横須賀海軍航空隊
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横須賀海軍航空隊
航空隊本部庁舎, 昭和七年
創設
1916年(大正5年)4月1日
廃止
終戦
兵科
航空(飛行)
兵種/任務/特性
教育・研究・(実戦)
所在地
横須賀
編成地
横須賀
愛称
横須賀空・横空
上級単位
横須賀鎮守府
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横須賀海軍航空隊 (よこすかかいぐんこうくうたい)とは、大日本帝国海軍で最初に設立され、終戦まで存続した航空部隊。航空隊要員の教育・練成、新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当した。有事の際は東京湾防衛の任に就くことになっており、戦況の押し詰まった1944年(昭和19年)2月からは、実戦配備にも付いた。
目次
1 沿革
2 司令
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
沿革
1912年(明治45年)に発足した「海軍航空術研究委員会」は日本海軍航空隊の基礎を作ってきた。航空機の国産化が始まり、搭乗員養成も軌道に乗ってきたことで更なる航空機の整備・拡充を図るため1916年(大正5年)に航空隊三隊計画が成立した。同年4月1日、「海軍航空術研究委員会」を発展解消させる形で、横須賀海軍航空隊が神奈川県横須賀市追浜に開隊した[1] 。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災により、施設・機材に大きな損害を受けた。1930年(昭和5年)6月1日に海軍飛行予科練習生の1期生が入隊、以降昭和14年まで横須賀で予科練の教育がおこなわれた。1932年(昭和7年)頃より「源田サーカス」と呼ばれるアクロバット飛行隊を作り、国民に海軍航空隊のアピールを行った。
1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争開戦。
1944年(昭和19年)2月より実戦配備につく。6月15日、あ号作戦発動にともない、第27航空戦隊と八幡空襲部隊を編成し、マリアナ方面の後詰として硫黄島へ進出した。度重なる空戦と硫黄島への爆砲撃により、7月4日までに全機材を喪失。残存隊員は輸送機で横須賀に帰還するが、一部の隊員はそのまま硫黄島の守備につき、のちに玉砕した。その後は九州に進出しての特攻攻撃援護、および関東地区防空戦に従事した。
司令
※司令は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
山内四郎 大佐:1916年4月1日 - 1917年12月1日
原田正作 大佐:1917年12月1日 - 1919年7月1日
吉田清風 少将:1919年7月1日 - 12月1日
田尻唯二 大佐:1920年11月12日 - 1922年11月1日
丸橋清一郎 大佐:1922年11月1日[2] -
井上四郎 大佐:1923年12月1日 - 1924年12月1日
市川大治郎 中佐:1924年12月1日 - 1927年11月1日[3]
和田秀穂 大佐:1927年11月1日 - 1929年11月30日
原五郎 大佐:1929年11月30日 - 1931年4月2日
山田忠治 大佐:1931年4月2日 - 1932年11月15日
大西次郎 大佐:1932年11月15日[4] - 1934年11月15日[5]
杉山俊亮 大佐:1934年11月15日 - 1936年12月1日
三並貞三 大佐:1936年12月1日 - 1937年7月11日
桑原虎雄 大佐:1937年12月25日 - 1938年11月15日
戸塚道太郎 少将:1938年12月15日 - 1939年10月20日
桑原虎雄 少将:1940年1月15日 - 1940年11月15日
上野敬三 大佐:1940年11月15日 - 1942年11月17日
草鹿龍之介 少将:1942年11月23日 - 1943年11月20日
山田定義 少将:1943年12月6日 - 1944年3月15日
吉良俊一 中将:1944年3月15日 - 7月10日
服部勝二 少将:1944年7月10日 - 9月29日
加藤唯雄 大佐:1944年9月29日 - 1945年3月20日
松田千秋 少将:1945年3月20日 -
脚注
^ 『海軍飛行豫科練習生 第一巻』35頁
^ 『官報』第3077号、大正11年11月2日。
^ 『官報』第255号、昭和2年11月2日。
^ 『官報』第1765号、昭和7年11月16日。
^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
参考文献
『海軍飛行豫科練習生 第一巻』 国書刊行会、1983年。
海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
『官報』
関連項目
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