ケビン・サリバン
ケビン・サリバン | |
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プロフィール | |
リングネーム | ケビン・サリバン ザ・タスクマスター ザ・ボストン・バトラー ジョニー・ウエスト |
本名 | ケビン・フランシス・サリバン |
ニックネーム | 妖怪児 ザ・プリンス・オブ・ダークネス |
身長 | 178cm - 180cm |
体重 | 109kg - 114kg |
誕生日 | (1949-10-26) 1949年10月26日(69歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 サフォーク郡ボストン |
トレーナー | Ron "Golden Gladiator" Hill |
デビュー | 1970年 |
ケビン・サリバン(Kevin Francis Sullivan、1949年10月26日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。マサチューセッツ州ボストン出身。
1970年代にベビーフェイスのポジションで活動後、1980年代より怪奇派のヒールに転向。ザ・タスクマスター(The Taskmaster)を名乗ってヒール軍団の首領を務め、マネージャーやブッカーとしても活躍した。
目次
1 来歴
1.1 ベビーフェイス時代
1.2 ヒール転向後
2 得意技
3 獲得タイトル
4 マネージャー担当選手
5 脚注
6 外部リンク
来歴
ベビーフェイス時代
1970年10月、ジョージア州アトランタでのスカンドル・アクバとのスタジオTVマッチにてデビュー[1]。同地区でジョバーを務めた後、1971年よりジョニー・ウエスト(Johnny West)のリングネームでNWAガルフ・コースト地区に入り、ケン・ルーカスとのコンビで活動。3月11日にエディ・サリバン&ダンディ・ジャック・モレルからガルフ・コースト・タッグ王座を、6月2日には松岡巌鉄&大熊元司のライジング・サンズからUSタッグ王座をそれぞれ奪取した[2][3]。
その後、リングネームを本名のケビン・サリバン(Kevin Sullivan)に戻し、1972年よりテネシーのNWAミッドアメリカ地区に進出、3月24日にはロバート・フラーと組んで同地区版のNWA世界タッグ王座を獲得している[4]。1973年からは、長年の主戦場となるフロリダのCWFに参戦、主宰者エディ・グラハムの息子マイク・グラハムのパートナーに起用され、ボビー・シェーン&ゴージャス・ジョージ・ジュニアなどのチームを破りNWAフロリダ・タッグ王座を2回獲得した[5]。翌1974年5月、全日本プロレスに初来日。前年にデビューしたジャンボ鶴田とのシングルマッチも組まれ[6]、当時の日本では「南部の若獅子」なるニックネームが付けられた。
1975年10月より、ニューヨークのWWWFに登場[7]。イワン・プトスキーとのタッグチームなどで活動し、1976年には、WWWF世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノの挑戦者としてWWWFに参戦していたスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのコンビとも対戦、ジ・エクスキューショナーズ(キラー・コワルスキー&ビッグ・ジョン・スタッド)が保持していたWWWF世界タッグ王座にも挑戦した[8]。WWWFには1977年まで出場し、アーニー・ラッド、スーパースター・ビリー・グラハム、バロン・シクルナ、バグジー・マグロー、クラッシャー・ブラックウェル、スパイロス・アリオン、トーア・カマタ、ニコライ・ボルコフ、ケン・パテラとも対戦した[9]。
その後、1977年5月の全日本プロレス再来日を経て、1978年は中西部のNWAセントラル・ステーツ地区で活動。ケン・ルーカスと再びコンビを組み、4月24日にアレックス・スミルノフ&ブルドッグ・ボブ・ブラウンからセントラル・ステーツ版のNWA世界タッグ王座を奪取[10]。南部ではアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングにて、1979年にトニー・チャールズとUSジュニアヘビー級王座を争った[11]。
1980年はジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングを主戦場に、4月21日にトニー・アトラスと組んでアレックス・スミルノフ&イワン・コロフからNWAジョージア・タッグ王座を奪取[12]。シングルでも、6月8日にトーナメントの決勝でエディ・マンスフィールドを破り、空位となっていたNWAジョージア・ジュニアヘビー級王座を獲得、以降もスタンリー・レーンやダッチ・マンテルを相手に同王座を争い[13]、レス・ソントンが保持していたNWA世界ジュニアヘビー級王座にも挑戦した[14]。
ヒール転向後
デビュー以来一貫してベビーフェイスだったが、1980年末よりジョージア地区にてヒールのポジションに回るようになり、同年11月29日にはスティーブ・カーン、翌1981年2月21日にはスティーブ・オルソノスキーと、フェイス陣営の選手からNWAナショナルTV王座を奪取[15]。スティーブ・カーンとは "Boston Street Fight" なるハードコア・レスリング形式のデスマッチも行った[14]。同年4月からはメンフィスのCWAにもヒールとして参戦、ジミー・ハートのファースト・ファミリーに加入し、ウェイン・ファリスと組んでジェリー・ローラー&ビル・ダンディーとAWA南部タッグ王座を争った[16][17]。
