モンテビデオ




























































































モンテビデオ
Montevideo
ウルグアイの旗


空から見たモンテビデオ
空から見たモンテビデオ





モンテビデオの市章

市章


愛称 : モンテビデオ、汝の館 (Montevideo, tu casa)
位置

の位置図

座標 : 南緯34度53分0秒 西経56度10分0秒 / 南緯34.88333度 西経56.16667度 / -34.88333; -56.16667
歴史
建設

1726年
行政



ウルグアイの旗 ウルグアイ
 県

モンテビデオ県
 市

モンテビデオ
市長
ダニエル・マルティネス
地理

面積
 
  市域
194 km2
  都市圏
1,350 km2

標高
43 m
人口

人口
(2011年現在)
  市域
1,305,082人
    人口密度
  6,726人/km2
  市街地
1,719,453人
  都市圏
1,947,604[1][2]
  備考
[3]
その他

等時帯

ウルグアイ時間 (UTC-3)
郵便番号
10000
市外局番
+02

公式ウェブサイト : www.montevideo.gub.uy

モンテビデオ(スペイン語: Montevideo [monteβiˈðe.o])は、ウルグアイの首都。モンテビデオ県の県都でもある。メルコスールの事務局が置かれている。同国南部[n 1]、ラ・プラタ川の河口左岸に位置する最大の都市で、2011年の人口は約130万人である。ウルグアイ最大の貿易港を有し、温暖な気候で知られる。


ポシートス、ブセオ、マルビン、プラシャ・デ・ロス・イングレセス(イギリス人の砂浜)、プラシャ・ベルデ(緑の砂浜)、プンタ・ゴルダ(太い岬)、カラスコなどの美しいビーチがあり、その他にも観光地として多くの記念碑や博物館、歴史的建造物や通りがある。マーサー・ヒューマンリソースコンサルティングによると、ラテンアメリカで最も生活の質が高い都市とされている[4](ブエノスアイレスとサンティアゴ・デ・チレが続く)。




目次






  • 1 歴史


    • 1.1 地名の由来


    • 1.2 初期の歴史


    • 1.3 20世紀以降




  • 2 地理


    • 2.1 気候




  • 3 区域


  • 4 人口


  • 5 交通


  • 6 教育


  • 7 スポーツ


  • 8 観光


  • 9 姉妹都市


  • 10 関連項目


  • 11 脚注


  • 12 出典


  • 13 外部リンク





歴史



地名の由来


由来には諸説あるが、いずれの説も山を意味する「モンテ」がモンテビデオ湾の西岸にそびえる「モンテビデオの丘(現フォルタレーザ・デル・セロ)」を指すことについては共通している。しかし、ビデオの語源をめぐっては、以下のように複数の説がある[5]



  • Monte Ovidio説 - 現在のモンテビデオの丘に対して聖オヴィディオ山(Monte Ovidio)と命名されたとする説。市の観光案内では、これが採用されている[6]

  • Monte vide eu説 - フェルディナンド・マゼランの艦隊がこの土地を見つけた際にポルトガル語で「Monte vide eu(我、山を見たり)」と述べたとする説。

  • Monte VI De Este a Oeste説 - スペイン人がこの土地を地図に記す際に「Monte VI De Este a Oeste(東から西に向けて六番目の山)」と記し、それの頭文字が略されたとする説。



初期の歴史




モンビデオの丘からみた市街地(1865年)





1888年のモンテビデオ


1516年にフアン・ディアス・デ・ソリスがここを訪れたが、チャルーア族に殺害された。1624年に、現在のモンテビデオの地にグアラニー族を対象とするイエズス会伝道所が建設された。


その後、1680年にポルトガル人が、今のモンテビデオの西にコロニア・デル・サクラメントを建設する。その後、スペイン人はトルデシリャス条約を持ち出してポルトガル人と戦い、1720年にサンホセ要塞が建設された。1726年に、ブエノスアイレス総督のブルーノ・マウリシオ・デ・サバーラがサンホセ要塞を拡大して、都市サン・フェリペ・イ・サンティアゴ・デ・モンテビデオ(San Felipe y Santiago de Montevideo)を建設する。これが現在のモンテビデオ市の基礎となった。


