ヌルスルタン・ナザルバエフ
ヌルスルタン・ナザルバエフ Нұрсұлтан Назарбаев | |
カザフスタン共和国 初代大統領 | |
任期 | 1991年12月1日 – 2019年3月20日 |
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カザフ・ソビエト社会主義共和国 初代大統領 | |
任期 | 1990年4月24日 – 1991年12月1日 |
ソビエト連邦 カザフ・ソビエト社会主義共和国 カザフスタン共産党中央委員会第一書記 | |
任期 | 1989年6月22日 – 1991年12月14日 |
出生 | (1940-07-06) 1940年7月6日(78歳) ソビエト連邦 カザフ・ソビエト社会主義共和国 チェモルガン |
政党 | カザフ共産党( – 1991年) 無所属(1991年 – 1999年) ヌル・オタン(輝く祖国)(1999年 – 現在) |
配偶者 | サラ・ナザルバエフ |
署名 |
ヌルスルタン・アビシュリ・ナザルバエフ(ナザルバーエフ、カザフ語:Нұрсұлтан Әбішұлы Назарбаев、ロシア語:Нурсултан Абишевич Назарбаев、Nursultan Abishevich Nazarbayev、1940年7月6日[1] - )は、カザフスタンの政治家で初代大統領(1990年4月24日 - 2019年3月20日)。ヌルスルタン・アビシェヴィチ・ナザルバエフとも[2]。
目次
1 経歴
2 人物
3 著作
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
経歴
1977年 - 1979年、カラガンダ州共産党委員会書記、後に第2書記- 1979年、カザフ共産党中央委員会書記
1984年、カザフ・ソヴィエト社会主義共和国閣僚会議議長(首相)[1]
1986年、ソビエト共産党中央委員会委員。ゴルバチョフ政権下で中央アジアの代表として台頭してくる。
- ゴルバチョフ書記長は、この年、ブレジネフの盟友だったディンムハメッド・クナーエフ・カザフ党第一書記(政治局員)を解任し、ロシア人のゲンナジー・コルビンをカザフ党第一書記に任命したが、これに対して、同年12月にカザフ人の暴動が起こる(アルマアタ事件)。同事件はカザフ人であるナザルバエフを重用する必要性を高めた。
1989年6月、コルビンの後任としてカザフ共産党中央委員会第一書記に就任[1]
1990年2月カザフ共和国最高会議議長、4月カザフ共和国大統領[1]、7月、ソビエト共産党中央委員会政治局員
1991年12月1日、カザフスタン共和国大統領に選出、同月10日、国名をカザフスタン共和国へ変更[1]。
- 1991年12月25日、ソ連崩壊に伴い、カザフスタンは独立国家として国際的に承認される。国際連合には1992年3月2日に加盟。
1994年4月、来日[1]
1995年4月、国民投票により任期を2000年まで延長
1999年1月、期限前に実施された大統領選挙で再選(任期は7年)[1]
- 1999年12月、日・カザフスタン経済合同会議に出席するため来日[1]
2005年12月、前倒しされた大統領選挙で圧倒的得票率で3選された[1]。
2007年5月12日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、トルクメニスタンのグルバングル・ベルディムハメドフ大統領と共同でカスピ海に沿うガスパイプライン新設の合意を発表した[3]。- 2007年5月18日、カザフスタン議会はナザルバエフを終身大統領とする決議案を圧倒的賛成多数で可決。同日採択された憲法改正案で大統領任期を7年から5年に削減、3選禁止規定も残されたが、ナザルバエフは「独立国家カザフの創始者」であるため、大統領の任期は適用されない。しかしナザルバエフはこれを断り、大統領選挙は2012年実施、2005年に選出された現在の大統領任期は2013年初頭までとされた。
2008年6月18日、来日。福田康夫首相との首脳会談で、原子力の平和的利用などエネルギー分野での二国間協力の合意がなされ、調印した[4]。
2011年2月、2012年に予定されていた大統領選挙を前倒して実施するために憲法修正法案に署名- 2011年4月3日に大統領選挙が実施され、得票率95.5%を獲得して当選し4選を果たした。
2010年末に、2020年まで大統領任期を延長することを決めるための国民投票実施を要求する国民の署名運動が開始され、署名者数は500万に達した。カザフスタン議会も12月14日に、国民投票を可能にする憲法改正案を可決。しかし憲法評議会が議会主導の改憲の動きを違憲と判断した。これを受けて大統領は任期延長提案を拒否し、逆に大統領選挙の前倒し実施を提案した。- 同選挙での立候補者はナザルバエフ以外に3人いたが、3人ともナザルバエフの2020年までの任期延長に賛成していた人物であり、しかもそのうちの1人はナザルバエフに投票した[5]、と発言するなど、国際社会、特に欧米からは「競争原理のみられない選挙」と批判された。得票率95.5%[5]は1991年12月に行われた大統領選挙で獲得した98.7%に次ぐ高率で、1999年の得票率79.78%と2005年の得票率91.15%を上回り、独立以後の大統領選挙では過去最高となった。
2014年2月、カザフスタンの国際的な知名度向上のため、国名を「カザフエリ」(カザフ語でカザフ人の土地の意)」に変更する考えを表明した[6]。- 2014年5月、アスタナでロシアのプーチン大統領、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領とともにユーラシア経済連合の創設に関する条約に調印し、締約国の各議会に対して条約の批准を同時期に行うことを提唱した[7]。
2015年4月、予定任期を1年前倒しして行われた大統領選挙で得票率97.7%を獲得し5選を果たした[8][9]。- 2015年9月、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に出席して天安門広場を行進するカザフスタン軍を閲兵した[10]。
