ウルグアイ人









































ウルグアイ人
Uruguayos

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ウルグアイの国旗




























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José Artigas


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Cayetano Alberto Silva


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ホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス


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ヘラルド・マトス・ロドリゲス


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マリオ・ベネデッティ


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Isabelino Gradín


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China Zorrilla


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Carlos Páez Vilaró


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ホセ・ムヒカ


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エドゥアルド・ガレアーノ


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エンツォ・フランチェスコリ


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ホルヘ・ドレクスレル


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バルバラ・モリ


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ディエゴ・フォルラン


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ナタリア・オレイロ


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ルイス・アルベルト・スアレス



(c. 3.5 million[1])
居住地域

ウルグアイの旗 ウルグアイ 3,286,314 (2011 Census)[2]

アルゼンチンの旗 アルゼンチン

117,564[3]

アメリカ合衆国の旗 アメリカ

48,234[4]

スペインの旗 スペイン

30,000[5]

オーストラリアの旗 オーストラリア

9,376[6]

フランスの旗 フランス

5,970

カナダの旗 カナダ

5,500[7]

ニュージーランドの旗 ニュージーランド

800-1,000[8]

ウルグアイ人(スペイン語:Uruguayos)とは、ウルグアイの国民のことである。ウルグアイという国は、異なる様々な民族の故郷となっている。その結果、ウルグアイ人は国民性というものを、民族性とではなく、市民性と同一視している。アメリカ大陸の他の多くの国と並んで、ウルグアイは異なる人々が集まる人種のるつぼである。ウルグアイは伝統的に、異なる文化が主流な文化に吸収される、異文化同化を促進するためのよいモデルであった。ウルグアイは南アメリカの中でも非常に人種の多様な国である。中でも、カスティーリャ、カタルーニャ、ガリシア、カナリアのスペイン系の民族的バックグラウンドを持つ人が多く、そしてイタリア、ポルトガル、フランスと続く。




目次






  • 1 移民の波


  • 2 人種と民族


    • 2.1 ヨーロッパ人または白人


    • 2.2 メスティーソとアメリカインディアン


    • 2.3 アフリカ人




  • 3 言語


  • 4 宗教


  • 5 文化


    • 5.1 音楽とダンス




  • 6 移民


  • 7 脚注


  • 8 関連項目





移民の波


ウルグアイは、その隣国であるアルゼンチンと同様にスペイン系の言語的、文化的な背景をもつ。さらに、アルゼンチン人と同様に、ほとんどのウルグアイ人は植民地時代のヨーロッパからの入植者や移民の子孫であり、およそ90%がヨーロッパ系の子孫である[9]。その大半はスペイン人とイタリア人であり、フランス人、ポルトガル人、ルーマニア人、ギリシャ人、ドイツ人、イギリス人(イングランド人やスコットランド人)、アイルランド人、ポーランド人[10]、スイス人、ロシア人、ブルガリア人、アラブ人(主にレバノン人とシリア人)、セファルディー・アシュケナジーのユダヤ人、そしてアルメニア人などが続く。数は少ないが日系人[11]、そして、チャルーア族、ミヌアノ族(英語版)、チャナ族、グエノア族、グアラニー族などのアメリカインディアンも存在する[12]


モンテビデオは、アルゼンチンのブエノスアイレスやブラジルのリオデジャネイロのように、ヨーロッパからやってくる船を迎える主要な港であり、ヨーロッパからの入植者はウルグアイがより西洋的文化を受け入れていくよう影響を与えた。
ヌエバエルベシア(英語版)というスイスの植民地(Nueva Helvecia-Colonia Suiza)や、コロニアヴァルデンス(Colonia Valdense)というピエモンテ州のワルドー派の植民地のような多くの植民地は、コロニア県に位置する。そしてコンチリャス(英語版)バーカー (ウルグアイ)(英語版)のような、イギリス人入植者によって創られた都市もある。リオ・ネグロ県にはサンハビエル(英語版)と呼ばれるロシアによる植民地がある。その上、リオネグロ県には、ガーテンタル(英語版)エルオンブ(英語版)のようなメノナイト植民地もある。エルオンブはよく知られたドゥルセ・デ・レチェの会社"claldy"で有名で、ヤング市(英語版)(リオネグロ県の中心地)の近くに位置する。


ヨーロッパ系の多くの移民が19世紀後半にウルグアイに到着し、モンテビデオやその他主要な都市の建築や文化に大きな影響を及ぼした。従って、モンテビデオやモンテビデオでの生活は、ヨーロッパを深く偲ばせるものがある。


近年はシリア内戦に伴うシリアからの難民を受け入れている[13][14][15][16]



