レバノン軍団
レバノン軍団 القوات اللبنانية | |
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党首 | サミール・ジャアジャア |
創立者 | バシール・ジェマイエル |
創立 | 1974年 (1974) |
本部所在地 | Maarab, Keserwan, レバノン |
政治的思想 | 連邦主義 キリスト教民主主義 自由保守主義 |
政治的立場 | 中道右派 |
宗教 | キリスト教マロン派 |
国内連携 | March 14 Alliance |
国際連携 | 国際民主同盟 |
公式サイト | |
www.lebanese-forces.com |
レバノン軍団(レバノンぐんだん Lebanese Forces:LF)は、レバノンにおけるキリスト教マロン派の民兵組織・右派政党である。
目次
1 概要
2 脚注・出典
3 関連項目
4 外部リンク
概要
レバノン内戦中の1976年9月に、ファランヘ党の若手指導者であったバシール・ジェマイエルにより、同党の青年部隊、同党との権力闘争に敗れたレバノン国民運動の民兵組織「タイガースミリシア」、さらには「レバノン杉の防衛隊(Guardians Of The Cedars)」等の中小の民兵組織、マロン派教会の武装部隊(若手の神父や修道士らが参加)を合同させて成立した。
1976年以来、レバノン内戦に介入するシリアに反発する姿勢を示し、ファランヘ党と共にフェニキア主義を主張した。バシールはマロン派若者層にカリスマ的人気があるとともに、反シリア・PLOという立場からイスラエルとも強いつながりを持っていた。同軍団にはイスラエルが軍事顧問を派遣するなど強力に支援し、1982年のイスラエルによるレバノン侵攻作戦(ガリラヤの平和作戦)では、レバノン軍団は自由レバノン軍などと共に、イスラエル軍の補助部隊としての役割を担った。内戦では同じキリスト教のアッシリア人民族主義を掲げるシュラーヤ党やダシナク党とも連携していた[1]。
しかし、83年にバシールが暗殺されると、求心的な指導者を欠くようになり、有力幹部であるエリー・ホベイカらの部隊によるパレスチナ難民キャンプ虐殺事件(サブラー・シャティーラ事件)も発生する。組織自体も「山岳戦争」に参加した事により大きなダメージを蒙った。ホベイカは後に親シリアとなり組織内で地位を向上させていくが、バシールの後継者であるサミール・ジャアジャアと反目するようになり、レバノン軍団は分裂状態に陥る。結果としてホベイカのレバノン軍団追放に成功するが、組織は弱体化。1989年には一時は同盟を組んでいたアウン将軍率いるレバノン国軍と衝突し、損耗を深めた。1990年に内戦が終結するとジャアジャアはレバノン軍団を政党化するが、1994年にシリア軍がレバノンを支配下に置いた後、教会爆破事件に関わった疑いでジャアジャアが逮捕され、レバノン軍団自体も非合法化された。
2005年の杉の革命でシリア軍がレバノンから撤退するとジャアジャアは釈放され、レバノン軍団の党首として復帰した[2][3][4]。
脚注・出典
^ Federal Research, Division (2004). Lebanon a Country Study. Kessinger Publishing. p. 185. ISBN 978-1-4191-2943-8.
^ http://www.dailystar.com.lb/News/Lebanon-News/2015/Jun-20/303082-leaks-reveal-geagea-pleaded-saudi-for-money-to-finance-bankrupt-party.ashx
^ https://www.nytimes.com/2015/06/21/world/middleeast/cables-released-by-wikileaks-reveal-saudis-checkbook-diplomacy.html
^ http://moulahazat.com/2015/06/20/lebanons-saudi-cables-part-ii-the-diplomatic-proof-that-saudi-arabia-funded-the-lebanese-forces/
関連項目
- レバノン内戦
- 南レバノン軍