藤沢海軍航空隊
大日本帝国海軍 | |
---|---|
官衙 | |
海軍省 軍令部 海軍艦政本部 海軍航空本部 外局等一覧 | |
地方組織 | |
鎮守府 警備府 要港部 | |
艦隊 | |
連合艦隊 北東方面艦隊 中部太平洋方面艦隊 南東方面艦隊 南西方面艦隊 第十方面艦隊 支那方面艦隊 海上護衛総司令部 海軍総隊 | |
他作戦部隊 | |
海軍航空隊 海軍陸戦隊 | |
主要機関 | |
学校一覧 | |
歴史・伝統 | |
日本海軍の歴史 日本海軍の軍服 | |
その他 | |
階級一覧 艦艇一覧 兵装一覧 | |
藤沢海軍航空隊(ふじさわかいぐんこうくうたい)は、大日本帝国海軍の部隊、教育機関。
目次
1 概要
2 沿革
3 司令
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
概要
航空無線兵器整備教育を目的として、電波・光学兵器の整備員を養成する唯一の航空隊であった。
司令部は、グリーンハウス(神奈川県藤沢市、藤沢カントリー倶楽部のクラブハウス)に置いた。
レーダー搭載機そのものが少なく、実際に飛来して整備する必要があったのは、むしろ光学計器類であった。
教育期間は6か月間で、最初の2か月間は新兵教育期間とされ、約1万人が教育を受けた。
毎朝江の島往復のマラソンが行われた。
高等科以外は銃を担いで基地内を走るのが日課で、それが終わると、戦闘機電話(三式空一号無線電信機改三)の訓練が行われたが、教科書は兵士数分なく、授業のたびに配布・回収された。
沿革
1944年(昭和19年)6月1日 - 連合航空総隊隷下第13航空戦隊隷下第13連合航空隊隷下の教育隊として開隊する[1]。
6月20日 - 第1期が入隊する。
10月1日 - 横須賀鎮守府隷下第20連合航空隊に編入される。
1945年(昭和20年)8月20日 - 解散式を行う。
8月25日 - 第20連合航空隊解隊により、解隊される。
司令
- 上田泰彦(前筑紫艦長):1944年(昭和19年)6月1日 - 1945年(昭和20年)8月25日
脚注
^ 海軍辞令公報(部内限)第1492号
参考文献
- 椎谷和雄『藤沢海軍航空隊研究』、藤沢市史研究30、藤沢市文書館運営委員会編、1997年3月
- 「規律の中の青春」、甲飛藤空会編、文芸社、2000年2月、ISBN 978-4887379961
関連項目
- 大日本帝国海軍航空隊一覧
- 藤沢飛行場