人種と民族


大多数のウルグアイ人とその先祖は、アメリカインディアンを除けば、この500年ほどの間に移住してきた人々ばかりである。



ヨーロッパ人または白人


2011年の公式の国勢調査によると、ヨーロッパ系の血を引き継ぐ人々はウルグアイの人口の87.7%にのぼる[17]。初期のウルグアイ人は1810年以前の植民地時代のスペインとポルトガルからの入植者の子孫であった。アルゼンチンの人口統計と同様に、それ以降のヨーロッパからの移民は、ほとんどがイタリアやフランスからやってきており、19世紀後半から、20世紀前半にかけての大移民時代に流れ着いた。今日では、ウルグアイの文化はヨーロッパの文化から相当な影響を受け、それは言語や食事、その他の日常の側面によく表れている[18]



メスティーソとアメリカインディアン


同調査によると人口の2.4%はメスティーソ(ヨーロッパ系アメリカインディアン)を祖先にもつ[17]。このような人々はウルグアイ北部、主にタクアレンボー県にみられ、アメリカインディアン系の人がその人口の20%を占める。1996年の調査ではウルグアイ人のうち12,600人がアメリカインディアンの子孫であることが明らかにされた。2006年には、115,118人のウルグアイ人がチャルーア族というアメリカインディアンの集団の1つの血を持つことが確認され、それはウルグアイの人口の4%近くを占めた。2005年、シンティア=パガノ(Sinthia Pagano)という医学博士が遺伝子テストによって、ウルグアイ人の38%はアメリカインディアンから遺伝的に影響された形質を示す可能性があることを見つけた[19][20]



アフリカ人


ウルグアイにはアフリカ人、黒人、ムラートがおよそ209,662人おり、彼らは主にモンテビデオ県、リベラ県、アルティガス県、サルト県、セロ・ラルゴ県に住んでいる[21]。2011年の調査では、300,000人以上のアフリカ系の人がそこで暮らし、アフリカ系ウルグアイ人の80%が労働者階級以下であった[22]



言語


(ウルグアイで使用される言語は)事実上すべてのウルグアイ人が話す公用語であるスペイン語が主流であるものの、イタリア語やフランス語も広く使用されている。ブラジルとの国境付近では、ポルトガル語とスペイン語が混ざった言語であるポルトニョールやウルグアイポルトガル語が話され、ウルグアイ人が用いるポルトニョールは特に"Fronteiriço"と呼ばれる。AVメディアの標準言語はウルグアイのスペイン語であるリオプラテンセ・スペイン語である。ルンファルドもウルグアイで話される。



宗教


ウルグアイでは、正式な宗教は無く、国家と宗教は分離している。つまり宗教の自由が保障されている。多くのウルグアイ人は子どもに洗礼を施し、ローマカトリック教会で結婚する。2006年の調査では、ローマカトリックが代表的な宗教であり、人口の47.1%を占め、11.1%がカトリックキリスト教信者ではないことを主張し、0.3%がユダヤ教信者であった。およそ40.4%は無宗教であると明言した[23]。ユダヤ人のコミュニティは、モンテビデオに集中しており(その都市の約1%)、ムスリムや正教会のコミュニティも同様である[24]。プロテスタントとペンテコステは優位を占め、その割合はともにモンテビデオの人口の11.1%である[25]。これらは、ウルグアイのメソジスト教会、新使徒教会(英語版)[26]、アングリカン・コミュニオン[27]、ウルグアイの福音派バプテスト教会、ラプラタ福音派教会[28]ワルドー福音派教会(英語版)[29]ユナイテッド福音ルーテル教会(英語版)[30]、そしてセブンスデー・アドベンチスト教会である[31]。ペンテコステは、神の王国ユニバーサルキリスト教会(英語版)[32]、ディオス・エス・アモル(Dios es Amor)[33]、ペンテコスタルナシエンテ(Pentecostal Naciente)[34]、そしてアッセンブリーズ・オブ・ゴッドである[35]。モンテビデオの中でも相当大きいアルメニアのコミュニティでは有力な宗教はキリスト教、特にアルメニア教会キリスト教[36]とアルメニア福音派教会である[37]


政治評論家はウルグアイはアメリカ大陸の中で最も非宗教的な国であると考えている[38]。アフリカ系ブラジル人の宗教である"Quinbanda"(en:Quimbanda)やカンドンブレ、"Umbanda"(en:Umbanda)などと並んで、バハーイー教も信仰されている[39]