1828年にウルグアイが独立すると、その首都となった。


1832年7月26日から8月19日まで、チャールズ・ダーウィンの乗ったイギリス海軍のビーグル号が投錨した。ダーウィンはここを拠点にして、モンテビデオ一帯の調査旅行を行っている。彼はバイア・ブランカ(アルゼンチン)に近いプンタ・プラタで、巨大な化石貧歯類メガテリウムの、歯の一本ついた顎骨を発見した[7]。ビーグル号は第1回の測量調査を終えて1832年11月14日から27日までの間、2回目の停泊をしている。この間にダーウィンは、チャールズ・ライエルの『地質学原理』第2巻を受け取っている[8]


19世紀から20世紀のはじめまで、モンテビデオはアルゼンチンとブラジルの影響を回避するためにイギリスの強力な影響下で発展し、1869年には内陸に向かう鉄道が開通した。




20世紀以降




独立広場(1900年)


1860年に5万7913人だった人口は、多くの移民を迎えて、1884年には10万4472人になった。移民の大半はスペインとイタリアの出身者であったが、中欧からも多くの移民を受け入れた。1930年にはFIFAワールドカップが開催され、初代優勝国の栄冠を勝ち取った。


1939年12月13日、プンタ・デル・エステ沖に現れたドイツ海軍のポケット戦艦グラーフ・シュペーをイギリス海軍が追撃し、ラプラタ沖海戦が起きた。海戦の後、艦長のハンス・ラングスドルフ大佐はモンテビデオに退避した。この間にウルグアイの中立を巡るドイツ・イギリス・ウルグアイの外交戦が繰り広げられ、この町は一躍世界的に有名になった。ウルグアイは親英的な立場で中立を貫き、シュペー号は72時間の停泊の後、12月17日にモンテビデオ港外で自沈した。


1950年代には人口が90万人近くに達したが、その頃から経済停滞に苦しみ、さらに軍事政権(1973-85年)下の混乱の影響もあって街は衰退し、その後遺症は現在まで続いている。多くの貧しい地方出身者が都市に溢れ、特に旧市街に集中した。2002年にはブラジル、アルゼンチンから波及した経済危機により貨幣価値が下落、物価が高騰した。


2004年には135万人近い人口を数え、大モンテビデオ都市圏を含めると180万人になる。近年の経済回復と隣国との強力な貿易上の結びつきによって、ウルグアイの農業は発展してきており、将来の繁栄が望まれている。



地理


ラプラタ川が大西洋に流れ込む河口部の左岸に位置する。





テレコムニカシオネス塔から見たモンテビデオ



気候


温暖湿潤気候に属し、一年を通して降水がある。





































































































































































モンテビデオ (1961–1990)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

最高気温記録 °C (°F)
42.8
(109)
40.3
(104.5)
38.4
(101.1)
36.7
(98.1)
32.0
(89.6)
27.4
(81.3)
29.8
(85.6)
30.8
(87.4)
32.0
(89.6)
35.8
(96.4)
38.2
(100.8)
40.8
(105.4)
42.8
(109)
平均最高気温 °C (°F)
28.4
(83.1)
27.5
(81.5)
25.5
(77.9)
22.0
(71.6)
18.6
(65.5)
15.1
(59.2)
15.0
(59)
16.2
(61.2)
18.0
(64.4)
20.5
(68.9)
23.7
(74.7)
26.5
(79.7)
21.4
(70.5)
日平均気温 °C (°F)
23.0
(73.4)
22.5
(72.5)
20.6
(69.1)
17.2
(63)
14.0
(57.2)
11.1
(52)
10.9
(51.6)
11.7
(53.1)
13.4
(56.1)
16.0
(60.8)
18.6
(65.5)
21.3
(70.3)
16.7
(62.1)
平均最低気温 °C (°F)
18.0
(64.4)
17.9
(64.2)
16.2
(61.2)
12.9
(55.2)
10.2
(50.4)
7.7
(45.9)
7.2
(45)
7.8
(46)
9.1
(48.4)
11.5
(52.7)
14.2
(57.6)
16.3
(61.3)
12.4
(54.3)
最低気温記録 °C (°F)
6.0
(42.8)
6.8
(44.2)
3.8
(38.8)
1.3
(34.3)
−2.0
(28.4)
−5.6
(21.9)
−5.0
(23)
−3.8
(25.2)
−2.4
(27.7)
−1.5
(29.3)
2.5
(36.5)
5.0
(41)
−5.6
(21.9)

