クリストフ・スミヨン
クリストフ・スミヨン | |
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2008年のスワンSでの表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | ベルギー |
出身地 | ブリュッセル首都圏地域スカールベーク |
生年月日 | (1981-06-04) 1981年6月4日(37歳) |
騎手情報 | |
初免許年 | 1997年(フランス) |
免許区分 | 平地、障害 |
クリストフ・スミヨン(Christophe Soumillon、1981年6月4日[1][2] - )は、ベルギー生まれの騎手。香港における名前の中文表記は「蘇銘倫」。
目次
1 経歴
2 人物
3 年度別成績表
4 主な勝鞍
4.1 フランス
4.2 日本
4.3 香港
4.4 アイルランド
4.5 アメリカ合衆国
4.6 アラブ首長国連邦
4.7 イギリス
4.8 イタリア
4.9 カナダ
4.10 トルコ
4.11 ハンガリー
5 テレビ出演
6 著書
7 脚注
8 外部リンク
経歴
ブリュッセル首都圏地域スカールベーク生まれ[1]。父は障害競走の騎手であったジャン=マルク・スミヨンである[1]。
フランス・シャンティイ競馬場のセドリック・ブータン厩舎の見習騎手として1997年8月にデビュー。初勝利は同年11月にメゾンラフィット競馬場で挙げる。1999年に最多勝見習騎手となり、2000年4月にロンシャン競馬場のフォンテンブロー賞をベリーンズサンの騎乗で制して重賞初勝利を挙げる。そして、ちょうどその1週間後、サンクルー競馬場にて1日5勝のフランス競馬タイ記録を樹立。
見習時代の1999年に、エルコンドルパサーの凱旋門賞取材でフランスを訪れていた調教師を引退したばかりの野平祐二が、シャンティイ調教場で騎乗するスミヨンに目が留まりインタビューを行った。野平はインタビューのあと『彼はすごいね。いい騎手になるよ。』と言い残した。野平は2001年に死去したが、「予言」は的中することになった。
2001年にはプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)で、1位入線馬の失格による繰り上げ優勝ながらもG1初制覇[1]。2002年には有力オーナーブリーダーであるアガ・カーン4世との優先騎乗契約を結ぶ[1]。さらに2003年からはアンドレ・ファーブル厩舎の主戦騎手となり、この年は207勝の成績で1988年のキャッシュ・アスムッセン以来となる年間200勝を達成するとともに、フランス年間最多勝記録を更新した[1]。この年を含め、フランス最多勝騎手(リーディングジョッキー)を7回(2003年、2005年、2006年、2011年 - 2014年[3][4][5][6])獲得している。
上記の通り素晴らしい成績を残していたが、日ごろの言動やレースでの鞭の使用方法などに不満を持っていたアンドレ・ファーブルには2007年に契約を解除され、さらにはアガ・カーン4世にも2009年一杯での契約解除を言い渡された。2010年からはアガ・カーン4世の主戦騎手をクリストフ・ルメールが務めたが、2014年から再びスミヨンが主戦を務めることとなった[7][8]。
2010年6月19日には、フランス・オートゥイユ競馬場にて、障害G1競走のオートゥイユ大ハードルに出走するマンダリに騎乗、スタート直後から逃げを打ち、途中からは大逃げとなってそのまま1着となり、障害G1競走初勝利を挙げた。
日本では2001年にJRAの短期免許で初めて騎乗したが、阪急杯(GIII)で騎乗した際、進路妨害による降着および開催日4日間の騎乗停止処分を受け、結局48戦6勝止まりに終わった。フランスでの目覚ましい活躍ぶりに比べると、芳しい成績を収めることはできなかった。この年以降しばらくの間は、ヨーロッパの平地競走オフシーズンに日本で短期免許を取得することはなく、主に香港で騎乗していたが、2009年にはアントニー・クラストゥスと共に短期免許を取得し、6年ぶりに日本で騎乗した。身元引受調教師は池江泰寿、身元引受馬主は吉田勝己であった[9]。同年10月31日のスワンステークスでキンシャサノキセキに騎乗して優勝し、日本での重賞初制覇を達成した[10]。
翌2010年にも前年と同じ身元引受人で短期免許を取得[11]。10月30日と31日のみの最初の来日では第142回天皇賞をブエナビスタで優勝し、日本での初GI競走勝利を挙げた。11月20日から12月31日までの2回目の来日では、11月28日に再びブエナビスタとのコンビで第30回ジャパンカップに挑み1位入線を果たすが、最後の直線コースで急に内側に斜行し、ローズキングダムの走行を妨害したため、2着に降着となった。これにより、開催日4日間の騎乗停止処分を受けた[12]。この際、日本の裁決委員の判定方法に不信感を持ったとされ、翌11月29日のサンケイスポーツのトップ記事で、スミヨンは「これで日本のジャッジが下手だということを、世界に配信することになるだろう」という発言を行ったと報じられた[13]。しかしこの発言に対して、日本の騎手の一部からは反発が上がり、後藤浩輝は当時「UMAJIN」連載していたコラム「後藤の語!」内において、この発言に対して不快感を示し、武豊も「日本には日本のルールがある」と苦言を呈していた。