文化


現代のウルグアイ文化は、その人々が様々な文化を起源にもつため、多様性が見られる。ウルグアイは芸術や文学の素晴らしい伝統を昔から受け継いでいる。スペインやポルトガル、また他の多様な移民、イタリア、フランス、ルーマニア、ギリシャの入植者が代わる代わるやって来たことで、この多様性はアメリカインディアンとアフリカの要素と統合された伝統を形成してきた。ウルグアイには数百年前の遺跡や植民地時代の要塞が残っている。都市部には多くの建築遺産もあり、また数多くの作家、芸術家、音楽家が暮らす。アフリカの影響を受けたことを示す最も重要な例は黒人奴隷時代に生まれたカンドンベという儀式である。チャルーア族やグアラニー族の伝統は、国を代表する飲み物であるマテ茶にみられる。ウルグアイとアルゼンチンはともに伝統的なガウチョの血を引き継いでいる(スペインのアンダルシア州に起源を持つ)。



音楽とダンス


ウルグアイの音楽は多くの地方の音楽ジャンルをもつ。最も特筆すべきは、タンゴやムルガ、ミュージカルの形式、カンドンベ、そして毎年カーニバルの時期に盛り上がるアフリカ系ウルグアイの音楽である。また、スペインから発祥し、たくさんのヒスパニックの国々のそれらと似た形式をもつ、民謡のギターソングであるミロンガというものもある。有名なタンゴの歌手であるカルロス・ガルデルはフランスのトゥルーズに生まれ、ブエノスアイレスで育ったが、大人になった彼はフランス軍当局から逃れるためであろうか、ウルグアイのタクアレンボーに生まれたことを証明する法的文書を手にした[40][41][42][43]。ロックやジャズ、その他の多くのジャンルを含むウルグアイで人気の音楽は、以上に述べた様々な音楽と確かに関係がある。1960年代のビートルズの模倣者たちのグループはウルグアイのロック界に火をつけたバンドとして特記に値する。



移民


ウルグアイからヨーロッパへの移住者の割合は、スペイン、イタリア、フランス、ポルトガルが特に高い。アメリカ大陸では、移民の行先はほとんどがアメリカ、カナダ、アルゼンチン、そしてその他の近隣国であるブラジルやチリである。オセアニアでは、オーストラリアがほとんどで、それほどではないが、ニュージーランドに移住する人もいる。



脚注





  1. ^ Resultados del Censo de Población 2011: población, crecimiento y estructura por sexo y edad ine.gub.uy


  2. ^ Resultados del Censo de Población 2011: población, crecimiento y estructura por sexo y edad ine.gub.uy


  3. ^ Argentina 2001 Census. (PDF)”. 2011年11月10日閲覧。


  4. ^ pewhispanic.org (PDF)”. 2011年11月10日閲覧。


  5. ^ http://www.elobservador.com.uy/de-cuatro-seis-uruguayos-son-rechazados-espana-cada-mes-n302964


  6. ^ “2006 Australian Census.”. 2011年11月10日閲覧。


  7. ^ Statistics Canada. “2011 National Household Survey: Data tables”. 2014年3月9日閲覧。


  8. ^ MercoPress (2008年10月29日). “Uruguay's diaspora 700,000, approx. 21.1% of total population”. 2014年8月29日閲覧。


  9. ^ Área de Historia de la Biblioteca Virtual Miguel de Cervantes. “Constituciones Hispanoamericanas – Constituciones – Uruguay”. Cervantesvirtual.com. 2010年6月26日閲覧。


  10. ^ Wojciech Tyciński, Krzysztof Sawicki, Departament Współpracy z Polonią MSZ (Warsaw, 2009). "Raport o sytuacji Polonii i Polaków za granicą (The official report on the situation of Poles and Polonia abroad)" (PDF file, direct download 1.44 MB). Ministerstwo Spraw Zagranicznych (Ministry of Foreign Affairs of Poland). pp. 1–466. Retrieved 14 June 2013 (Internet Archive).


  11. ^ Tanaka, Naoki (1990). 南米ウルグアイ東方共和国日本人移住史年表 Nanbei Uruguay Tōhō Kyōwakoku Nihon-jin Ijūshi Nenpyō / Chronological history of Japanese Immigration in South America's Eastern Republic of Uruguay. OCLC 673507909. 


  12. ^ “Pijao Fabre, Alain (2005): Diccionario etnolingüístico y guía bibliográfica de los pueblos indígenas sudamericanos.”. 2013年2月6日閲覧。


  13. ^ “「最も貧しい大統領」の温情がアダ…南米小国が助けたシリア難民「出国させろ」の皮肉”. 産経新聞. (2015年11月10日). オリジナルの2016年8月15日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20160815175752/http://www.sankei.com/west/news/151110/wst1511100004-n1.html 


  14. ^ “「最も貧しい大統領」の温情がアダ…南米小国が助けたシリア難民「出国させろ」の皮肉”. 産経新聞. (2015年11月10日). オリジナルの2016年3月20日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20160320155719/http://www.sankei.com:80/west/news/151110/wst1511100004-n2.html 


