を行っているが、BS朝日では決勝戦を除き実施していない。CMは通常放送と同じく16:9のハイビジョン形式画像(一部CMは4:3の標準形式画像)で全画面放送し、提供クレジットはCM終了後の後クレジットのみ表示となり、1本のCMを放送するたびにそのCMを放送したスポンサーのみ表示を行う)。- CS放送「スカイ・A」でも当日の夕方から録画放送している。また全国大会の開幕前から、順次地方大会決勝戦ノーカット放送を行ってきたが、2012年度は一部地区がダイジェスト放送となり、2013年度以降は地方大会の全試合完全放送を見送ることになった。これは民放でテレビ中継を行う地方大会が減少傾向にあるため、一部の地区で独自中継してきたが、それも難しくなったため。代替措置として「速報!甲子園への道」の全放送日一挙放送や、開幕直前の生放送番組で地方大会をまとめて流すようにした[31]。
テレビ朝日系列では開会式の一部と決勝(2014年まで)については全国中継される。また、北海道テレビ(HTB)、愛媛朝日テレビ(eat)、が地元校が出場する試合をネットしている(年度や局によっては深夜に録画放送される)。テレビ朝日は長らく続けていた準決勝の一部中継(14、15時台のみ)を第87回大会(2005年)を最後に取り止めた。2015年は決勝の放送枠がネットワークセールスからローカルセールスへと変更されたことからテレビ朝日系列局のうちテレビ朝日のみ決勝戦の中継を行わず、2016年はネット局がさらに減少。ネット外の地方局ではテレビ山梨(UTY・JNN)、富山テレビ(BBT・FNN)、山陰放送(BSS・JNN)が2014年までネットしていた。- 関西地方以外の地域で地元代表校出場試合が放送される場合(決勝は除く)、映像はABCテレビからのネットワークを受けるが、一部の放送局では実況は地元の放送局が派遣したアナウンサーによる「地元校応援実況」を行う。ただし、中継予定時間になっても地元校出場試合が始まっていない場合はABCアナウンサーの実況をそのまま放送する(回線の都合上、前の試合のどちらかの地元局の応援実況が放送されることもある)。2009年のみ全局がABCの実況となった。2014年現在は愛媛朝日テレビのみ実施。
- また、テレビ朝日系列各局と朝日新聞資本がある一部のテレビ朝日系列以外の放送局およびABCラジオでは7月中旬頃(ABCラジオは7月1日)から朝日新聞の大会CMが放送される(台詞の違いによる地方大会版と本大会版とが存在)。バックのBGM「栄冠は君に輝く」は当初は学生の混声合唱であったが21世紀になってからはハウンドドッグ、サーカス、森山良子、夏川りみ、小椋佳らイメージアーティストが歌うようになった。2011年以降は日本各地の高校生[注 30] による合唱・演奏に変更された。テレビ版の映像は前年度の本大会(年度により地方大会も)の模様をフィルム撮影したものを使っている。ナレーションは、2014年まで小林清志が務めていた(テレビ・ラジオ共)。
- 2015年はテレビCMの新たな趣向として、同志社香里高校ダンス部員(女子)らの出演、Dream5の「栄冠は君に輝く」歌唱による「ダンス編」が制作された(本大会開催期間中は従来の作りのテレビCMも併せて放送)。2016年は「ダンス編」の第2弾を放送[32](従来の作りのテレビCMはなし)。
インターネット中継
- 第96回(2014年)からニコニコ生放送が新規参入。第86回選抜から引き続き、NHKでの放送を見ながら実況する「テレビ実況生放送」として配信(第97回(2015年)は森永製菓、第99回(2017年)は面白法人カヤックが後援)。
- MC:愛甲猛
- アシスタント:佐藤哲也・大崎みらい・みんぽこ
- MC:愛甲猛
- 第99回(2017年)は、愛甲猛のメイン番組とは別に、元プロ野球選手による同様の企画が配信された。
- 出演選手:中根仁・鈴木健・内藤尚行・門倉健・古木克明・佐野慈紀
- 出演選手:中根仁・鈴木健・内藤尚行・門倉健・古木克明・佐野慈紀
- 第96回(2014年)までは朝日放送サイト内で全国選手権大会を配信していたが、第97回(2015年)からは、朝日放送[注 31]・朝日新聞社の共同事業による「バーチャル高校野球」内で地方大会と全国選手権大会のライブ中継を配信する[33]。2018年は「SPORTS BULL(スポーツブル)」内で「バーチャル高校野球」の配信を行う[34]。
脚注
注釈
^ 本大会の予選のように扱われることがあるが独立した大会である。
^ 2010年以降は担当対象外。
^ 翌春から選抜高校野球でも高校生(Nコン全国コンクールのアナウンス部門・朗読部門上位入賞者。開会式は基本的に新卒生)が司会を担当するようになったが、他地域への配慮から、兵庫県内の高校からの選出は第89回(2017年)開会式入場行進が初めて。
^ ゲートは「上は大会回数、下は全国高等学校野球選手権(記念)大会」。
