ビル・リチャードソン
ビル・リチャードソン Bill Richardson | |
---|---|
生年月日 | (1947-11-15) 1947年11月15日(71歳) |
出生地 | カリフォルニア州パサデナ |
出身校 | タフツ大学 |
現職 | 外交官, 経営コンサルタント |
所属政党 | 民主党 |
配偶者 | バーバラ・リチャードソン |
公式サイト | [Welcome to the New Mexico Office of the Governor, Bill Richardson ] |
第30代ニューメキシコ州知事 | |
在任期間 | 2003年1月1日 - 2011年1月1日 |
第9代 アメリカ合衆国エネルギー長官 | |
在任期間 | 1998年8月18日 - 2001年1月20日 |
元首 | ビル・クリントン |
第21代 アメリカ合衆国国連大使 | |
在任期間 | 1997年2月13日 - 1998年8月18日 |
元首 | ビル・クリントン |
アメリカ合衆国下院議員 | |
選挙区 | ニューメキシコ州第3区選出 |
在任期間 | 1983年1月3日 - 1997年2月13日 |
ウィリアム・ブレイン・”ビル”リチャードソン3世(英語: William Blaine "Bill" Richardson III, 1947年11月15日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。クリントン政権下の国連大使、エネルギー長官。ニューメキシコ州知事(2003年1月1日 -2011年1月1日)。民主党の中ではリベラル色の弱い政治家である[1]。
目次
1 生い立ちおよび経歴
2 2008年大統領選挙
3 北朝鮮との関係
4 野球
5 脚注
6 外部リンク
生い立ちおよび経歴
カリフォルニア州パサデナ市で生まれる。銀行家である父はニカラグア出身、母はメキシコ人である。タフツ大学にて学士号、タフツ大学フレッチャースクールにて国際関係学修士号を取得。
- 1983年1月 アメリカ合衆国下院議員就任(1997年2月まで)
- 1997年1月 国連大使就任
- 1998年8月 エネルギー長官就任
- 2003年1月 ニューメキシコ州知事就任
- 2007年1月 アメリカ大統領選挙の民主党予備選挙への出馬を表明
- 2008年1月 アメリカ大統領選挙の民主党予備選挙から撤退
2008年大統領選挙
2008年アメリカ大統領選挙の民主党予備選に立候補。アメリカにおいてヒスパニック系の影響力が強まる中、注目候補の一人と位置づけられたが、ヒラリー・クリントン、バラク・オバマの争いに埋没する形となり、予備選開始間もなく撤退した。クリントン政権で閣僚や国連大使を務めるなど、クリントン家との関係が深く、ヒラリーの有力な副大統領候補とも取りざたされたが、3月に入りオバマ支持を表明、全米を驚かせた。
選挙後は、オバマ次期大統領からアメリカ商務省長官のポストを指名され注目を集めたが、自身の支持者の企業が公共事業受注で便宜を図った疑惑が浮上したため政権入りを断念した[2]。
北朝鮮との関係
1994年の朝鮮半島危機の際にはジミー・カーター元大統領の北朝鮮訪問に尽力した[3]。
2007年4月には北朝鮮を訪問し朝鮮戦争の際に行方不明となった米兵6人の遺骨返還を実現した。
2010年11月の北朝鮮による延坪島砲撃事件が起きた翌12月、北朝鮮から招待されて同国を訪問した[4]。
2013年1月にはGoogle社のエリック・シュミット会長らともに北朝鮮を訪れ、北朝鮮の外務次官らと会談した[5]。
アメリカ合衆国の対北宥和派の代表格と見られている[6]。
野球
彼は自伝でカンザスシティ・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)、シカゴ・カブスからドラフトで指名されたことがあると書いていたが2005年、アルバカーキ・ジャーナルによりドラフトで指名を受けたことはないことがすっぱ抜かれた[7][8]。ただスカウトの接触があったのは事実である[7]。
1999年にセオドア・ルーズベルト賞を受賞している[9]。
脚注
^ 古森義久 (2007年6月19日). “ヒラリー・クリントンの行く手に落ちた影”. 日経BP. 2010年12月23日閲覧。
^ Richardson Won't Pursue Cabinet Post
^ 恩田将葉 (2010年12月16日). “ビル・リチャードソン ニューメキシコ州知事訪朝の意味”. 2010年12月23日閲覧。
^ “北朝鮮は「言葉でなく行動を」、リチャードソン米知事”. AFP (2010年12月21日). 2010年12月23日閲覧。
^ “北朝鮮は市民にネット開放を…グーグル会長”. 読売新聞. (2013年1月10日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20130110-OYT1T01263.htm 2013年1月10日閲覧。
^ 島田洋一 (2008年11月23日). “対北全面宥和派“キム・ジョン”ビル・リチャードソンが米商務長官に”. 2010年12月22日閲覧。
- ^ ab“One-Time Prospect Acknowledges Draft Info Wrong”. アルバカーキ・ジャーナル (2005年11月24日). 2010年12月23日閲覧。
^ “Gov. Admits Baseball Tale Untrue”. CBSニュース (2005年11月25日). 2010年12月23日閲覧。
^ “Theodore Roosevelt Award (NCAA)”. 2010年12月23日閲覧。
外部リンク
- Bill Richardson for President official presidential campaign website
- Office of the Governor of New Mexico
Biography at the Biographical Directory of the United States Congress
Profile at Project Vote Smart
Financial information (federal office) at the Federal Election Commission
公職 | ||
---|---|---|
先代: フェデリコ・ペーニャ | アメリカ合衆国エネルギー長官 1998 – 2001 Served Under: ビル・クリントン | 次代: スペンサー・エイブラハム |
先代: ゲーリー・E・ジョンソン | ニューメキシコ州知事 2003 - 2011 | 次代: スサナ・マルティネス |
外交職 | ||
先代: マデレーン・オルブライト | アメリカ合衆国国連大使 1997–1998 Served Under: ビル・クリントン | 次代: リチャード・ホルブルック |
アメリカ合衆国下院 | ||
先代: 新設 | ニューメキシコ州選出下院議員 ニューメキシコ州第3選挙区 1983 - 1997 | 次代: ウィリアム・T・レッドモンド |
先代: ロバート・ガルシア | 下院ヒスパニック系議員会議長 1983 – 1985 | 次代: マシュー・G・マルチネス |
党職 | ||
先代: マーティン・チャベス | ニューメキシコ州知事 民主党候補 2002, 2006 | 次代: ダイアン・デニッシュ |
先代: テリー・マコーリフ | 民主党全国大会議長 2004 | 次代: ナンシー・ペロシ |
先代: ? | 民主党知事会議長 2005 – 2006 | 次代: キャスリーン・セベリウス |
受賞や功績 | ||
先代: ボブ・ドール | セオドア・ルーズベルト賞 (NCAA) 1999 | 次代: ロジャー・ストーバック |
|