アイドル
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アイドルとは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」を意味する英語(idol)に由来し[1]、文化に応じて様々に定義される語である。
稲増龍夫やカネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義している。[2]。
目次
1 概説
1.1 「アイドル」の起源
1.2 日本型「アイドル」の誕生
2 女性アイドル史
2.1 アイドル黎明期
2.2 アイドル全盛期
2.3 本来の「アイドル」の消滅
2.4 アイドル冬の時代
2.5 グループアイドルの勃興
2.6 アイドル戦国時代
2.7 主な女性アイドル
2.7.1 1940年代
2.7.2 1950年代
2.7.3 1960年代
2.7.4 1970年代
2.7.5 1980年代
2.7.6 1990年代
2.7.7 2000年代以降のソロアイドル
2.7.7.1 2000年代
2.7.7.2 2010年代
2.7.8 2000年代以降のグループアイドル
3 男性アイドル史
3.1 「アイドル」以前
3.2 1970年代
3.3 1980年代
3.4 1990年代
3.5 2000年代
3.6 2010年代
3.7 主な男性アイドル
3.7.1 1960年代
3.7.2 1970年代
3.7.3 1980年代
3.7.4 1990年代
3.7.5 2000年代
3.7.6 2010年代
4 女性アイドルを取り扱うメディア
4.1 テレビ番組
5 文献情報
6 脚注
7 関連項目
概説
キャラクター性を全面に打ち出し、歌・ダンス・演技・お笑いなど幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である[2]。外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[2]。
一方で、はっきりと目には見えない“華”や“人間的魅力”が強く求められるため、一流のアイドルは手が届きそうで届かない存在となる[2]。日本国内において一義的には「アイドル歌手」の意味で使用されるが[要出典]、後述のように「グラビアアイドル」など歌手活動を伴わないアイドル、「アイドルレスラー」など広義では芸能界以外でも使用する[要出典]。
“存在そのものの魅力”よりも“音楽的スキル”が主たる職業能力である場合には、「アイドル」には分類されず「アーティスト」や「ミュージシャン」などと呼ばれる[要出典]。ただし本人や所属事務所などの意向により、どちらの立場をとるか決めることもでき、線引きはあいまいである。そのため本人が「アーティスト」と名乗っていても、「アイドル」に分類されることがある[要出典][3][出典無効]
かつての主流は20代でアイドルを休止し、アーティストや俳優(女優)などに転向することであったが、2000年代以降は様相が変わってきている。本人が30代以降になっても新たなチャレンジなどをし続ければ、“成長過程”や“存在そのものの魅力”が問われるアイドルという職業を継続することが可能であり、世間からもそれが認められるようになった[4]。
「アイドル」の起源
アイドル(idol)の本来の意味は、偶像、すなわち神や仏などの宗教的存在をかたどって造られた像で、かつ崇拝の対象となっているもののことである[5]。この用語が転用され、20世紀前半のアメリカで「若い人気者」としての意味で使われ始めた。
アメリカでは、戦前の1927年に「マイ・ブルーヘブン」をヒットさせた歌手のジーン・オースティン[6]や、1940年代に「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれて熱狂的な人気を生んだフランク・シナトラらがidolと呼ばれ始めた[7]。その後、アネットやファビアン、ボビー・ライデル[8]らのアイドルが人気となり、マイケル・ジャクソンやバックストリート・ボーイズなどもアメリカを代表するアイドルである。デビュー時のエルヴィス・プレスリー(1950年代)やビートルズ(イギリス・1960年代)らは、日本でも「アイドル」として認知されていた[9]。イギリスでは、クリフ・リチャード、ベイ・シティ・ローラーズ、スパイス・ガールズらのアイドルが存在した。その後「若い人気者」という意味におけるidolという言葉は死語となり、iconやpop starなどの言葉で置き換えられるようになっていった[10]。
日本型「アイドル」の誕生
日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられ[11][12]、日本の人気芸能人は一般的に「スター」と呼ばれていた[要出典]。
明日待子は「日本で最初のアイドル」(の一人)として挙げられる[13][14]。
テレビが登場する前の主力産業は映画だったことから、スターの大半は映画俳優であり、特に加山雄三、吉永小百合、浜田光夫らは「青春スター」と呼ばれた(東映ニューフェイスも参照)。女性においては美空ひばりや吉永小百合らの時代であり、そのひばりに江利チエミ、雪村いづみを加えた「三人娘」、あるいは、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりから成る「スパーク3人娘」らが人気を博した。
しかし、1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[15]が巻き起こる過程で、徐々に「スター」と並行して「アイドル」の呼称が用いられるようになった[16]。
1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された[17]。また1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[18]。
その後、現在に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない『感動しやすい習性』『精緻なる感受性』をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、民族学者・柳田國男の評論が持ち出されるケースがある[19]。なお、日本におけるアイドルの隆盛時期は、不況の期間とほぼ完全に一致している、という分析もある[20]。
女性アイドル史
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アイドル黎明期
1971年デビューの新三人娘(小柳ルミ子・南沙織・天地真理)らがアイドル歌手の源流とされるが、それ以前にも西野バレエ団から派生したガールズユニット「レ・ガールズ」(金井克子、原田糸子、由美かおる、奈美悦子、江美早苗が所属)が1967年に結成され、若者を中心に熱狂的な人気を博すといった事例もあった。
