岡島清延
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | オカジ[1][2] | |||||
カタカナ | オカジマ キヨノブ | |||||
ラテン文字 | OKAJIMA Kiyonobu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | (1971-06-30) 1971年6月30日(47歳) | |||||
出身地 | 東京都三鷹市[1] | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994 | 浦和レッズ | 8 | (0) | |||
1995-1997 | 東京ガス | 60 | (7) | |||
代表歴 | ||||||
日本 JY | ||||||
1. 国内リーグ戦に限る。..現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
岡島 清延(おかじま きよのぶ、1971年6月30日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィルダー(ボランチ)。
目次
1 来歴
2 所属クラブ
3 個人成績
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴
読売クラブの下部組織で育ち、1986年には日本ジュニアユース代表に選出された経験を持つ。トップチームへの昇格を打診されていたが、これを固辞し[1]中央大学に進学。同期に長谷部茂利、1学年上に沢田謙太郎・宮沢浩、1学年下に渡辺毅・奥原崇などがいたチームで3年生時(1992年)に大学選手権優勝を果たした。4年生時(1993年)には主将を務め[2]、この年コーチとして赴任してきた大熊清からはボランチとしての戦術理解力を高く買われていた[1]。
1994年に大学を卒業し、複数のJリーグクラブから獲得の打診を受ける中で最も熱心だった[1]浦和レッドダイヤモンズに入団。同年サントリーシリーズ第3節の対ジェフユナイテッド市原戦で先発し公式戦初出場を果たしたが、この試合ではDF田口禎則が前半中に2度の警告を受けて退場すると[3]試合終盤に城彰二らの得点を許し敗戦。岡島はチームメートからこの失点を一方的に責められる[1]苦いデビュー戦となり、結局この年の出場は8試合に留まった。翌1995年、キャンプの参加を許されず[1]、リーグ戦開幕前に移籍を直訴。良き理解者でもあった大熊の下でのプレーを望み[1]、サテライトチームで練習に励んだ。
1995年7月、大熊が監督を務める東京ガスサッカー部(現・FC東京)へ移籍。攻撃に転じた際に逸早く前線のサポートに走る的確な判断力や、苦しい時間帯でもチームのために走れる献身性を発揮し[4]、レギュラーとして活躍。強いプロ意識[1]とリーダーシップ[2]でチームを上位へと押し上げた。1997年の天皇杯では、名古屋グランパス(3回戦)を相手に会心のプレーで先制点をアシストし[5]、城が所属する横浜マリノス(4回戦)も撃破。準決勝にまで進出し、この大会をもって現役を引退した。
引退後は筑波大学大学院修士課程を経て、母校中央大学でコーチも務めた[1]。その後、株式会社京王エージェンシーに入社、東京スタジアム立ち上げに携わり、広告代理店の営業を担当する。その後、株式会社レアコーポレーションを設立、現在では全国で15ヶ所以上のチアリーダーのスクールを運営し、中でも横浜FCやペスカドーラ町田でのチアリーディングを通した、女性スポーツの普及・育成に尽力している。
所属クラブ
- 読売ジュニア
読売ユース(東京都立三鷹高等学校)- 中央大学学友会サッカー部
- 1994年 浦和レッドダイヤモンズ
- 1995年-1997年 東京ガスサッカー部
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 中大 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | |||
1994 | 浦和 | - | J | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1995 | 東京ガス | 17 | 旧JFL | 15 | 1 | - | 1 | 0 | 16 | 1 | |
1996 | 26 | 3 | - | 3 | 0 | 29 | 3 | ||||
1997 | 19 | 3 | - | 6 | 1 | 25 | 4 | ||||
通算 | 日本 | J | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |
日本 | 旧JFL | 60 | 7 | - | 10 | 1 | 70 | 8 | |||
日本 | 他 | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
総通算 | 68 | 7 | 0 | 0 | 12 | 1 | 80 | 8 |
脚注
- ^ abcdefghij荒川,154-164頁
- ^ abc『フットボールサミット第11回』 カンゼン、2013年、187-188頁。
^ 1994 J.LEAGUE Suntory series 第3節 1994年3月19日 浦和レッズ
^ 荒川,118頁
^ 荒川,95頁
- 荒川裕治 『FC東京の挑戦』 小学館、2001年。
関連項目
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧
外部リンク
- チアらんど
- 京王エージェンシー
Jリーグキャリアサポートセンター OBレポート:岡島清延 (1)、(2-1)、(2-2)、(3) - Jリーグ