2011年のJRAの短期免許は、「制裁点数が30点を超えた場合、翌年度に短期免許を交付しない」という2010年12月の免許試験委員会における合意事項に触れたため、交付されないこととなった[14]。ただしこの規定は競走限定免許には適用されないため、海外からの遠征馬には騎乗できる。
2012年には、池添謙一に代わってオルフェーヴルに騎乗[15]。フォワ賞で優勝するも[16]、本番の凱旋門賞で2着に敗れる[17]。同年10月、2年ぶりにJRAの短期免許を取得[18]。
日本の障害競走での騎乗歴はない。
人物
アイルランドの騎手・ジェイミー・スペンサーとは、香港で騎乗した際にトラブルを起こして以来、犬猿の仲であるとも言われている。一方で同じフランスを拠点とするイオリッツ・メンディザバルとは、日本での騎乗の際によく一緒に食事に行くなど友人関係にある[19]。
本人曰く「パリではビッグサイズの服しかない」ため、来日すると「自分のサイズに合った服を買い溜めしていく」という。中でもユナイテッドアローズが一番お気に入りのブランドとのこと[19]。
競走馬時代に手綱を取っていた、騸馬のシリュスデゼーグルを引き取っている。
年度別成績表
この節の加筆が望まれています。 |
年度 | 騎乗 数 | 勝利 | 勝率 | 獲得賞金(ユーロ) | ||
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勝数 | 順位 | 金額 | 順位 | |||
1998年 | 203 | 11勝 | 89位 | .054 | 23万4188 | 52位 |
1999年 | 597 | 56勝 | 14位 | .094 | 114万5720 | 14位 |
2000年 | 746 | 68勝 | 10位 | .091 | 198万5239 | 8位 |
2001年 | 778 | 88勝 | 5位 | .113 | 338万9566 | 3位 |
2002年 | 683 | 99勝 | 2位 | .145 | 342万9205 | 3位 |
2003年 | 1017 | 207勝 | 1位 | .204 | 723万1475 | 1位 |
2004年 | 1020 | 165勝 | 2位 | .162 | 553万5935 | 1位 |
2005年 | 1039 | 226勝 | 1位 | .218 | 750万6425 | 1位 |
2006年 | 856 | 176勝 | 1位 | .206 | 685万6405 | 1位 |
2007年 | 914 | 146勝 | 3位 | .160 | 557万3585 | 2位 |
2008年 | 934 | 174勝 | 2位 | .186 | ||
2009年 | ||||||
2010年 | ||||||
2011年 | 1位 | |||||
2012年 | 1位 | |||||
2013年 | 1位 | |||||
2014年[20] | 1位 | |||||
通算 | 7853 | 1242勝 | - | .158 | 4288万7743 | - |
年度 | 騎乗 数 | 勝利 | 勝率 | 連対 率 | 獲得賞金 (円) | |
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勝数 | 順位 | |||||
2001年 | 48 | 6勝 | 100位 | .125 | .188 | 8528万5000 |
2003年 | 16 | 1勝 | 169位 | .063 | .375 | 2270万0000 |
2009年 | 75 | 16勝 | 60位 | .213 | .333 | 3億4993万5000 |
2010年 | 59 | 12勝 | 70位 | .203 | .441 | 6億0838万1000 |
2011年 | 6 | 1勝 | 143位 | .167 | .167 | 830万0000 |
2012年 | 52 | 8勝 | 84位 | .154 | .250 | 1億5900万1000 |
通算 | 256 | 44勝 | - | .172 | .312 | 12億3360万2000 |
年度 | 騎乗 数 | 勝利 | 勝率 | 連対 率 | 獲得賞金 (円) | |
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勝数 | 順位 | |||||
2009年 | 1 | 0勝 | .000 | .000 | 800万 | |
通算 | 1 | 0勝 | - | .000 | .000 | 800万 |
年度 | 騎乗 数 | 勝利 | 勝率 | 連対 率 | 獲得賞金 (香港ドル) | |
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勝数 | 順位 | |||||
01/02年 | 1 | 0勝 | 43位 | .000 | .000 | 180万0000 |