1982年8月、古巣であるフロリダのCWFに復帰。当初は従前と同様にベビーフェイスとしてケンドー・ナガサキなどと対戦していたが、10月より本格的にヒールに転向。ジェイク・ロバーツ、ジム・ガービン、ビッグ・ジョン・スタッド、デレク・ドレイパーらと結託し、かつてのパートナーであるマイク・グラハムとも抗争を開始[18]。11月22日にはバリー・ウインダムを破り、NWA南部ヘビー級王座を獲得した[19]。以降もCWFに定着し、1983年からはペイントレスラーに変身。パープル・ヘイズ、マハ・シン、ルナ・バション&ウィノナ・リトルハートのドーターズ・オブ・ダークネス、そして妻となるフォーリン・エンジェルとの怪奇派ユニット、アーミー・オブ・ダークネス(The Army of Darkness)のリーダーとなって猛威を振るい[20]、ダスティ・ローデスやブラックジャック・マリガンと抗争を展開した[21]。
CWFを主戦場としつつ他地区にも出場し、サンアントニオのサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングでは1984年12月9日にキラー・ブルックスを下してSCWヘビー級王座を獲得[22]。アラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングでは、1986年9月22日にブラッド・アームストロング、同年12月15日にザ・バレットからNWAコンチネンタル・ヘビー級王座をそれぞれ奪取した[23]。
本拠地のCWFでは1987年1月16日にレックス・ルガー、2月18日にバッドニュース・アレンを破ってNWA南部ヘビー級王座に返り咲いたが、同月にジム・クロケット・プロモーションズがCWFを吸収合併したことによりタイトルは封印され、50年以上の歴史を持つ同王座の最後のチャンピオンとなった[19]。以降、ジム・クロケット・ジュニア主宰のMACWに主戦場を移し、バーシティ・クラブのプレイング・マネージャーとなって活躍。1988年から1989年にかけて、ロード・ウォリアーズやスタイナー・ブラザーズと抗争を繰り広げた[1]。MACWがテッド・ターナーに買収され、新団体のWCWが発足してからも継続参戦していたが、副社長ジム・ハードへの不満などもあり、契約満了の1991年下期にWCWを離脱[24]。
1992年1月、FMWに来日。ザ・シークの参謀役となって、14年ぶりの日本マット登場を果たした[25]。その後はW★INGプロモーションにも度々来日し、レザーフェイス、フレディ・クルーガー(ダグ・ギルバート)、クリプト・キーパー(ホセ・エストラーダ・ジュニア)ら怪奇派の親玉となって活躍した[26][27]。同時期、アメリカではジム・コルネット主宰のスモーキー・マウンテン・レスリングや初期のECWで活動[1]。ECWではタズマニアックと怪奇派コンビを組み、1993年12月4日にトミー・ドリーマー&シェーン・ダグラス、1994年3月5日にブルーズ・ブラザーズを破り、ECWタッグ王座を2回獲得している[28]。
1994年よりWCWに復帰し、5月22日にカクタス・ジャックと組んでナスティ・ボーイズからWCW世界タッグ王座を奪取[29]。その後はデイブ・サリバンとの兄弟アングルを経て、11月よりザ・ブッチャー&ジ・アバランシュとスリー・フェイシズ・オブ・フィアー(The 3 Faces of Fear)なるトリオを結成、彼らに先んじて同年にWWFから移籍してきたハルク・ホーガンとの抗争を開始する[1]。翌1995年からは、ブッチャーとアバランシュをペイントレスラーのゾディアックとシャークに変身させ、カマラやミング、ザ・ジャイアントらを配下に、モンスター軍団のダンジョン・オブ・ドゥーム(The Dungeon of Doom)を率いて活動[30]。自らをザ・タスクマスター(The Taskmaster)と称し、ザ・ウィザードことキング・イヤウケアの「息子」として、ホーガン、スティング、ランディ・サベージらベビーフェイス勢との抗争を指揮した[1]。
WCWではエリック・ビショフの体制下、リック・フレアー、アーン・アンダーソン、ラリー・ズビスコらと共にブッカーも兼任していたが、マッチメイクを巡ってブライアン・ピルマンなど選手との確執も起こしている(詳細は「ブライアン・ピルマン」の項を参照)[1]。妻だった女性マネージャーのウーマンとクリス・ベノワとの不倫アングルでは、ウーマンを巡ってベノワと抗争を展開したが、ベノワとウーマンは実際に恋仲になり、ウーマンはサリバンと離婚の上で正式にベノワと再婚した[31]。1997年4月12日にはWCWとの提携ルートで新日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、ベノワとの因縁マッチを行っている[32]。WWFとのマンデー・ナイト・ウォーズが激化していた1998年からはブッキング業務に専念し[1]、2000年1月には一時更迭されていたビンス・ルッソに代わってヘッド・ブッカーに就任したが[33]、ブッキングに不満を持つクリス・ベノワ、エディ・ゲレロ、ディーン・マレンコ、ペリー・サターンらが同月にWWFに移籍し、ほどなくしてサリバンも退陣した。
2001年のWCW崩壊後は、2003年にTNA、2006年にジャガロ・チャンピオンシップ・レスリングに登場[1]。近年も各地のインディー団体に時折出場している[34]。2014年にはNWA殿堂に迎えられた[35]。
得意技
- ダイビング・フット・スタンプ
- この技はサリバンがW★INGに参戦していた際、全日本女子プロレスからゲスト参戦していた伊藤薫に直伝されている。
獲得タイトル
- チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
- NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版) : 4回[19]
- NWAフロリダ・ヘビー級王座 : 1回[36]
- NWAフロリダ・タッグ王座 : 3回(w / マイク・グラハム)[5]
- ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAナショナルTV王座 : 2回[15]
- NWAジョージア・ジュニアヘビー級王座 : 2回[13]
- NWAジョージア・タッグ王座 : 1回(w / トニー・アトラス)[12]
- ガルフ・コースト・チャンピオンシップ・レスリング / サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAコンチネンタル・ヘビー級王座 : 2回[23]
