ワイタンギ条約
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ワイタンギ条約(ワイタンギじょうやく、Treaty of Waitangi, マオリ語: Te Tiriti o Waitangi)とは1840年2月6日、ニュージーランド北島ワイタンギにおいて、当時武力衝突が絶えなかった先住民族マオリ族とイギリス王権との間で締結された条約のこと。
- 全てのマオリ族は英国女王の臣民となりニュージーランドの主権を王権に譲る。
- マオリの土地保有権は保障されるが、それらの土地は全てイギリス政府へのみ売却される。
- マオリはイギリス国民としての権利を認められる。
という一見緩やかなものだった。しかしながら条約を英語からマオリ語に翻訳した訳文に問題があり、21世紀に入った今日においても、マオリ族の権利の問題として議論が絶えない。例えば「主権」(sovereignty) を表すマオリ語が存在しなかったため、マオリ語の造語「カワナタンガ」(kawanatanga) を使った。だがその造語は英語に訳して「主権」よりも「支配」(governance) に近かった。このような経緯から、マオリ側の認識は「全ての土地は自分達のもの」というものであり、一方で白人側は「ニュージーランドはイギリスの植民地である」と捉えていた。
このため、1843年から30年間続くマオリ族の反乱が起こる。反乱は鎮圧されたもののニュージーランド政府はその後100年にわたり問題を放置、1975年に至りワイタンギ審判所が創立され、ワイタンギ条約で認められた権利について、再度審議が開始された。その結果、一部強奪された土地を返還し、英語だけだった公用語にマオリ語を加えた。