02/03年 | 120 | 15勝 | 15位 | .125 | .258 | 1369万4000 |
03/04年 | 19 | 2勝 | 34位 | .105 | .316 | 495万2400 |
04/05年 | 124 | 16勝 | 14位 | .129 | .234 | 1915万3635 |
05/06年 | 172 | 32勝 | 10位 | .186 | .308 | 4318万6345 |
06/07年 | 81 | 5勝 | 23位 | .062 | .136 | 1042万3600 |
07/08年 | 136 | 18勝 | 15位 | .132 | .265 | 2210万9730 |
08/09年 | ||||||
通算 | 653 | 88勝 | - | .135 | .254 | 1億1531万0000 |
主な勝鞍
特に表記のないものはGI級競走。
フランス
クリテリウム・アンテルナシオナル - Dalakhani(2002年)、Carlotamix(2005年)
クリテリウムドサンクルー - Linda's Lad(2005年)、Prince Gibraltar(2013年)
パリ大賞典 - Khalkevi(2002年)、Rail Link(2006年)、Montmartre(2008年)
サンクルー大賞 - Mirio(2001年)
プール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー) - Vahorimix(2001年)、Clodovil(2003年)、Silver Frost(2009年)
プール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー) - Musical Chimes(2003年)、Darjina(2007年)、Zarkava(2008年)、Beauty Parlour(2012年)、Ervedya(2015年)
凱旋門賞 - Dalakhani(2003年) 、Zarkava(2008年)
アスタルテ賞 - Turtle Bow(2002年)、Mandesha(2006年)
カドラン賞 - Reefscape(2005年)
ディアヌ賞(フランスオークス) - Latice(2004年)、Zarkava(2008年)
イスパーン賞 - Valixir(2005年)、Cirrus des Aigles (2014年)
ガネー賞 - ディラントーマス(2007年)、Planteur(2011年)、Cirrus Des Aigles (2014年・2015年)
ジャック・ル・マロワ賞 - Whipper(2004年)、Makfi(2010年)、Excelebration(2012年)
ジョッケクルブ賞(仏ダービー) - Anabaa Blue(2001年)、Dalakhani(2003年)、 Darsi(2006年)
リュパン賞 - Dalakhani(2003年)
マルセルブサック賞 - Zarkava(2007年)、Rosanara(2009年)
モーリス・ド・ゲスト賞 - Porlezza(2003年)、Whipper(2005年)
モルニ賞 - Dutch Art(2006年)
ムーラン・ド・ロンシャン賞 - Darjina(2007年)、Ervedya (2015年)
オペラ賞 - Terre à Terre(2001年)、Mandesha(2006年)、Dalkala(2013年)
サンタラリ賞 - Vadawina(2005年)、Vazira (2014年)
ヴェルメイユ賞 - Pearly Shells(2002年)、Shawanda(2005年)、Mandesha(2006年)、Zarkava(2008年)
フォレ賞 - Paco Boy(2008年)
ジャンロマネ賞 - Stacelita(2010年)
ロワイヤルオーク賞 - Vazirabad (2015年)
アラビアンワールドカップ - Mushrae(2013年)
オートゥイユ大ハードル - Mandali(2010年)
カンバセレス賞 - Hippomene(2013年)
フォワ賞 (G2) - Shirocco(2006年)、オルフェーヴル(2012年・2013年)
ニエル賞 (G2) - Dalakhani(2003年)、Rail Link(2006年)
日本
天皇賞(秋) - ブエナビスタ(2010年)
ジャパンカップ - エピファネイア(2014年)
ステイヤーズステークス (GII) - フォゲッタブル(2009年)
スワンステークス (GII) - キンシャサノキセキ(2009年)
阪神カップ (GII) - キンシャサノキセキ(2010年)
東京スポーツ杯2歳ステークス (GIII) - サダムパテック(2010年)
香港
香港マイル - Good Ba Ba(2008年)
チェアマンズスプリントプライズ - Billet Express(2006年)
香港ダービー - Viva Pataca(2006年)
香港ゴールドカップ - Perfect Partner(2005年)
クイーンズシルヴァージュビリーカップ - Joyful Winner(2006年)