1970年代には『スター誕生!』や「ミスセブンティーンコンテスト」、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」などの大規模なオーディションが相次いで開催されるようになり、森昌子、桜田淳子、山口百恵から成る「花の中三トリオ」やピンク・レディー(『スター誕生!』)、松田聖子や国生さゆり、工藤静香(「ミスセブンティーンコンテスト」)ら、後の人気アイドルを輩出した。但馬オサムによると、当時はまだアイドルという単語自体が定着しておらず(「新人歌手」「新人女優」「新人モデル」といった肩書が付けられていた)、この時代に量産される女性タレントを多少の揶揄の意味を込めて「可愛い子ちゃん歌手」と呼ぶ風潮があったとのことである[21]。小学館の学年別学習雑誌の表紙は、それ以前に子供の写真か子供を描いた水彩画が用いられていたのに対し、1970年代後半から主に高学年向けにてアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになりはじめ、1975年にはグラビアアイドルの先駆者と称されるアグネス・ラムがデビューを果たした(ただし当時の彼女の肩書は「CMモデル」)。
アイドル全盛期
1980年代に入り、松田聖子・小泉今日子・中森明菜[22]ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の呼称が市民権を得るようになった[23][24]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージック勢が優勢であったが[24]、1982年に小泉と中森がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[25]。1980年代の後半には、「女性アイドル四天王」と呼ばれていた中山美穂、工藤静香、南野陽子、浅香唯の4人の他、高い歌唱力を持つ本田美奈子や森川美穂や長山洋子などの実力派アイドルも登場した。そのような中、ライジングプロダクションが擁する荻野目洋子は歌唱力だけでなくダンスにも力を入れたスタイルで人気を博した。これは、1990年代後半以降に台頭するダンスボーカルアーティストのスタイルを先取りする形であった。
彼女らは、レコードリリースと歌番組を軸として活動しており、バラエティー番組出演や女優業などは、いわゆる「副業」という位置づけであった。シングルレコードは、おおよそ3か月程度で一枚を出すのが常で、とりわけデビュー前後においては、レコード会社及びプロダクションが最も力を注ぎ[26]、多大な宣伝効果を期待していた[27]。年度始めのデビューが多く、「豊作の82年組・85年組」「不作の83年組」など、年度単位でアイドルがカテゴライズされることもあった。
日本レコード大賞を筆頭に数々の賞を賭けた歌番組が80年代に勃興し、各賞を獲得することが当時のアイドルにとってのステータスであり、その激しさから「賞レース」などとも呼ばれた[28]。また、『ザ・ベストテン』『歌のトップテン』等のランキング番組は、その宣伝効果から、オリコンチャートに匹敵、むしろそれを上回る重要性さえ持っていた。
80年代アイドルは、基本はまず「歌うこと」が仕事のメインという前提があったが、「角川三姉妹」と呼ばれた薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子のように女優業をメインとして、歌手業が副業的な場合もあった。歌番組出演は当時のアイドルの生命線でもあったが、このようなタイプのアイドルはむしろ乱発的に出演せず、最小限のテレビ出演に留め、映画公開と併せたプロモーション効果としてシングル曲を巧く利用していた。
コンサートやイベントなどでは、「親衛隊」と呼ばれる、事務所側から公認・支援を受けた全国的応援組織が複数存在した。
本来の「アイドル」の消滅
1980年代後半から、レコードの売り上げが頭打ちになる。『ベストテン』『トップテン』『夜のヒットスタジオ』などの生放送歌番組が相次いで打ち切りになり、日本レコード大賞などの権威も失墜。アイドルがアピールできる媒体が消滅していった。
一方で、フジテレビ『夕やけニャンニャン』から生まれたおニャン子クラブや、井森美幸、島崎和歌子、松本明子、森口博子、山瀬まみら、主にテレビのバラエティ番組で活動するバラエティーアイドル(略して「バラドル」)と呼ばれる存在が派生し、同時期にかとうれいこ、細川ふみえ、C.C.ガールズといった、雑誌のグラビアを中心に活動する「グラビアアイドル」と呼ばれる存在もデビューしはじめ、他方で後藤久美子、小川範子、坂上香織、喜多嶋舞、宮沢りえらローティーンの子役やモデルらが美少女ブーム[29]の中クローズアップされて歌手デビューするなど、以降アイドルという存在が急速に多様化していった。また、アダルトビデオの普及に伴い、黒木香、桜木ルイ、飯島愛などのアイドル的な人気を誇るAV女優が登場するようになり、それらの中にはAV女優引退後にタレントに転身して活動する者も現れ始めた。
それまでのアイドルは一般的に歌手や俳優、グラビア写真モデルなど1人で様々な分野で活動し、“成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物”を目指していた。しかし、素人同然の「バラエティーアイドル」やビジュアル重視の「グラビアアイドル」の出現により、人間的魅力と成長過程を追い求める「アイドル」という概念が崩壊。女性アイドルはそのファンも含めて、あまりいいイメージで捉えられなくなっていく。90年代初頭において、高橋由美子が「最後のアイドル」と呼ばれたのが象徴的事象であったように、アイドルそのものは存続していたが、本来の「アイドル」は、この時期に終焉を迎えたと言える[30]。
またこの時期、第3次声優ブームが起こり、桜井智、岩男潤子といった本来アイドルとして活動していたタレントが声優に転身する、あるいは國府田マリ子、椎名へきるといったアイドル的な活動を行う声優が現れるといった事例も増え始める。
アイドル冬の時代
1990年代に入ると、歌手活動を中心とするアイドルはWink、CoCo、高橋由美子、ribbon、東京パフォーマンスドールらの活動が見られたものの、テレビ歌番組の減少と共に「アイドル冬の時代」「アイドル氷河期」[31]と呼ばれる時代を迎えた。一方で森高千里、渡瀬マキ、森川美穂、松田樹利亜、山口由子などGiRLPOPやバンドなどアーティスト路線へ移行しヒットした者もいた。また、長山洋子は演歌路線に移行し大成功を収めた。
1990年代終盤、小室哲哉のプロデュースによる華原朋美や篠原涼子などのアイドル出身者(いわゆる小室ファミリー)、安室奈美恵やSPEEDなどの沖縄アクターズスクール出身者などがミリオンセラーを連発。アイドル的な存在が再びスポットを浴びたが、彼女らはアーティスト的要素を強く打ち出していたので、アイドルとはみなされない場合もある。
