竹南鎮
別称: 中港 | |
竹南后厝龍鳳宮 | |
地理 | |
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位置 | 北緯24°41' 東経120°51' |
面積: | 37.5592 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 竹南鎮 |
日本語読み: | ちくなん |
漢語拼音: | Zhúnán |
通用拼音: | Jhúnán |
注音符号: | ㄓㄨˊ ㄋㄢˊ |
片仮名転写: | チューナン |
台湾語: | Tek-lâm |
客家語: | Tsuk-nàm |
行政 | |
行政区分: | 鎮 |
上位行政区画: | 苗栗県 |
下位行政区画: | 23里518鄰 |
政府所在地: | - |
竹南鎮長: | 康世明 |
公式サイト: | 竹南鎮公所 |
情報 | |
総人口: | 84,522 人(2016年1月) |
世帯数: | 27,887 戸(2016年1月) |
郵便番号: | 350 |
市外局番: | 037 |
竹南鎮の木: | - |
竹南鎮の花: | - |
竹南鎮の鳥: | - |
竹南鎮(ちくなんちん)は、台湾苗栗県の鎮。
目次
1 地理
2 歴史
3 経済
4 行政区
5 歴代鎮長
6 教育
6.1 高級中学
6.2 国民中学
6.3 国民小学
7 交通
8 観光
9 著名な出身人物
10 出典
11 関連項目
地理
歴史
竹南鎮では鄭成功時代から時期から既に漢人が平埔族の間に雑居していた。漢人による竹南開拓の記録としては、1711年に佃漳人の張徽揚が海口、公館仔の『公館里』、塩館前の『開元里』を設置したことから始まる。1723年、淡水庁は中港庄を設置した際には、各地の村落が既に原型が成立していたと考えられている。道光年間中期になると竹南は貿易により大いに発展をし、中港は台湾北部の重要な拠点となった。しかし咸豊年間になると突然大砂丘が出現し、家屋、田地の大半が埋没してしまった。1786年になると中港社が現在の中港里に移転してからは、竹南地区の人口は増加を見るようになり、中港旧街が形成された。早期の竹南はこの中港社を基礎に発展した。漢人が大量に入植すると、原住民と小作契約が結ばれるようになり、周囲の農地が開発された。しかし鉄道が開通すると商業の中心は竹南社区に移り、中港保三角店荘渡渉去るようになった。1920年に舊堡名を取り三角店街から竹南と改称された[1]。
経済
行政区
里 |
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公義里、頂埔里、大埔里、崎頂里、山佳里、佳興里、龍鳳里、天文里、龍山里、聖福里、竹興里、中港里、中美里、中英里、中華里、開元里、照南里、竹南里、正南里、海口里、港墘里、営盤里、大厝里、新南里、公館里 |
歴代鎮長
代 | 氏名 | 任期 |
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教育
高級中学
- 苗栗県立竹南高級中学
- 私立君毅高級中学
国民中学
- 苗栗県立竹南国民中学
- 苗栗県立照南国民中学
国民小学
- 苗栗県立竹南国民小学
- 苗栗県立照南国民小学
- 苗栗県立新南国民小学
交通
種別 | 路線名称 | その他 |
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鉄道 | 縦貫線 (北段)/台中線/海岸線 (台湾) | 竹南駅 |
鉄道 | 縦貫線 (北段) | 崎頂駅 |
高速道路 | フォルモサ高速公路 | 香山IC 西濱IC 竹南IC |
省道 | 台1線 | |
省道 | 台13線 | |
省道 | 台61線 | 西濱快速道路 |
観光
- 中港慈裕宮
- 后厝龍鳳宮
- 竹南運動公園
- 竹南蛇窯
- 竜鳳漁港
中港渓堤防- 中港渓マングローブ群落
- 崎頂
- 竹南五穀宮
著名な出身人物
- 李瑞漢
- 黃國元
- 林炎呈
- 林郁翔
- 洪雨迪
出典
^ 水越幸一「市郡の區域稱呼其所在地並街庄の稱呼等に就て」『臺灣時報』第十六號、大正九年、一四一頁。
関連項目
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