降水量 mm (inch)
86.8
(3.417)
101.5
(3.996)
104.6
(4.118)
85.5
(3.366)
89.0
(3.504)
83.1
(3.272)
86.4
(3.402)
88.2
(3.472)
93.9
(3.697)
108.5
(4.272)
89.3
(3.516)
84.4
(3.323)
1,101.2
(43.354)
平均降水日数 (≥ 1.0 mm)
6
7
6
6
6
7
7
6
6
7
7
6
77
% 湿度
68
69
73
75
78
82
80
77
74
71
71
67
74
平均月間日照時間
294.9
230.6
222.8
179.6
164.2
129.7
139.7
164.4
182.3
239.0
248.9
285.3
2,481.4

出典: Dirección Nacional de Meteorología (extremes 1901–1994)[9]World Meteorological Organization (precipitation data)[10]


区域



モンテビデオの地区



モンテビデオ周辺のランドサット写真


市街は下記の地区に分かれる。









  1. 旧市街 Ciudad Vieja


  2. セントロ Centro


  3. バリオ・スール Barrio Sur(南地区)


  4. ラ・アグアダ La Aguada


  5. ビジャ・ムニョス es:Villa Muñoz, Goes


  6. コルドン Cordón


  7. パレルモ Palermo


  8. ロドー公園 es:Parque Rodó


  9. トレス・クルーセス Tres Cruces


  10. ラ・コメルシアル La Comercial


  11. ララニャーガ Larrañaga


  12. ラ・ブランケアーダ La Blanqueada


  13. Parque Batlle, Villa Dolores


  14. ポシートス Pocitos


  15. プンタ・カレータス Punta Carretas


  16. ウニオン Unión


  17. ブセオ Buceo


  18. マルビン Malvín


  19. マルビン・ノルテ Malvín Norte


  20. ラス・カンテーラス Las Canteras


  21. プンタ・ゴルダ Punta Gorda




  1. カラスコ(モンテビデオ) es:Carrasco (Montevideo)

  2. カラスコ・ノルテ es:Carrasco Norte

  3. バニャードス・デ・カラスコ es:Bañados de Carrasco

  4. フロール・デ・マローニャス es:Flor de Maroñas

  5. マローニャス es:Maroñas, es:Parque Guaraní

  6. ビジャ・エスパニョーラ Villa Española

  7. イトゥサインゴ Ituzaingó

  8. カストロ・カステジャーノス es:Castro Castellanos (Pérez Castellanos)