2000年代前半にかけて、テレビ東京『ASAYAN』の企画でデビューしたモーニング娘。や鈴木あみ、松浦亜弥らが台頭した。これにより本来の「アイドル」が再興する予感をうかがわせたが、あくまでつんく♂プロデュースによるハロー!プロジェクトの一人勝ち状態で、邦楽界全体に波及しなかった点では、80年代の状況とは異なる。
グループアイドルの勃興
2000年代に入ると、ハロー!プロジェクトに℃-ute、Berryz工房らが加わり規模が拡大するとともに、メンバーがグループから「卒業」することが一般化[32]。これにより各アイドルグループは、メンバーを入れ替えながら存続を計ることが選択肢の一つとなった。
2005年にはAKB48が結成され、2007年の紅白歌合戦に中川翔子、リア・ディゾンと共に「アキバ系アイドル」枠で出場した[33][34]。
この時期には、フジテレビ『アイドリング!!!』から誕生したアイドリング!!!(2006年)や、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZ(ももいろクローバーとして2008年)、ディアステージのでんぱ組.inc(でんぱ組として2008年)、ハロー!プロジェクトのアンジュルム(S/mileageとして2009年)、PASSPO☆(ぱすぽ☆として2009年)らが始動した。
アイドルはソロよりもグループの形態が主流となり、前述の中川翔子や小倉優子、木下優樹菜、里田まい、スザンヌらは、「アイドル」としてではなく「バラエティタレント」というスタンスでテレビ出演しており、これ以降も同様の傾向が続く。
また、2000年にアイドルとして活動をスタートしたPerfumeは、2007年にテクノポップユニットとして音楽面から人気を獲得し海外へも進出。一方、KARAや少女時代らK-POP勢も来日して活動を展開した。
アイドル戦国時代
2010年代に入ると、「アイドルを名乗るタレントの数が日本の芸能史上最大」[35]という状況になり、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった[36][37]。
エイベックス・グループ所属のSUPER☆GiRLSや東京女子流のデビュー、さくら学院から派生したBABYMETALの世界進出、ももいろクローバーZの女性グループ初となる国立競技場ライブ開催[38]など、多数のグループが次々と活躍した(同時期にブレイクしたE-girlsはアイドルグループではなくダンス&ボーカルグループに分類されることが多い)。AKB48グループの拡大に付随して「坂道シリーズ」が誕生。ももいろクローバーZとその姉妹グループによるプロジェクト「STARDUST PLANET」(通称:スタプラ)も始動した。
2010年から始まった、女性アイドルの大規模フェスTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の規模も、200組以上もの出演者が参加するまでになっている[39]。
さらには、新潟のNegicco、宮城のDorothy Little Happy、愛媛のひめキュンフルーツ缶、福岡のLinQなど、ローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる、地域に密着したアイドルも相次いで全国デビュー[35][36]。中には福岡のRev. from DVLに所属する橋本環奈のように、個人で全国区の人気を集めたケースもある。日本ご当地アイドル活性協会代表の金子正男[40][41]によると東京拠点のアイドル500組を除いた全国46道府県のアイドルは、2017年6月17日現在で942組存在する[42][43][44][45][46]。
主な女性アイドル
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1940年代
歌手デビュー年
1946年…明日待子[47]
1949年…美空ひばり
1950年代
歌手デビュー年
1952年…江利チエミ
1953年…雪村いづみ
1958年…伊東ゆかり
1959年…ザ・ピーナッツ
1960年代
歌手デビュー年
1962年…吉永小百合、中尾ミエ、園まり、木の実ナナ、梅木マリ
1963年…九重佑三子
1964年…いしだあゆみ、水前寺清子
1965年…奥村チヨ、中村晃子、森本和子
1966年…山本リンダ
1967年…黛ジュン、佐良直美、今陽子、泉アキ
1968年…小川知子、和田アキ子、ピンキーとキラーズ、小山ルミ、はつみかんな
1969年…由紀さおり、辺見マリ、ベッツィ&クリス
1970年代
歌手デビュー年
1970年…岡崎友紀、吉沢京子、ゴールデン・ハーフ、津々井まり、純エリ子、渥美マリ、平山みき ら。
1971年…天地真理、小柳ルミ子、南沙織、アン・ルイス、五十嵐じゅん、牧葉ユミ、フラワー・メグ ら。
1972年…森昌子、麻丘めぐみ、アグネス・チャン、坂口良子、山口いづみ、小林麻美、岩渕リリ、ニュー・キラーズ ら。
1973年…山口百恵、桜田淳子、キャンディーズ、浅田美代子、夏木マリ、安西マリア、石川さゆり、朝倉理恵、栗田ひろみ、杉田かおる ら。
1974年…太田裕美、伊藤咲子、浅野ゆう子、林寛子、木之内みどり、松本ちえこ、相本久美子、小林美樹、しのづかまゆみ、シェリー、優雅、石江理世、池上季実子、風吹ジュン、リンリン・ランラン ら。
1975年…岩崎宏美、片平なぎさ、岡田奈々、黒木真由美、目黒ひとみ、山本由香利、池田ひろ子、青木美冴、浅野真弓、小川順子、讃岐裕子、竹田かほり、三東ルシア、マッハ文朱、ザ・リリーズ ら。
1976年…ピンク・レディー、三木聖子、大竹しのぶ、早乙女愛、手塚さとみ、東てる美、多岐川裕美、神保美喜、秋野暢子、森田つぐみ、吉田真梨、浦部雅美、三谷晃代、桜たまこ、北村優子、秋本圭子、芦川よしみ、榊みちこ、中山圭以子、山本百合子、ビューティ・ペア、ゴールデンハーフスペシャル ら。
1977年…榊原郁恵、大場久美子、高田みづえ、清水由貴子、荒木由美子、香坂みゆき、五十嵐夕紀、神田広美、岸本加世子、夏目雅子、谷ちえ子、久木田美弥、北原由紀、梓真由美、木原光知子、ナンシー久美、アグネス・ラム、アパッチ、キャッツ★アイ、ギャル ら。
1978年…石野真子、石川ひとみ、畑中葉子、金井夕子、高見知佳、秋ひとみ、天馬ルミ子、久我直子、中野知子、大橋恵里子、岩城徳栄、森まどか、桂木文、加山麗子、堀川まゆみ、朝風まり、トライアングル、スリーヤンキース ら。
1979年…倉田まり子、能瀬慶子、比企理恵、川島なお美、桑江知子、沢田聖子、井上望、大滝裕子、朝比奈マリア、藤真利子、横山みゆき、斉藤とも子、さとうあき子、壺井むつ美、BIBI(早坂あきよ・小西直子) ら。
1980年代
歌手デビュー年