  15. ^ “「最も貧しい大統領」の温情がアダ…南米小国が助けたシリア難民「出国させろ」の皮肉”. 産経新聞. (2015年11月10日). オリジナルの2016年2月20日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20160220220316/http://www.sankei.com:80/west/news/151110/wst1511100004-n3.html 


  16. ^ “「最も貧しい大統領」の温情がアダ…南米小国が助けたシリア難民「出国させろ」の皮肉”. 産経新聞. (2015年11月10日). オリジナルの2016年2月19日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20160219233936/http://www.sankei.com:80/west/news/151110/wst1511100004-n4.html 

  17. ^ abAtlas Sociodemografico y de la Desigualdad en Uruguay , 2011: Ancestry (PDF)” (Spanish). National Institute of Statistics. 2017年1月1日閲覧。


  18. ^ http://www.everyculture.com/To-Z/Uruguay.html


  19. ^ Da Silva Villarrubia, Santiago Katriel (2011年7月14日). “Dra. Sinthia Pagano. Un Estudio Detectó 38% de Sangre Aborigen en la Población Uruguaya - En Uruguay hay 115.118 descendientes de indígenas” (Spanish). Mario Delgado Gérez. LaRed21 Comunidad. 2013年2月6日閲覧。


  20. ^ Da Silva Villarrubia, Santiago Katriel (2011年8月27日). “Censo 2011. Organizaciones Sociales Llaman a Decir "Sí" Para Reconocer sus Etnias - Censo: afrodescendientes e indígenas hacen campaña” (Spanish). Matías Rotulo. LaRed21 Comunidad. 2013年2月6日閲覧。


  21. ^ “www.afrolatinos.tv Uruguay”. Afrolatinos.tv. 2011年11月10日閲覧。


  22. ^ Da Silva Villarrubia, Santiago Katriel. “Afros e indígenas procuran que el censo "haga visibles" sus realidades” (Spanish). 2013年2月6日閲覧。


  23. ^ Uruguay statistics


  24. ^ “Arquidiócesis Ortodoxa Griega de Buenos Aires y Sudamérica”. Ortodoxia.com. 2011年11月10日閲覧。


  25. ^ “Iglesia Metodista en el Uruguay”. Imu.org.uy. 2011年11月10日閲覧。


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  28. ^ “Iglesia Evangélica del Río de la Plata”. Iglesiaevangelica.org. 2011年11月10日閲覧。


  29. ^ “Iglesia Evangélica Valdense – Inicio”. Iglesiavaldense.org. 2011年11月10日閲覧。


  30. ^ “Luterana Unida – Inicio”. Ielu.org. 2011年11月10日閲覧。


  31. ^ “Unión Adventista Uruguaya”. Iglesiaadventista.org.uy. 2011年11月10日閲覧。


  32. ^ “Hoguera Santa – Monte Sinai”. Paredesufrir.com.uy. 2011年11月10日閲覧。


  33. ^ La Voz de la Liberación. “:::: Iglesia Dios es Amor – Uruguay::::”. Ipda.org.uy. 2011年11月10日閲覧。


  34. ^ http://www.ipuruguay.org/


  35. ^ “Bienvenidos”. Lasasambleasdedios.org. 2011年11月10日閲覧。


  36. ^ 1/0 Technology Corp. – Paul R. Williams, John BUDDAY Running. “Armenian General Benevolent Union – Publications”. Agbu.org. 2011年11月10日閲覧。


  37. ^ Natalia Barrios Guida – T.: (5982) 509 1277 / 099 247423. “Bienvenidos al Portal de los Armenios en Sudamérica”. Armenia.com.uy. 2011年11月10日閲覧。


  38. ^ [27]


  39. ^ “La Sociedad Civil en línea”. Lasociedadcivil.org. 2011年11月10日閲覧。


  40. ^ Verónica Dema (2012年9月20日). “Fin del misterio: muestran la partida de nacimiento de Gardel” [End of the mystery: they show Gardel's birth certificate] (Spanish). La Nación. 2012年10月3日閲覧。


  41. ^ Collier, Simon (1986). The Life, Music, and Times of Carlos Gardel. University of Pittsburgh Press. p. 5. ISBN 0822984989. https://books.google.com/books?id=DNIOichSZasC&pg=PA5. 


  42. ^ Barsky, Julián; Barsky, Osvaldo (2004) (Spanish). Gardel: La biografía. Taurus. ISBN 9870400132. 


  43. ^ Ruffinelli, Jorge (2004) (Spanish). La sonrisa de Gardel: Biografía, mito y ficción. Ediciones Trilce. p. 31. ISBN 9974323568. https://books.google.com/books?id=ZVfIus_mXzAC&pg=PA31. 




関連項目


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