  9. メルカド・モデーロ es:Mercado Modelo, Bolívar

  10. ブラソ・オリエンタル es:Brazo Oriental

  11. ハシント・ベラ(モンテビデオ) Jacinto Vera

  12. ラ・フィグリータ es:La Figurita

  13. レドゥクト Reducto

  14. カプーロ es:Capurro, Bella Vista, Arroyo Seco

  15. プラド(モンテビデオ) (El) Prado, Nueva Savona

  16. アタワルパ(モンテビデオ) Atahualpa

  17. アイレス・プーロス es:Aires Puros

  18. パソ・デ・ラス・ドゥラーナス es:Paso de las Duranas

  19. ベルベデーレ Belvedere

  20. ラ・テハ es:La Teja

  21. トレス・オンブーエス es:Tres Ombúes, es:Pueblo Victoria




  1. ビジャ・デル・セーロ セーロ

  2. カサボー es:Casabó, es:Pajas Blancas

  3. ラ・パロマ La Paloma, Tomkinson

  4. パソ・デ・ラ・アレーナ es:Paso de la Arena

  5. ヌエボ・パリス es:Nuevo París

  6. コンシリアシオン Conciliación

  7. サジャーゴ サシャゴ

  8. ペニャロール ラバジェーハ ペニャロール, Lavalleja, 40 Semanas

  9. ビジャ・コロン (Villa) Colón Centro y Noroeste

  10. レシカ es:Lezica, es:Melilla

  11. ビジャ・コロン東南 (Villa) Colón Sudeste, es:Abayubá

  12. マンガ(モンテビデオ) トレード・チコ Manga, es:Toledo Chico

  13. カサバージェ es:Casavalle

  14. セリート・デ・ラ・ビクトーリア es:Cerrito de la Victoria

  15. ラス・アカシアス Las Acacias

  16. ハルディーネス・デル・イポードロモ es:Jardines del Hipódromo

  17. ピエドラス・ブランカス Piedras Blancas

  18. マンガ(モンテビデオ) Manga

  19. プンタ・デ・リエーレス ベージャ・イターリア es:Punta de Rieles, es:Bella Italia

  20. ビジャ・ガルシーア Villa García, Manga




人口


1860年、モンテビデオ市街の人口は57,913人だった[11]


2016年現在、モンテビデオ市街の人口は約1,349,000人であるが、モンテビデオ大都市圏全体では1,814,400人が住んでいることになる。モンテビデオ市民はヨーロッパ人の影響を特に強く受けており、イタリア系、スペイン系の家系が最も一般的だが、その一方でアフリカ系ウルグアイ人の家系やユダヤ人の共同体の存在も重要である。
モンテビデオにはおおまかに言って国民の約44%が居住しており、モンテビデオの郊外と言っても良いカネロネス県は約12%を占めている。



交通




モンテビデオ港


市民の足としては、もっぱらバスとタクシーが使われている。


近隣諸国や国内各地への主な交通手段は、長距離バスや、ブケブス社によるラプラタ川を運航する船舶の他に、航空機が利用されており、近郊にあるカラスコ国際空港が使用されている。だが、同空港には長距離国際線がそれほど就航していないため、欧米など遠くに行く場合には隣国ブラジル・サンパウロにあるグアルーリョス国際空港、アルゼンチン・ブエノスアイレス郊外にあるエセイサ国際空港が利用されることも多い。



教育


共和国大学などのウルグアイの主要教育機関が集中する。



スポーツ




エスタディオ・センテナリオ


モンテビデオ市民にとって、最も親しみのあるスポーツはサッカーである。1930年にはエスタディオ・センテナリオで世界初のFIFAワールドカップが開催された。この1930 FIFAワールドカップでロス・チャルーアズ(ウルグアイ代表チームの愛称)は勝利を飾り、ウルグアイは初代優勝国となった。国内リーグにおいては、ペニャロール、ナシオナル・モンテビデオなどのクラブチームが熱い戦いを繰り広げている。


その他、バスケットボールや競馬なども盛んである。



観光




ポシトス


主にアルゼンチンとブラジルから観光客がやって来る。ポシトスや旧市街が観光地として有名である。


1月から2月にかけては、約1ヶ月にわたりカーニバルの期間となる。特に2月上旬(年により変動)に2日間にわたって行なわれるジャマーダス (Llamadas) では、数十組の打楽器奏者やダンサーがパレードを行い、モンテビデオは賑わいを見せる。



姉妹都市









アフリカ


西サハラの旗 アイウン、西サハラ (2009年12月13日) [12]


スペインの旗 メリリャ、スペイン (2008年) [13]

アメリカ州


アルゼンチンの旗 ベリッソ、アルゼンチン (2011年6月6日)


アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス、アルゼンチン


アルゼンチンの旗 コルドバ、アルゼンチン


アルゼンチンの旗 フルリンガム、アルゼンチン


アルゼンチンの旗 ラ・プラタ、アルゼンチン


アルゼンチンの旗 マル・デル・プラタ、アルゼンチン


アルゼンチンの旗 ロサリオ、アルゼンチン (1998年6月1日) [14]


ボリビアの旗 コチャバンバ、ボリビア


ボリビアの旗 コロイコ、ボリビア


ボリビアの旗 ラパス、ボリビア


ボリビアの旗 サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ、ボリビア


ブラジルの旗 ブラジリア、ブラジル







ブラジルの旗 クリチバ、ブラジル (1990年4月10日) [15]


ブラジルの旗 リオデジャネイロ、ブラジル (1997年4月30日) [16]