1980年…松田聖子、河合奈保子、柏原よしえ、岩崎良美、三原順子、浜田朱里、甲斐智枝美、石坂智子、鹿取洋子、パティ、日高のり子、佐藤恵利、中川みどり、兵藤まこ、舟倉たまき、原めぐみ、熊谷美由紀 ら。
1981年…薬師丸ひろ子(1978年から女優として活動しているが歌手として1981年デビュー)、松本伊代、伊藤つかさ、川上麻衣子、島田歌穂、沢田富美子、沢村美奈子、中島めぐみ、林紀恵、寺島まゆみ、矢野良子、石毛礼子、壇まゆみ、中島はるみ、横須賀よしみ、ヘレン笹野、野宮真貴、宮崎美子、真行寺君枝、Sugar ら。
1982年…中森明菜、小泉今日子、早見優、堀ちえみ、石川秀美、原田知世、三田寛子、伊藤かずえ (神奈かずえ名義で1978年に歌手デビューしており、再デビューとなる) 、新井薫子、松居直美、白石まるみ、つちやかおり、斉藤慶子、坂上とし恵、川田あつ子、中野美紀、川島恵、伊藤さやか、水谷絵津子、渡辺めぐみ、水野きみこ、大竹かおる、百瀬まなみ、山田由紀子、吉成香、熊谷真実、美保純、スターボー、Lady oh!、シャワー、パンジーからソロで北原佐和子、真鍋ちえみ、三井比佐子、佐東由梨ら。
1983年…わらべ、岩井小百合、富田靖子、伊藤麻衣子、武田久美子、松本明子、飯島真理、大沢逸美、森尾由美、桑田靖子、徳丸純子、小林千絵、横田早苗、原真祐美、高橋美枝、木元ゆうこ、小出広美、吹田明日香、河上幸恵、松尾久美子、太田貴子、小久保尚美、山口由佳乃、トライアングルからソロで小森みちこ ら。
1984年…菊池桃子、荻野目洋子、岡田有希子、安田成美、長山洋子、工藤夕貴、渡辺典子、渡辺桂子、宇沙美ゆかり、山本ゆかり、田中久美、辻沢杏子、渡辺千秋、加藤香子、青田浩子、長谷川真弓、少女隊、セイントフォー、麻生真美子&キャプテン、おかわりシスターズ、わらべからソロで倉沢淳美 ら。
1985年…おニャン子クラブ、中山美穂、森川美穂、本田美奈子、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、芳本美代子、森口博子、井森美幸、いしのようこ、松本典子、大西結花、宮崎ますみ、佐野量子、江原由希子、森田まゆみ、橋本美加子、岡本舞子、山本理沙、奥田圭子、森下恵理、志村香、村田恵里、高橋里奈、網浜直子、藤原理恵、おニャン子クラブからソロで河合その子、吉沢秋絵、シャワーからソロで矢野有美 ら。
1986年…西村知美、島田奈美、杉浦幸、山瀬まみ、相原勇(本名の小原靖子としてデビュー)、水谷麻里、藤井一子、勇直子、真璃子、森恵、浅倉亜季、佐藤恵美、芹沢直美、八木さおり、清水香織、中沢初絵、中野みゆき、川島みき、おニャン子クラブからソロで国生さゆり、新田恵利、渡辺美奈代、渡辺満里奈 ら。
1987年…森高千里、酒井法子、立花理佐、渡瀬マキ、石田ひかり、中村由真、後藤久美子、小川範子、仁藤優子、真弓倫子、つみきみほ、畠田理恵、牧野アンナ、小沢なつき、伊藤美紀、伊藤智恵理、白田あゆみ、五十嵐いづみ、守谷香、金子美香、佐倉しおり、BaBe、おニャン子クラブからソロで工藤静香、ゆうゆ(『夕やけニャンニャン』終了と同時期)ら。
1988年…Wink、西田ひかる、高岡早紀、田中律子、深津絵里、中山忍、藤谷美紀、喜多嶋舞、杉本彩、本田理沙、坂上香織、小高恵美、国実百合、仲村知夏、相川恵里、北岡夢子、吉田真里子、姫乃樹リカ、安永亜衣、円谷優子、麻田華子、川越美和、小林彩子、山口由子、島崎路子、レモンエンジェル、おニャン子クラブからソロで生稲晃子、山崎真由美(『夕やけニャンニャン』終了後)ら。
1989年…宮沢りえ(1985年にモデルデビュー)、田村英里子、CoCo、ribbon、島崎和歌子、田中美奈子、細川直美、千葉美加、里中茶美、増田未亜、山中すみか、河田純子、山口弘美、星野由妃、佐藤忍、咲浜小百合、田山真美子、日原麻貴 ら。
1990年代
歌手デビュー年
1990年…高橋由美子、桜井幸子、宍戸留美、和久井映見、千堂あきほ、田中陽子、寺尾友美、西野妙子、早坂好恵、駒村多恵(当時は佐月亜衣の名前で活動)、中野理恵、杉本理恵、薬師寺容子、中嶋朋子、武田雅子、東京パフォーマンスドール、BABY'S、Lip's(加藤貴子が所属)、Cotton、乙女塾からソロで花島優子 ら。
1991年…Mi-Ke、中江有里、横山知枝、諸岡なほ子、江崎まり、KEY WEST CLUB(中谷美紀が所属)、乙女塾からソロで三浦理恵子、瀬能あづさ、羽田惠理香、中嶋美智代、堀川早苗、乙女塾からグループでQlair、東京パフォーマンスドールからソロで篠原涼子、穴井夕子、市井由理、桜っ子クラブからソロで井上晴美、中條かな子、胡桃沢ひろ子 ら。
1992年…SUPER MONKEY'S、小田茜、新島弥生、貴島サリオ、遠野舞子、鈴木ユカリ、MANISH、W-NAO、桜っ子クラブさくら組、乙女塾からソロで宮前真樹、大野幹代、桜っ子クラブからソロで加藤紀子 ら。
1993年…坂井真紀、酒井美紀、梨花、柳原愛子、藤原久美、木内美歩、電波子、山崎亜弥子、山口リエ、KaNNa、ブカブカ(はしのえみが所属)、Melody、黒BUTAオールスターズ、乙女塾からソロで永作博美、桜っ子クラブからソロで持田真樹、桜っ子クラブさくら組/KEY WEST CLUBからソロで中谷美紀、BABY'S解散後ソロで松田樹利亜 ら。
1994年…内田有紀、hitomi、辺見えみり、葉月里緒菜、宝生舞、千葉麗子、笹峯愛、大橋利恵、水野あおい ら。
1995年…SUPER MONKEY'Sからソロで篠原ともえ、雛形あきこ、奥菜恵、鈴木蘭々、村田和美 ら。
1996年…SPEED、知念里奈、ともさかりえ、上原さくら、矢部美穂、中山エミリ、D&D ら。
1997年…モーニング娘。、広末涼子、鈴木紗理奈、Folder、吉川ひなの、平家みちよ、松田純、山田まりや、野村佑香、浜丘麻矢、ABYSS ら。
1998年…八反安未果、tohko、遠藤久美子、山口紗弥加、木村由姫、未来玲可、吉野紗香、柳明日香、大森玲子、小畑由香里、チェキッ娘、モーニング娘。からソロで中澤ゆうこ ら。
1999年…前田亜季、須藤温子、希良梨、shela、三佳千夏、y'z factory、太陽とシスコムーン、SPEEDからソロでhiro、HITOE、上原多香子、チェキッ娘からソロで下川みくに ら。
2000年代以降のソロアイドル
2000年代
歌手デビュー年
2000年...SPEED解散後ソロで今井絵理子 ら。
2001年...松浦亜弥、あびる優、モーニング娘。からソロで後藤真希、Ace Fileからソロで奈良沙緒理 ら。
2002年...榎本加奈子、Folder5からソロでAKINA、EE JUMP解散後ソロでソニン ら。
2003年...モーニング娘。からソロで安倍なつみ ら。
2004年...モーニング娘。からソロで飯田圭織 ら。
2005年...
2006年...中川翔子、平野綾、y'z factory解散後ソロで山田優 ら。
2007年...
2008年...
2009年...
2010年代
歌手デビュー年
2010年...