- 2016年11月、来日。カザフスタンの大統領として初めて広島平和記念資料館を視察した。
- 2017年4月、カザフ語の表記を2025年までにラテン文字に転換することを表明した[11]。
- 2017年5月、中国の一帯一路をテーマとした一帯一路国際協力サミットフォーラムに出席した[12]。
- 2019年3月19日 - 国民向けのテレビ演説で、20日付で大統領職から退任すると発表(ただし「国家指導者」という憲法上の地位を維持し、国家安全保障会議の終身議長に留まる)[13]。憲法規定により2020年4月までの残り任期は元老院(上院)議長のカシムジョマルト・トカエフが大統領として務める[14][15]。
人物
アルマトイ州[1]カスケレンスキー地区チェモルガン村出身。妻・サラSara Nazarbayeva、3女(ダリガ、ディナラ、アリヤ)、3人の孫を有する。孫のアイスルタンは、イギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校を優等で卒業し、カザフスタン共和国軍に入隊。
ドニエプロジェルジンスキー工業学校(1960年)、カラガンダ冶金コンビナート附属工業大学(1967年)、ソ連共産党中央委員会附属高等党学校(1976年、通信教育)を卒業[1]。経済科学博士[1]。
カザフ国立大学名誉教授、国際技術アカデミー会員、ロシア連邦社会科学アカデミー会員、カザフスタン科学アカデミー会員、国際情報化アカデミー会員、国際技術科学アカデミー会員。北京大学より名誉博士号(2002年)。
ナザルバエフはソ連時代、大統領だったミハイル・ゴルバチョフから副大統領への就任を持ちかけられたほどの実力者であり[16]、ソ連崩壊の際の独立国家共同体の発足でもアルマトイで主導的な役割を果たした。「安定と経済発展」を唱え、カザフスタン=中国石油パイプラインを建設するなどカザフスタンの潤沢な天然資源を積極的に輸出してカザフスタン経済の成長を実現した[9]。国民1人当たりの国内総生産は中央アジアでも卓抜しロシアと並ぶほどに成長している[8]。カザフスタン議会は2000年にナザルバエフの議案提出権や不逮捕特権を終身付与する法案を可決し、2001年にはナザルバエフに対して「人民英雄」の称号を付与する議案もほぼ全会一致で可決している[17]。3人の娘がおり、末娘のアリヤは、キルギス共和国のアスカル・アカエフ元大統領の息子と結婚した。ナザルバエフには男児がいないため、長女・ダリガは後継者候補として有力である。そのダリガは2019年に父親から大統領職を引き継いだトカエフの後継として上院議長に就任している[18]。
ユーラシア主義の推進者であり、ユーラシア運河[19]やユーラシア連合を提案したり[20][21][22][23]、ユーラシア国立大学[24]、ユーラシア・フォーラム[25]、ユーラシア文化財団、ユーラシア開発銀行[26]、ユーラシア銀行[27]などがカザフスタンで設立されている。ユーラシア経済共同体やユーラシア経済連合の創設条約は何れもカザフスタンのアスタナで調印されている。イスラム教徒でありながらイスラエルと強い繋がりを有している。[28][29]
著作
- 「我々の家ユーラシア―21世紀を眼前にして」下斗米伸夫・山口久子(翻訳)、日本放送出版協会、1999
- 「激動の十年 カザフから始まるユーラシアの改革」下斗米伸夫・原田長樹(翻訳)、L・H陽光出版、2005
- 「ユーラシア連合:着想、実践、展望1994-1997」Евразийский союз: идеи, практика, перспективы, 1994–1997
脚注
- ^ abcdefghijkl“ヌルスルタン・ナザルバエフ・カザフスタン共和国大統領略歴”. 外務省 (2010年2月). 2015年5月6日閲覧。
^ ナザルバエフ・カザフスタン共和国大統領の訪日外務省、2016年10月14日
^ “露、カザフスタン、トルクメニスタンが、ガスパイプライン新設に合意 - トルクメニスタン”. AFP. AFPBB News. (2007年5月12日). http://www.afpbb.com/articles/-/2223763?pid=1587907 2014年2月14日閲覧。
^ “日本とカザフスタン、原子力などエネルギー分野協力で合意”. AFP. AFPBB News. (2008年6月21日). http://www.afpbb.com/articles/-/2408120?pid=3058406 2014年2月14日閲覧。
- ^ abカザフスタン大統領選、現職のナザルバエフ氏圧勝 国際監視団は批判AFPBB・2011年4月4日、2013年11月21日観覧
^ 田中洋之 (2014年2月8日). “カザフスタン:国名変更へ…スタン取り近隣諸国と違いPR”. 毎日新聞. オリジナルの2014年2月8日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140208195923/http://mainichi.jp/select/news/20140209k0000m030025000c.html 2014年2月14日閲覧。
^ “ユーラシア経済連合創設へ”. ロシアNOW (Russia Beyond the Headlines). (2014年5月29日). http://jp.rbth.com/news/2014/05/29/48489.html 2015年5月8日閲覧。
- ^ ab中川仁樹 (2015年5月5日). “(ニュースの顔)ヌルスルタン・ナザルバエフさん カザフスタン大統領選で圧勝”. 朝日新聞. http://digital.asahi.com/articles/DA3S11739199.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11739199 2015年5月6日閲覧。