香港スチュワーズカップ - Bullish Luck(2005年)、Good Ba Ba(2009年)
香港クラシックマイル - Thumbs Up(2009年)、Beauty Flash(2010年)
アイルランド
アイリッシュオークス - Shawanda (2005年)
プリティーポリーステークス - Hanami (2003年)
アメリカ合衆国
ブリーダーズカップ・ターフ - Shirocco(2005年)
アラブ首長国連邦
ドバイデューティーフリー - Terre à Terre(2002年)
ドバイシーマクラシック - Dolniya (2015年)
アルクォズスプリント - Shea Shea(2013年)
ドバイカハイラクラシック - Al Mamun Monlau(2013年)
ジェベルハッタ - Vercingetorix(2014年)
UAEダービー (G2) - Musir(2010年)
UAE2000ギニー (G3) - Musir(2010年)
イギリス
キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス - Hurricane Run(2006年)
コロネーションカップ - Shirocco(2006年)、Cirrus des Aigles (2014年)
コロネーションステークス - Ervedya (2015年)
クイーンアンステークス - Valixir(2005年)
レーシングポストトロフィー - American Post(2003年)
サンチャリオットステークス - Sahpresa(2010年)
ファルマスステークス - Giofra(2012年)
チャンピオンステークス - Cirrus des Aigles(2011年)
イタリア
ミラノ大賞典 - Shamdala (2006年)
オークスイタリアーノ(イタリアオークス) - Dionisia (2006年)
ヴィットーリオ・ディ・カープア賞 - Dick Turpin(2011年)
カナダ
E.P.テイラーステークス - Reggane(2010年)
カナディアンインターナショナルステークス - Sarah Lynx(2011年)
トルコ
- トプカプトロフィー (G2) - Musir(2011年)、Master of Hounds(2012年)
ハンガリー
- OTPハンガリア大賞 - Overdose(2009年)
テレビ出演
サタうま!(2009年11月8日、関西テレビ)
著書
Insoumis : Un rêve de gosse, un destin d'exception(2007年、ル・シェルシュ・ミディ、ISBN 9782749109855)
脚注
- ^ abcdef「ジャパンカップ出走予定外国馬プロフィール (PDF) 」日本中央競馬会、2011年。
^ 「スミヨンとウィリアムズが対談/有馬記念」日刊スポーツ、2012年12月19日。
^ Scott Burton「スミヨン騎手、5回目のリーディングジョッキーに輝く(フランス)[その他]」ジャパン・スタッドブック・インターナショナル、2013年1月24日。
^ 「クリストフ・スミヨン騎手 仏国の年間最多勝記録を更新」『週刊競馬ブック』第51巻第50号(2013年12月14・15日号)、2013年、88頁。
^ 「昨年仏リーディング2位・ギュイヨン 目指せ日本通」スポーツニッポン、2014年1月10日。
^ レーシングトピックス(2015年1月11日)日本中央競馬会 2015年3月12日閲覧
^ 「スミヨンがアガ・カーン殿下と契約復活」日刊スポーツ、2013年9月4日。
^ 「殿下と契約切れたルメール 次は日本で?」スポーツニッポン、2013年9月5日。
^ 「スミヨン短期免許取得、天皇賞でフジ騎乗」日刊スポーツ、2009年10月16日。
^ 「スミヨン来日即重賞初V/スワンS」日刊スポーツ、2009年11月1日。
^ UMAJIN「ホワイト騎手、スミヨン騎手に短期免許を交付」Livedoor ニュース、2010年10月28日。
^ 「ブエナビスタ騎乗スミヨンは4日間騎乗停止(インターネットアーカイブ)」SANSPO.COM、2010年11月28日。
^ 「【JC】ブエナ衝撃降着!5億円ブッ飛んだ(インターネットアーカイブ)」SANSPO.COM、2010年11月29日。
^ 「スミヨンら方針変更で騎手免許交付されず」日刊スポーツ、2011年6月28日。
^ 「オルフェ凱旋門賞スミヨン騎手と新コンビ」日刊スポーツ、2012年7月16日。
^ 「凱旋門賞制覇へ視界良好、オルフェーヴル完勝/仏GII・フォワ賞」netkeiba.com、2012年9月16日。
^ 「オルフェーヴル2着、ソレミアが優勝 凱旋門賞」AFPBB News、2012年10月8日。
^ 「スミヨン日本で騎乗 2年ぶり短期免許取得」スポーツニッポン、2012年10月2日。
- ^ ab『競馬最強の法則』2012年12月号、ベストセラーズ、2012年、22-27頁。
^ レーシングトピックス(2015年1月11日)日本中央競馬会 2015年1月11日閲覧
外部リンク
公式ウェブサイト(フランス語)
クリストフ・スミヨン (@CSoumillon) - Twitter