2011年...きゃりーぱみゅぱみゅ、AKB48からソロで板野友美、前田敦子 ら。
2012年...春奈るな、竹達彩奈、AKB48からソロで指原莉乃、渡辺麻友、AKB48を卒業後ソロで小野恵令奈 ら。
2013年...武藤彩未、アイドリング!!!からソロで横山ルリカ ら。
2014年...寺嶋由芙、フェアリーズからソロで伊藤萌々香 ら。
2015年...
2016年...橋本環奈、NMB48からソロで山本彩 ら。
2017年...ももいろクローバーZからソロで有安杏果・佐々木彩夏 ら。
2018年...AAAからソロで宇野実彩子 ら。
2000年代以降のグループアイドル
男性アイドル史
「アイドル」以前
1950年代の映画の全盛期には、日活映画や歌で活躍した石原裕次郎ら東宝や日活などのニューフェイス、1960年代に「御三家」と呼ばれた橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦ら、中盤には三田明が台頭し、御三家に三田を加えて「四天王」と呼ばれた。他にスリーファンキーズ、或いは、日劇ウエスタンカーニバルに代表されるロカビリー歌手、グループ・サウンズ、1970年代の新御三家ら、そして、初代ジャニーズのあおい輝彦ら、折々の時代に即した多くのスターが登場した。
1970年代
郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した。更に、ザ・タイガースの後もソロないしバンドとして活動を続けた沢田研二も『ザ・ベストテン』など歌番組の常連として人気を保った。ザ・スパイダースの堺正章、井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズの萩原健一、オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。
新御三家の他にはフォーリーブス(ジャニーズ事務所所属)やフィンガー5、にしきのあきら、野村将希、伊丹幸雄、荒川務らが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。
この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[48]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕(ジャニーズ事務所所属)や三善英史のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや情報番組『ぎんざNOW!』出身の清水健太郎や、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、藤正樹、新沼謙治や、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介、渋谷哲平、川崎麻世(ジャニーズ事務所所属)らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。
一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和、石橋正次、桜木健一、近藤正臣、星正人、草川祐馬、国広富之、広岡瞬などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も多く現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場するほどの大ヒット曲「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)に恵まれている。沖雅也は日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、テレビドラマに進出してからアイドル的人気を得た。森田健作と仲雅美や井上純一は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によってアイドルとなった。井上はヒット曲に恵まれなかったが、森田、仲はそれぞれ大ヒット曲を持つ。
この時代はまだロック・ミュージックが一般化していなかったため、のちに本格的なロックギタリストとして名声を博すCharやシンガーソングライターの原田真二もアイドルとして売り出された。
アイドルの多様化の中、この時期から高校野球の選手がアイドル視される現象も起こった。太田幸司、原辰徳、荒木大輔らである。
1970年代初頭には西欧の古代や中世の格好をする日本人アイドルやGSグループには飽き足らず、本物の欧米人の歌手や俳優が招かれ、テレビコマーシャルに出演し、そのタイアップとして、日本語でレコードをリリースしヒットさせた例もある[49]。イタリア映画『ガラスの部屋』で人気となったイタリア人俳優レイモンド・ラブロックやイタリア映画『ベニスに死す』の美少年俳優ビョルン・アンドレセン[50][51]らが該当する。また、アメリカの人気ファミリーグループ「オズモンズ」のジミー・オズモンドが他の兄弟とともに出演し[52]、テレビコマーシャルの影響は大きく、日本語で歌ったカルピスのCMソング「ちっちゃな恋人」は1970年の年間28位の大ヒットとなった。レイフ・ギャレットは日本でのコマーシャル出演がきっかけで曲を日本でも大ヒットさせた[53]。
他には1970年代当時TBSで放送され、高視聴率を得ていた『東京音楽祭』で1974年にグランプリを受賞した当時13歳のカナダ人歌手ルネ・シマールは日本で大人気となり、トンボ学生服や旺文社の学習参考書の広告に出演した[54][55]。世界的に人気のあったイギリスのアイドルグループ、ベイ・シティ・ローラーズは日本では本国に1年遅れで1975年に火が付き、翌年にはアルバムがチャート1位となる成功を収め、1970年代後半に欧米での人気が低調になった後も高い人気を保ち、個々のメンバーが単独で日本のアイドル雑誌の表紙を飾ったり[56]、イアン・ミッチェル、パット・マッグリンら脱退した主要メンバーがシングルやアルバムをリリースし、日本でヒットさせた[57][58]。
1980年代
1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦、近藤真彦、野村義男から成るたのきんトリオ(ジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。
ジャニーズ事務所は、その後も、本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和から成るシブがき隊や、少年隊、光GENJI、男闘呼組、忍者といった人気あグループを次々と輩出した。ソロではひかる一平、中村繁之がデビューした。また、『金八シリーズ』からは他に竹の子族出身の沖田浩之が人気アイドルとなった。
ソロ歌手としては他に竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎、新田純一、映画やテレビドラマで活躍した山本陽一が挙げられる。
アイドルの多様化の中で、横浜銀蝿の弟分としてデビューした嶋大輔、紅麗威甦(グリース)が人気アイドルとなり、原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾は萩本欽一の番組でブレイクする。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多い。イモ欽トリオ、CHA-CHA(勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)など。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊(羽賀研二、野々村真ら)、ABブラザーズ(中山秀征ら)、とんねるずがアイドル的な人気を得た。