ブラジルの旗 サン・パウロ、ブラジル


コロンビアの旗 ボゴタ、コロンビア


アメリカ合衆国の旗 モンテビデオ、アメリカ


アメリカ合衆国の旗 マイアミ、アメリカ


カナダの旗 ケベック、カナダ


カナダの旗 ミシサガ、カナダ

アジア


中華人民共和国の旗 青島、中華人民共和国


大韓民国の旗 蔚山広域、大韓民国 (2012年6月11日) [17]

ヨーロッパ


スペインの旗 バルセロナ、スペイン


スペインの旗 カディス、スペイン


スペインの旗 マドリード、スペイン


ロシアの旗 サンクトペテルブルク、ロシア






関連項目



  • 交換船

  • ラプラタ沖海戦



脚注





  1. ^ 南緯34度54分21.06秒 西経56度11分29.04秒 / 南緯34.9058500度 西経56.1914000度 / -34.9058500; -56.1914000に位置。




出典


[ヘルプ]




  1. ^ "...el Área Metropolitana de Uruguay nuclea a los departamentos de San José, Canelones y Montevideo..." Retrieved 10 November 2014.


  2. ^ Info censal de departamentos/Data 2011 census. Retrieved 10 November 2014.


  3. ^ “Datos Departamentales Censo 2011”. INE. 2014年2月27日閲覧。


  4. ^ International Mercer of Human Resources


  5. ^ Nelson Ormazábal. “Día del Patrimonio” (Spanish). montevideanos.com. 2010年11月17日閲覧。 “Pocas villas con deseos de ser ciudad, tuvieron tantos prenombres hasta llegar al definitivo de Montevideo. Pináculo de la Tentación, Monte de la Detención, Nuestra Señora de la Candelaria, Monte de San Pedro, Santo Vidio, Monte Seredo, Monte Vidi, Monte veo, Montem Video, Monte Vide Eu, Monte Ovidio, Monte VI D. E-O... Tales fueron, entre el viaje de Amerigo Vespucci (1501) y la fundación por Bruno Mauricio de Zabala (1726), las diversas denominaciones que la elevación al oeste de la bahía recibió.”


  6. ^ Ormazábal, Nelson. “El origen de la palabra "Montevideo"” (スペイン語). montevideanos.com. 2009年11月17日閲覧。


  7. ^ パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 37ページ


  8. ^ パトリック・トール著、平山廉監修、南條郁子、藤丘樹実訳 『ダーウィン』 《「知の再発見」双書99》 創元社 2001年 38ページ


  9. ^
    “Estadísticas climatológicas : Estacion Meteorologica Prado” (Spanish). Dirección Nacional de Meteorología. 2013年3月26日閲覧。



  10. ^
    “World Weather Information Service – Montevideo”. World Meteorological Organization. 2013年3月26日閲覧。



  11. ^ http://www.tacuy.com.uy/Servicios/Montevideo/index.htm


  12. ^ Intendencia Municipal de Montevideo. “Acta de hermanamiento entre las ciudades de Montevideo y Aaiun” (スペイン語). 2014年5月2日閲覧。


  13. ^ InfoMellilla.com (2008年4月20日). “Melilla se hermana con Montevideo para unir lazos y promocionar valores” (スペイン語). 2014年5月2日閲覧。


  14. ^ Intendencia Municipal de Montevideo. “Acuerdo de Hermanamiento entre la ciudad de Montevideo y la ciudad de Rosario” (スペイン語). 2014年4月30日閲覧。


  15. ^ Câmara Municipal de Curitiba. "Lei Municipal de Curitiba 7438 de 1990" にウィキソース (ポルトガル語)。 2014年5月2日閲覧。


  16. ^ Intendencia Municipal de Montevideo. “Hermanamiento entre la ciudad de Río de Janeiro y Montevideo” (スペイン語). 2014年5月2日閲覧。


  17. ^ Intendencia Municipal de Montevideo. “Hermanamiento con Ulsan” (スペイン語). 2014年4月30日閲覧。




外部リンク












  • 公式ウェブサイト (スペイン語)


  • 地図 - Google マップ


  • ウィキボヤージュには、モンテビデオ(スペイン語)に関する旅行情報があります。


  • ウィキボヤージュには、モンテビデオ(英語)に関する旅行情報があります。








座標: 南緯34度53分0秒 西経56度10分0秒 / 南緯34.88333度 西経56.16667度 / -34.88333; -56.16667 (モンテビデオ)







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