^ 第98回、第99回大会は記念大会ではないが歴代優勝校旗の入場が行われた。
^ 当初は3年生であったが、現在は2年生が担当。大会を前に、同校にて参加希望者の中からオーディションを行い、合格した者だけが参加できる。第79回大会以降、紹介アナウンスが「女子生徒」から「皆さん」に変更された。
^ 前年度優勝校が敗退している場合、以前は校名の入ったプラカードだったが、現在は「前年度優勝校」と表記される。なお、オーディションに合格した女子生徒がプラカードを持つか国旗や大会旗を持つかは、くじ引きで決められる。
^ 長谷川海太郎作詞の初代大会歌。「蒼空高き甲子園」の通称で知られる。
^ 1回戦、2回戦の一部
^ 前年の第59回大会(1977年)で、早稲田実(東東京)と桜美林(西東京)の東京勢同士が初戦で当たったのが大きな理由とされる。又第58回大会(1976年)でも、初戦で豊見城(沖縄)と鹿児島実(鹿児島)の隣県対決が発生していた。
^ なお10回毎の記念大会は、更に埼玉県、千葉県、神奈川県、愛知県、大阪府、兵庫県、福岡県の7府県も含む。
^ 当初、準々決勝の分割開催を初めて導入の予定だった第85回記念大会は、3日間雨天順延となった影響により準々決勝は1日4試合一括で開催した。その為に事実上は、第86回大会(2004年)からの採用となっている。
^ 毎日新聞社主催の選抜高等学校野球大会では行われない(なお同社主催の全国高等学校ラグビーフットボール大会では行われている)。
^ 第77回大会(1995年)から第92回大会(2010年)までは8:30開始。
^ 第93回大会(2011年)と、第94回大会(2012年)は8:00開始。選抜高等学校野球大会でも9:00開始。
^ 第93回大会(2011年)は9:30、第94回大会(2012年)は10:30、第95回大会(2013年)は12:00。
^ かつては「(1)8:00、(2)10:20、(3)12:40、(4)15:00」を目安として前の試合終了から20分後に次の試合を行っていた。
^ なお、早く終了した場合は予定時刻より最大15分繰り上げられる場合もある。
^ 国体出場校があるため必ずしも「高校野球生活が終わる」わけではない。
^ 2014年アジア選手権以降は投手に10番台が多くなるなど、振り分け方が変わった。
^ 日程的に出場することが困難な年があるため、全国高校選抜としては2004年・2012年・2013年・2015年に出場。
^ 最近では日本開催となった2011年に出場し優勝。2014年は準優勝。
^ 2012年の第94回大会は22日の準決勝では時差放送で行われた。23日の決勝については国内同時放送を行うが、閉会式の部分は連続テレビ小説の再放送が始まる12:45で途中飛び降りとなった。また、放送時間が正午をまたぐが、正午のニュースの国内同時放送を休止してそのまま中継放送を行なった。正午のニュースの国際放送向けの番組休止(同時放送・時差放送を問わず)はNHKワールド・プレミアムが2008年9月に一部時間帯でノンスクランブル放送を開始してからは史上初めてとなる。
^ 2011年の場合、当該試合を行っている一部の地域ではNHK Eテレ(教育テレビ)で中継を行った。
^ 編成の都合により、FMで放送を行う場合もある。
^ 試合を行っている当該地域の放送局では、12:00まで放送する場合がある。
^ 試合を行っている当該地域の放送局では、12:00まで放送する場合がある。
^ 試合を行っている当該地域の放送局では、19:00まで放送する場合がある。
^ BS朝日:以前は双方向対応連動データ放送だった。
^ 2011年は東北・兵庫、2012年は九州、2013年は近畿、2014年は東海、2015年は東京・神奈川。
^ 2018年以降は同年4月1日からの分社化に伴い「朝日放送テレビ」に変更。
出典
^ 現在は二代目が使われているが、2018年夏の大会からはこれを新調し三代目の「深紅の大優勝旗」として使われている(朝日新聞2017年1月25日朝刊38面参照)。
^ 『スポーツニッポン』2012年7月11日 夏参加校が4000校割れ 年々減少で連合は31チーム
- ^ abcd「あの夏を変えた勢力図闘争! "1県1校"以前の勢力構成を振り返る 複雑で遠いゆえに尊い"甲子園への道"」『週刊ベースボール』、2012年8月20日号、pp.24-25
^ 【高校野球100年 発掘・事件史】「第1回全国大会」開催知らせず 秋田県3校で「東北予選」5県を出し抜き地区代表
^ asahi.com:高校野球「甲子園ランキング」
^ 高校野球の甲子園使用料ゼロのなぜ? Yahoo! ニュース(THE PAGE)、2015年8月18日(2016年3月27日閲覧)。
^ 1980年2月29日の参議院エネルギー対策特別委員会における力石定一法政大学教授の発言。
^ 衆議院商工委員会1990年6月8日における山本雅司資源エネルギー庁長官の答弁。