また、ロック志向のチェッカーズ、吉川晃司、本田恭章もアイドルとしてデビューさせる時代だった。チェッカーズは70年代に日本でも大人気だったイギリスのアイドルグループ・ベイ・シティ・ローラーズ風に、本田はデヴィッド・ボウイや80年代前半に特にイギリスと日本で人気を博したデュラン・デュランのようなニューロマンティック風にそれぞれビジュアルを強調して売り出された。ジャニーズ事務所からも野村義男がロックバンドTHE GOOD-BYEの一員としてレコードデビューした。1970年代同様に「日本でのみデビューする洋楽アイドル」も存在し、イギリス人のロックバンドG.I.オレンジが成功を収めている。ボン・ジョヴィも本国よりも日本で先に人気が出たバンドで、当初はアイドル的に[59]、80年代後半には高い人気と知名度を獲得し、ハードロック/ヘヴィメタルブームの中心となった。時流に乗る形で、ジャニーズ事務所からはテレビドラマでも活躍した岡本健一、前田耕陽、高橋和也、成田昭次ら男闘呼組がボン・ジョヴィなどに影響を受けたスタイルのハードロックバンドとしてデビューした。
この頃はまだ俳優もアイドル風に売り出されるものがいた。JAC出身の真田広之、中井貴一、石黒賢、角川映画の野村宏伸、『金八シリーズ』出身の鶴見辰吾、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした清水宏次朗、仲村トオル、西川きよしの息子西川弘志、モデル出身の阿部寛、子役出身の坂上忍、菊池健一郎らである。歌うアイドル俳優として特筆すべきなのは『太陽にほえろ!』の「ラガー刑事」役で人気を博した渡辺徹で、シングル「約束」が自身も出演したグリコ「アーモンドチョコレート」のCMのタイアップソングとなり、1982年の年間ランキングでは33位にランクインする大ヒットとなっている[60]。他にヒット曲を出した俳優としては、湯江健幸、横山やすしの息子の木村一八、子役アイドルとして人気を博した高橋良明がいる。特に複数のヒット曲に恵まれた木村と高橋はジャニーズ事務所所属者に席巻された80年代後期の男性アイドルシーンにおいて健闘を見せた。しかし、木村は1988年に自身の起こした傷害事件で少年院送致となり、アイドルとしての前途が断たれた。高橋は交通事故で1989年1月に16歳で夭折、と共に不幸な結果に終わってしまった。
1990年代
主にジャニーズ事務所が送り出したグループの時代であり、当初は光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、バンドブームの到来や元ジャニーズ事務所所属のタレントの暴露が続くなどのあおりで失速。女性アイドル同様に冬の時代を迎えていたが、中盤からは、デビュー当初からバラエティー分野での活躍が目立ったSMAPが現在に至る人気を確立し、更に、KinKi Kids、TOKIO、V6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉は俳優として、中居正広はバラエティー番組の司会のみならず、NHK紅白歌合戦等の司会を務めるなど、従来のアイドルには無かった地位を確立し、その他のメンバー個人も個々の活動で成功した。また、SMAPがテレビの第一線で長期で活躍する影響もあり、30代、40代でもアイドルとして活躍でき、男性アイドルの寿命が伸びた。一方でジャニーズの寡占状態で、アイドルの多様性は失われた。
そういった90年代のジャニーズ全盛期に対抗して、ライジングプロダクションから結成されたDA PUMPやw-inds.なども、グループの構成や音楽スタイルで差別化を図り、大衆から人気を集めた。また若手俳優からは織田裕二、福山雅治、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史、いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治、柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。
2000年代
女性アイドルと同じく『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや、あくまでも「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバー、或いは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平や溝端淳平ら、また、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽、仮面ライダーシリーズ出身のオダギリジョーや要潤、水嶋ヒロや佐藤健、スーパー戦隊シリーズ出身の松坂桃李がブレイクする。かつて1990年代に一世を風靡したZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILE、或いは女性アイドルと同じくK-POP組など、バラエティーからでなく音楽の方面から人気を博す事例も再び見られた。また、男女混合グループではavexからAAAも活躍する。ジャニーズは、2000年代半ばから後半に入って活力が低下した。
一方で、2000年前後の頃から「アイドルのファン、追っかけイコール中高生」というイメージは変わり、年配女性の追っかけ行為が盛んに報道されるようになった。先んじて1990年代にアイドルの先駆けであった舟木一夫の復活[61]、2002年にはフォーリーブスが再結成した。とりわけ2000年デビューの氷川きよしは久々に演歌界に大ヒットをもたらしたのみならず、熱心な年配女性のファンを生み、「きよ友」と称したファン仲間たちの交流はマスメディアに紹介されるのみならず[62]、年配の視聴者をターゲットにしたテレビドラマの題材にもなった[63]。更に2004年頃からの韓流ブームは中高年女性によって牽引された[64]。
2010年代
2010年代現在、ジャニーズの中で大衆的な人気を得ているのは嵐が事実上最後であり、それ以後デビューさせたNEWS、KAT-TUN、Hey! Say! JUMPなどは、脱退メンバーも出始めるなど、大きな成果を出せずにいる。LDHのEXILE系列グループは、もともとはアイドルではなかったが、若年メンバーが数多く登場してきてアイドル性が強化されている。これらのグループは、ジャニーズに比べて男性的なイメージと大衆の志向に合致する楽曲で好評を得た。
さらに、2012年に入って日韓の政治的関係が、徐々に冷却され、これによりK-POP男性アイドルが日本のテレビ番組などに出演することが、非常に困難となった。その代わりにLDH系列グループが従来の韓流アイドルの需要を吸収し、その代替材として置き換えられたとされている。しかし、韓流固定ファン層と市場を確保しているため、SEVENTEEN、SHINee、EXO、IKON、防弾少年団などをはじめとする、さまざまなグループが、そうした状況の中、安定的に活動している。一方、ライジングプロダクションの男性アイドルも活動が多く減り、スターダストプロモーションなどからも男性アイドルグループが多数デビューしているが、こちらもまだ明確な成果はない。現在の男性アイドルは、嵐、三代目 J Soul Brothersを筆頭に、関ジャニ∞、Hey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、Sexy Zone、A.B.C-Z、ジャニーズWEST、King & Prince、超特急やDISH//、BOYS AND MENなどが活動している。韓流アイドルでは、東方神起とBIGBANGが人気を保持しており、宮野真守や神谷浩史、Kiramuneといった声優アイドルも人気を獲得している。年配女性をターゲットとした演歌アイドルとしては山内惠介や純烈が挙げられる。
主な男性アイドル
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1960年代
歌手デビュー年
1960年…橋幸夫
1961年…坂本九
1962年…北島三郎
1963年…舟木一夫
1964年…ジャニーズ、西郷輝彦
1965年…ザ・スパイダース
1966年…加山雄三
1967年…ザ・タイガース、ザ・テンプターズ
1968年…千昌夫、森進一、フォーリーブス、ジャニーズ解散後ソロであおい輝彦
1969年…森田健作、永田英二、ピーター
1970年代
歌手デビュー年
1970年…にしきのあきら、仲雅美、野村将希、ザ・ワンダース解散後ソロで尾崎紀世彦、石橋正次、桜木健一
1971年…野口五郎、ザ・タイガース解散後ソロで沢田研二、ザ・スパイダース解散後ソロで堺正章、井上順 ら。
1972年…西城秀樹、郷ひろみ、フィンガー5、伊丹幸雄、三善英史、近藤正臣、沖雅也、ザ・テンプターズ解散後ソロで萩原健一
1973年…城みちる、藤正樹、葵テルヨシ、黒沢浩
1974年…あいざき進也、ずうとるび、荒川務、八田英士(永田英二が改名して再デビュー)