- NWA USジュニアヘビー級王座(アラバマ版) : 2回[11]
- NWAガルフ・コースト・タッグ王座 : 2回(w / ケン・ルーカス)[2]
- NWA USタッグ王座(ガルフ・コースト版) : 1回(w / ケン・ルーカス)[3]
- セントラル・ステーツ・レスリング
NWA世界タッグ王座(セントラル・ステーツ版) : 1回(w / ケン・ルーカス)[10]
- NWAミッドアメリカ / コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
- NWAミッドアメリカTV王座 : 1回[37]
- NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版) : 2回(w / ロバート・フラー、マイク・グラハム)[4]
- NWA南部タッグ王座(ミッドアメリカ版) : 1回(w / レン・ロッシー)[38]
- AWA南部タッグ王座 : 2回(w / ウェイン・ファリス)[16]
- サザン・チャンピオンシップ・レスリング
- NWA南部ヘビー級王座(テネシー版) : 1回
- ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
- NWA USタッグ王座(ミッドアトランティック版) : 1回(w / スティーブ・ウィリアムス)[39]
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
WCW世界タッグ王座 : 1回(w / カクタス・ジャック)[29]
- イースタン・チャンピオンシップ・レスリング
ECWタッグ王座 : 1回(w / タズマニアック)[28]
- サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
- SCWヘビー級王座 : 1回[22]
マネージャー担当選手
プレイング・マネージャーとして、NWAやWCWにおいてヒールのマネージメントも兼任していた(サリバン自身のマネージャーは、妻でもあったウーマンをはじめ、ゲーリー・ハート、サー・オリバー・フンパーディンク、センシュアス・シェリー、ジャクリーンなどが務めていた)[40]。
- パープル・ヘイズ
- マハ・シン
- スーパースター・ビリー・グラハム
- アブドーラ・ザ・ブッチャー
- イライジャ・アキーム
- カリーム・モハメッド
- カルマ
- ワンマン・ギャング
- リック・スタイナー
- マイク・ロトンド
- スティーブ・ウィリアムス
- ダニー・スパイビー
- バズ・ソイヤー
- カクタス・ジャック
- バンバン・ビガロ
- オズ
- ブラック・ブラッド
- カマラ
- ミング
- ザ・ナイトストーカー
- ザ・シャーク
- ザ・ゾディアック
- ザ・ジャイアント
脚注
- ^ abcdefgh“Kevin Sullivan”. Online World of Wrestling. 2015年3月22日閲覧。
- ^ ab“NWA Gulf Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
- ^ ab“NWA United States Tag Team Title [Gulf Coast]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
- ^ ab“NWA World Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月21日閲覧。
- ^ ab“NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月21日閲覧。
^ “The AJPW matches fought by Kevin Sullivan in 1974”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
^ “The WWE matches fought by Kevin Sullivan in 1975”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
^ “WWE Yearly Results 1976”. The History of WWE. 2015年3月22日閲覧。
^ “The WWE matches fought by Kevin Sullivan in 1976”. Wrestlingdata.com. 2015年3月22日閲覧。
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^ “Vince Russo”. Online World of Wrestling. 2015年3月22日閲覧。
^ “Kevin Sullivan: Matches”. Cagematch.net. 2015年3月22日閲覧。
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^ “NWA Southern Tag Team Title [Mid-America]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
^ “NWA United States Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月22日閲覧。
^ “Facts of Kevin Sullivan”. Wrestlingdata.com. 2015年3月29日閲覧。
外部リンク
- Kevin Sullivan at WWE.com
- The Accelerator's Wrestling Rollercoaster - Kevin Sullivan
- Online World of Wrestling - Kevin Sullivan
- Cagematch - Kevin Sullivan