関町東
関町東 | |
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— 町丁 — | |
関町東 関町東の位置 | |
座標: 北緯35度43分27.65秒 東経139度35分4.65秒 / 北緯35.7243472度 東経139.5846250度 / 35.7243472; 139.5846250 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 練馬区 |
面積[1] | |
- 計 | 0.318km2 (0.1mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[2] | |
- 計 | 5,076人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 177-0052[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 練馬 |
関町東(せきまちひがし)は、東京都練馬区の町名。現行行政地名は関町東一丁目および二丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号177-0052[3]。
目次
1 地理
1.1 世帯数と人口
1.2 小・中学校の学区
2 歴史
2.1 地名の由来
2.2 沿革
3 交通
4 施設
5 脚注
地理
練馬区の西部に位置する。東部は練馬区上石神井、南部は青梅街道を境に練馬区関町南、西部は練馬区関町北、北部は石神井川を境に練馬区石神井台とそれぞれ接している。主に住宅地として利用される。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
関町東一丁目 | 1,968世帯 | 3,648人 |
関町東二丁目 | 872世帯 | 1,428人 |
計 | 2,840世帯 | 5,076人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
関町東一丁目 | 1番1〜7号 1番27号(東側) 1番29~48号 2番 3番1~4号 3番13号(東端) 3番19~31号 4番1〜13号 | 練馬区立上石神井小学校 | 練馬区立上石神井中学校 |
その他 | 練馬区立石神井西小学校 | 練馬区立石神井西中学校 | |
関町東二丁目 | 全域 |
歴史
地名の由来
「関町」の由来については、次の二説がある。[6]
室町時代後期、この地域を支配していた豊島氏が石神井城を居城としていた頃に、この地に関所を置いたことから。- 現在の武蔵関公園内にある「富士見池」付近にかつて堰があったことから。
沿革
江戸時代は武蔵国豊島郡関村の小名本村に相当。[7]
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により関村は東京府北豊島郡石神井村大字関甲となり、関町東は字地蔵裏にほぼ相当する。[8]
1932年(昭和7年)10月1日 - 東京府東京市板橋区石神井関町二丁目の一部となる。[8]
1947年(昭和22年)8月1日 - 板橋区から練馬区が分区したことに伴い、東京都練馬区石神井関町二丁目となる。
1949年(昭和24年) - 地番整理により東京都練馬区関町二丁目となる。[9]
1985年(昭和60年)6月1日 - 関町二丁目の大部分に(旧)上石神井一丁目を合わせた区域に住居表示が実施され、東京都練馬区関町東一・二丁目となる。[6]
交通
鉄道は、町域のほぼ中央を西武新宿線が東西に横断するが駅はなく、隣接する関町北にある武蔵関駅や、上石神井にある上石神井駅が最寄り駅の範囲にある。
施設
日本カトリック神学院東京キャンパス- 練馬区関保健相談所
脚注
^ “練馬区統計書 - 町丁別土地面積、気温、降水量の推移、住民基本台帳による世帯数と人口など”. 練馬区 (2016年10月1日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ ab“世帯と人口(人口統計) - 町丁目別”. 練馬区 (2017年12月5日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ ab“郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月4日閲覧。
^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月4日閲覧。
^ “区立小中学校 学区域一覧”. 練馬区 (2017年8月24日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ ab竹内誠編『東京の地名由来辞典』東京堂出版、2006年。ISBN 4490106858
^ 桑島新一 (1986年2月21日). “関村(せきむら)、竹下新田(たけしたしんでん)”. 練馬の地名今むかし(旧地名の部). 練馬区. 2015年1月4日閲覧。
- ^ ab東京市新區町名地番表 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
^ 桑島新一 (1985年7月21日). “関町東(せきまちひがし)”. 練馬の地名今むかし(現町名の部). 練馬区. 2015年1月4日閲覧。
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