1975年…草川祐馬、加納竜、井上純一、JOHNNYS' ジュニア・スペシャル、豊川誕、リトル・ギャング ら。
1976年…新沼謙治、三浦友和、清水健太郎、太川陽介、ギャングス ら。
1977年…狩人、レイジー、川﨑麻世、フォーリーブスからソロで青山孝
1978年…渋谷哲平、川崎龍介 ら。
1979年…国広富之 ら。
1980年代
歌手デビュー年
1980年…田原俊彦、近藤真彦、真田広之、ANKH
1981年…沖田浩之、竹本孝之、ひかる一平、堤大二郎、松村雄基、時任三郎、清水宏次朗、広岡瞬、美木良介、斉藤康彦、水谷大輔、直江喜一、イモ欽トリオ
1982年…シブがき隊、新田純一、本田恭章、嶋大輔、渡辺徹、宮田恭男、初代いいとも青年隊からソロで羽賀健二
1983年…チェッカーズ、C-C-B、風見慎吾、永瀬正敏、麻見和也、矢吹薫、北川剛、THE GOOD-BYE(野村義男のバンド)、イモ欽トリオからソロで長江健次
1984年…吉川晃司、一世風靡セピア、山本陽一
1985年…少年隊、中村繁之、石黒賢、野村宏伸、鶴見辰吾、長島ナオト、井浦秀知、初代いいとも青年隊からソロで野々村誠
1986年…中山秀征、湯江健幸、池田政典、木村一八、息っ子クラブ
1987年…光GENJI、織田裕二、仲村トオル、高橋良明、斉藤隆治、息っ子クラブからソロで沢向要士
1988年…男闘呼組、CHA-CHA、西川弘志、宮下直紀、阿部寛、江口洋介
1989年…吉田栄作、幕末塾
1990年代
歌手デビュー年
1990年…忍者、菊池健一郎、福山雅治
1991年…SMAP
1992年…音松くん(SMAPの別名義)、葛山信吾
1993年…高橋克典、原田龍二、保阪尚希
1994年…TOKIO、いしだ壱成、藤重政孝、B☆KOOL、E.M.U
1995年…V6、武田真治(サックスプレイヤーとしてデビュー)、グレートチキンパワーズ、LAZY KNACK
1996年…T.M.Revolution、Iceman
1997年…KinKi Kids、DA PUMP、反町隆史、pool bit boys
1998年…柏原崇、LAZY KNACKからソロでRED
1999年…嵐、藤木直人、初代J Soul Brothers
2000年代
歌手デビュー年
2000年…氷川きよし、コタニキンヤ.、DOGGY BAG、オダギリジョー
2001年…EXILE、CHEMISTRY、w-inds.、INSPi、FLAME、RUN&GUN、The Seeker、WEST SIDE、山内惠介
2002年…タッキー&翼、押尾学、RAG FAIR、Lead、松田悟志、KinKi Kidsからソロで堂本剛
2003年…NEWS、ORANGE RANGE、DAIGO
2004年…関ジャニ∞、玉木宏
2005年…修二と彰 (山下智久と亀梨和也) 、トラジ・ハイジ、WaT、AAA、GRANRODEO(谷山紀章)、永井大、Folder5からソロで三浦大知
2006年…KAT-TUN、NEWSからソロで山下智久、NEWSからの派生ユニットでテゴマス、w-inds.からソロで橘慶太
2007年…Hey! Say! JUMP、宮野真守、Club Prince、HotchPotchi、PureBoys、WaTからソロでウエンツ瑛士、小池徹平
2008年…羞恥心、悲愴感、矢島美容室、小野大輔、二代目J Soul Brothers
2009年…新選組リアン、入野自由、神谷浩史、スノープリンス合唱団、羞恥心からソロでつるの剛士、遊助 (上地雄輔の別名)
2010年代
歌手デビュー年
2010年…三代目J Soul Brothers、純烈、サーターアンダギー、50TA
2011年…Kis-My-Ft2、Sexy Zone、斎藤工、KAT-TUNからソロで赤西仁
2012年…GENERATIONS、中山優馬、鈴木福、BOYS AND MEN、DISH//、はやぶさ、星屑スキャット
2013年…桐谷健太、ディーン・フジオカ、PrizmaX、Hey! Say! JUMPからソロで山田涼介、Kis-My-Ft2からの派生ユニットで舞祭組
2014年…ジャニーズWEST、A.B.C-Z、ブレイク☆スルー、Da-iCE、SOLIDEMO、AAAからソロでNissy
2015年…さくらしめじ、MAG!C☆PRINCE、M!LK、RADIO FISH、X4
2017年…菅田将暉、THE RAMPAGE
2018年…King & Prince
女性アイドルを取り扱うメディア
テレビ番組
アイドルお宝くじ(テレビ朝日、2014年10月4日 - 2017年9月23日)- アイドリアル〜アイドルの今を切り取る〜(フジテレビ、2017年3月31日放送終了)
楽遊の高層アイドル!!(東京MXテレビ、2017年4月7日 - )
この指と〜まれ!(フジテレビ、2017年5月6日 - 9月16日)
東京アイドル戦線(テレビ東京、2017年7月6日 - )
ラストアイドル(テレビ朝日、2017年8月13日-)
文献情報
- 青木一郎[65]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫、1993年)- 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」、『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日、 NAID 110002940787。
- 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」、『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、 43-58頁、 NAID 110006159892。
- 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[66]
竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927
脚注
^ “アイドル(あいどる)とは”. デジタル大辞泉の解説. コトバンク. 2015年6月7日閲覧。
- ^ abcd“アイドルとは何か”. 産経デジタル. 2016年1月26日閲覧。
“アイドル特集【総論】改めての素朴な疑問「アイドルとは何か?」”. ダ・ヴィンチニュース. 2016年1月26日閲覧。
^ “本人やファンは否定するけど「アイドルじゃん」と思うアーティストランキング”. gooランキング. 2018年9月3日閲覧。
^ “さんま、たけし、タモリらがSMAPへ賞賛のメッセージ「前代未聞のアイドルグループ」”. リアルライブ. 2016年1月26日閲覧。
^ つまり、神や仏というのは、本来は不可視で触れることもできないはずで、物体的な像などでは表現したり代用できるわけもないのに、像が作られて(不適切にも)崇拝されるようになってしまったもののことである。もともとは、そうしたことを若干ほのめかしている面、風刺する意味もこめられていたからこそ、この用語が選ばれていたのではあるが。
^ http://www.discogs.com/.../Gene-Austin-My-Blue-Heaven/.../...[リンク切れ]
^ ザ・ビートルズ1962年〜1966年、ザ・ビートルズ1967年〜1970年(東芝EMIアナログ盤)付録:石坂敬一による論文より
^ http://www.laughingplace.com/.../teen-idol-bobby-rydell-recalls-dis...[リンク切れ]
^ ビートルズ日本公演プログラムより。
^ 【通じる英語】「アイドル」は使い方に要注意でも使われる英語
^ 『YOUNGヤング』・1964年4月号より。
^ 映画の中のみでなら、1938年の松竹映画・『愛染かつら』で使用された例がある。またフランス映画の『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開された。
^ “日本初のアイドルがファンと72年ぶりの再会「生きていてよかった」”. スポーツ報知. 2018年1月24日閲覧。
^ 『幻の近代アイドル史』(2014年刊・笹山敬輔/著、ISBN 4779170141)
^ 絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなど。
^ 『別冊キネマ旬報』・1968年10月号より。