- ^ ab“伊集院光、甲子園開会式に苦言「偉い人のあいさつとかいらないって」大会運営にも問題提起(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース” (日本語). Yahoo!ニュース. https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180806-00000146-sph-ent 2018年8月7日閲覧。
^ 大羽武著『甲子園2連覇 -焼け野原から立ち上がった球児・福嶋一雄-』(朝日クリエ 2012年7月25日)。
^ “〈アルプス席〉「49」のジンクスに挑む”. 朝日新聞: p. 18面. (2010年8月13日). http://www2.asahi.com/koshien/news/OSK201008130013.html 2010年8月16日閲覧。
^ “夏の甲子園、準決勝前に休養日 選手負担減らす狙い”. 朝日新聞. (2013年4月25日). http://www.asahi.com/koshien/news/OSK201304250014.html 2013年4月26日閲覧。
^ 夏の甲子園、今年から準々決勝翌日を休養日に(読売新聞 2013年4月25日)
^ “組み合わせ抽選、3回戦まで決定 安全対策で”. 毎日新聞. (2017年4月20日). https://mainichi.jp/koshien/articles/20170420/k00/00m/050/062000c 2017年8月8日閲覧。
^ 全国高校野球開幕 本社ヘリからボール投下 第145回全国高校野球選手権大会の開幕試合 朝日新聞デジタル 2012-08-09
^ 朝日新聞デジタル 2015年4月13日
^ “スタンドも選手も監督も 長崎原爆の日、試合中に黙祷 第98回全国高校野球・第3日”. 朝日新聞デジタル. http://www.asahi.com/articles/DA3S12504538.html 2016年8月10日閲覧。
^ “長崎商、試合中に黙とう「一番大事な日」”. スポーツ報知. http://www.hochi.co.jp/baseball/hs/20160810-OHT1T50021.html 2016年8月10日閲覧。
^ 「野球の国から」高校野球編 シリーズⅣ ヒストリー『選手宣誓』① - 日刊スポーツ大阪本社版、2018年4月11日付5面
^ 山形県高野連-高野連通達平成12年変更分
^ “夏の甲子園、外野席を有料化へ 清宮フィーバーが契機 事故防止が狙い”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2018年1月25日). https://www.daily.co.jp/baseball/2018/01/25/0010926545.shtml 2018年1月26日閲覧。
- ^ ab深紅の大優勝旗、100回大会に合わせ新調 18年夏の甲子園
^ 夏の甲子園100回記念、優勝旗3代目へ
^ 「深紅の大優勝旗」3代目に 夏の甲子園100回記念
^ 深紅の大優勝旗、100回大会へ新調 夏の全国高校野球
^ 『日刊スポーツ』2012年8月11日21面
^ NHK大阪放送局・七十年史編集委員会 『こちらJOBK -NHK大阪放送局七十年-』 NHK大阪放送局、1995年、148-149頁。
^ 第13回全国中等学校優勝野球大会 -NHKアーカイブス(動画・静止画)
^ NHKラジオのradiko.jp配信、4月12日正午から全国へ拡大,AV Watch,2018年3月22日
^ ラジコでNHKラジオが聴ける4月12日(木)より、全国を対象に2018年度の実験配信を開始,株式会社radiko,2018年3月22日
^ スカイ・Aのリリース
^ 甲子園めざす球児を応援、ダンスCM制作 107人参加 - 「バーチャル高校野球」2016年6月8日19時21分配信
^ 朝日放送・朝日新聞社の共同事業により高校野球の新オンラインメディアが誕生「バーチャル高校野球」2015 年 7 月中旬より提供開始 朝日放送株式会社 2015年5月11日
^ 「バーチャル高校野球」が「SPORTS BULL(スポーツブル)」にて地方大会709試合のライブ中継をスタート 朝日新聞社 2018年7月3日
関連項目
- 選抜高等学校野球大会
- 明治神宮野球大会
外部リンク
- 公益財団法人 日本高等学校野球連盟
- 朝日新聞>高校野球の総合情報サイト
- 朝日新聞>高校野球の総合情報サイト>甲子園ランキング
- 朝日新聞>高校野球の総合情報サイト>過去大会アーカイブ
- 朝日新聞>高校野球の総合情報サイト>甲子園 過去の戦績
- 毎日新聞>全国高校野球選手権大会
- NHK>高校野球
甲子園TV実況チャンネル - ニコニコチャンネル
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