- ^ ab“現職ナザルバエフ氏4選 カザフスタン大統領選”. 共同通信. 47NEWS. (2015年4月27日). http://www.47news.jp/CN/201504/CN2015042701001105.html 2015年5月6日閲覧。
^ “Nazarbayev attended victory parade in Beijing - Новости Казахстана”. Kazpravda.kz. (2015年9月3日). http://www.kazpravda.kz/en/news/president/nazarbayev-attended-victory--parade-in-beijing/ 2016年8月22日閲覧。
^ Kazakhstan: President Calls for Switch to Latin Alphabet by 2025, Eurasianet 閲覧日時:2017年4月19日
^ “Kazakh President attends One Belt, One Road forum, meets with leaders in China” (2017年5月16日). 2017年5月17日閲覧。
^ “カザフ大統領、電撃の辞任発表 約30年政権握る”. AFP (2019年3月20日). 2019年3月19日閲覧。
^ カザフスタン 長期政権のナザルバーエフ大統領が退任へ - NHKNEWSWEB、2019年3月19日配信。
^ “President of Kazakhstan, Nursultan Nazarbayev, Resigns After Three Decades”. ザ・モスクワ・タイムズ. (2019-03-2019ccessdate=2019-03-20). https://www.themoscowtimes.com/2019/03/19/president-of-kazakhstan-nursultan-nazarbayev-resigns-a64872
^ “Nazarbayev Dictates a Bright Future for Kazakhstan”. シュピーゲル (2010年10月15日). 2016年9月18日閲覧。
^ “カザフスタン”. 東奥日報. 共同通信. (2005年12月3日). http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2005/1203_2.html 2015年5月8日閲覧。
^ “カザフスタン 大統領退任も影響力保持 後任は上院議長”. NHKNEWSWEB (2019年3月21日). 2019年3月21日閲覧。
^ Canal will link Caspian Sea to world (The Times, June 29, 2007)
^ Holding-Together Regionalism: Twenty Years of Post-Soviet Integration. Libman A. and Vinokurov E. (Palgrave Macmillan, London, 2012, p. 220.)
^ “Президент Республики Казахстан Н. А. Назарбаев о евразийской интеграции. Из выступления в Московском государственном университете им. М. В. Ломоносова 29 марта 1994 г.”. 2015年12月25日閲覧。
^ Alexandrov, Mikhail. Uneasy Alliance: Relations Between Russia and Kazakhstan in the Post-Soviet Era, 1992-1997. Greenwood Press, 1999, p. 229. ISBN 978-0-313-30965-6
^ “Kazakhstan welcomes Putin's Eurasian Union concept” (英語). デイリー・テレグラフ. (2011年10月6日)
^ “L. N. Gumilyov Eurasian National University”. Emu.kz (2010年7月29日). 2010年8月7日閲覧。
^ “The Eurasian Media Forum”. Eamedia.org. 2010年8月7日閲覧。
^ “Eurasian Development Bank”. Eabr.org. 2010年8月7日閲覧。
^ “Eurasian Bank”. Eurasian-bank.kz. 2010年8月7日閲覧。
^ “Content”. 2006年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月18日閲覧。. Retrieved on 3 February 2011.
^ Galili, Lily (29 October 2002). "A Kazakh Oligarch Trying To Be a Jewish Tycoon". Ha'aretz.
関連項目
- カリム・マシモフ
- 中央アジア連合
- 中央アジア協力機構
- テュルク評議会
- アジア相互協力信頼醸成措置会議
- シルクロード経済ベルト
外部リンク
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公職 | ||
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先代: 自分自身 (カザフ社会主義共和国大統領) | カザフスタン共和国大統領 初代:1991 - 2019 | 次代: カシムジョマルト・トカエフ |
先代: (創設) | カザフ・ソビエト社会主義共和国大統領 初代:1990 - 1991 | 次代: 自分自身 (カザフスタン共和国大統領) |
党職 | ||
先代: ゲンナジー・コルビン | カザフスタン共産党第一書記 1989 - 1990 | 次代: (役職廃止) |