^ 特定の歌手に対して本格的に「アイドル」の呼称を使用し出したのは南沙織や天地真理辺りからである。1970年代後半に入ると、竹内まりや、中島みゆき、松任谷由実どのニューミュージック歌手がヒットするようになり、デビュー当初の竹内まりやは、アイドル的な売出し方をされたこともあった。
^ 「J-POPを殺したのはソニー」 知られざる音楽業界のタブー(1/2ページ) 産経新聞大阪本社2013年7月15日
^ 安西信一 『ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密』 廣済堂出版、2013年4月13日。
^ “アイドルと景気の意外な相関関係を徹底検証 Webマガジン 月刊チャージャー 2005年12月号”. 月刊チャージャー. 2013年3月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年5月13日閲覧。
^ 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p40
^ 80年代の初頭にデビューしたアイドル歌手のうち、シングル売上において他の者にダブル・スコア以上の差をつけた3名(2012年6月29日に放送された『ミュージックステーション』より)。
^ 『アイドル工学』・P.69より。
- ^ ab「アイドル考現学」『TVガイド』2月6日号、東京ニュース通信社、1981年、20-21頁
^ “Pop 'idol' phenomenon fades into dispersion - The Japan Times”. ジャパンタイムズ (ジャパンタイムズ). (2009年8月25日). http://www.japantimes.co.jp/news/2009/08/25/news/pop-idol-phenomenon-fades-into-dispersion/ 2013年5月13日閲覧。
^ キャッチフレーズ(例:中森明菜「ちょっとエッチな ミルキーっ子」「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」等)を用いる等した。
^ 少女隊、セイントフォーらは、数億円とも呼ばれる巨額をデビューに費やしていた
^ 当時は、レコード売り上げの指標となるオリコンチャートも重要視されつつ、アイドル歌手にとって、歌番組に出演することは必須であり、テレビ媒体を通して宣伝するという事が当然視されていた
^ 1980年代後半の「美少女ブーム」を牽引した美少女たち 10選:後藤久美子・小川範子・坂上香織・宮沢りえ・観月ありさ・桜井幸子・一色紗英ほか ミドルエッジ、2016年4月3日
^ 1990年代中盤、歌手活動を中心としたアイドルは、スーパーモンキーズ、中谷美紀、菅野美穂、加藤紀子らを輩出した桜っ子クラブさくら組、酒井美紀、Melodyらが健闘していたものの、テレビ歌番組は減少の一途を辿っており活動の場は限定された。同時期、ドラマ出演をきっかけに注目された内田有紀、水着グラビアで中高生男子の圧倒的な支持を得た雛形あきこがブレイク。両者とも、後にCDデビューを果たしている。1991年には、テレビCMから人気を博した牧瀬里穂、観月ありさがCDデビューを果たし、宮沢りえを含めた3人が「3M」と呼ばれ若年層の絶大なる人気を獲得する。
^ この時代にアイドルだった世代は、「氷河期世代」(団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア)とも重なる。
^ 「卒業」という用語はおニャン子クラブの時代に存在した。
^ “紅白にアキバ枠しょこたんら出場 - 芸能ニュース nikkansports.com”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2007年11月25日). http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071125-287476.html 2013年5月13日閲覧。
^ “紅白曲順が決定 注目の“アキバ枠”は米米CLUBと激突! ニュース-ORICON STYLE-”. オリコンニュース (オリコン). (2007年12月27日). http://contents.oricon.co.jp/news/movie/50813/full/ 2013年5月13日閲覧。
- ^ ab“ポストAKBはどうなる? アイドル戦国時代の行方 今を読む:文化 Biz活 ジョブサーチ YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2012年10月9日). オリジナルの2013年5月15日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130515011833/http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnculture/20121009-OYT8T00206.htm 2018年9月27日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ ab“【12年ヒット分析】新旧グループから地方アイドルまで~“アイドル戦国時代”さらに激化 (AKB48) ニュース-ORICON STYLE-”. オリコン (オリコン). (2012年12月9日). http://www.oricon.co.jp/news/music/2019492/full/ 2013年4月23日閲覧。
^ “Gザテレビジョン編集部ブログ Gザテレビジョンは来週月曜日、24日発売です!”. ザテレビジョン (2010年5月19日). 2013年3月12日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年4月23日閲覧。
^ “ももクロ、国立で宣言「笑顔を届けることにゴールはない」”. ナタリー. 2014年3月17日閲覧。
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^ 元テレビ東京番組製作スタッフ、元角川映画プロデューサー、現在は一般社団法人ストリートダンス協会広報委員長も兼任鈴木敦子 (2015年10月26日). “人模様:地方アイドルで地域活性化 金子正男さん”. 毎日新聞のニュース・情報サイト. 毎日新聞社. 2016年4月26日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年4月26日閲覧。
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^ 楽しき明日 国立国会図書館デジタルコレクション
^ 1970年代 人気男性アイドル/年代流行
^ 1970/08/27 歌謡チャート
^ ビョルン・アンドレセン
^ 70年代CMソングコレクション
^ カルピスCM ジミー
^ 「ダンスに夢中」の大ヒットから徐々に転落したアイドル歌手レイフ・ギャレットの現在 ミドルエッジ、2016年10月1日
^ スーパーアイドルルネ/ニューソングブック臨時増刊号、啓文社、昭和49年9月1日発行
^ 「ルネの「トンボ学生服」」
^ パット・マッグリンが月刊平凡 1977年12月号の表紙
^ なつかしの70年代ポップス
^ パット・マッグリン 洋楽データベース
^ 80年代のBON JOVIヒストリーをご紹介 BON JOVI FRIENDSHIP - ボンジョヴィファンサイト
^ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン ~蘇る!80’sポップスHITヒストリー~』(角川インタラクティブ・メディア)p.92 - 93
^ ザ・ノンフィクション 舟木一夫はタイムマシン〜いつまでも「高校三年生」〜
^ 博多どんたく 前夜祭整理券を配布 観光桟敷席4年ぶり復活 西日本新聞、2017年04月20日
^ 『女三人乱れ咲き!氷川きよし追っかけツアー殺人事件』テレビドラマデータベース
^ 朝日新聞、2013年04月16日朝刊
^ MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去
^ [1]
関連項目
- 日本の女性アイドルグループの一覧
- 日本の男性アイドルグループの一覧
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