ヴァンフォーレ甲府
ヴァンフォーレ甲府 | |
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原語表記 | ヴァンフォーレ甲府 |
呼称 | ヴァンフォーレ甲府 |
クラブカラー | ブルー[1] |
創設年 | 1965年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J2リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 甲府市[1]、韮崎市[1] を中心とする山梨県全県[1] |
ホームスタジアム | 山梨中銀スタジアム[1] |
収容人数 | 15,859[1] |
運営法人 | 株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ[1] |
代表者 | 藤原弘[1] |
監督 | 上野展裕 |
公式サイト | 公式サイト |
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ヴァンフォーレ甲府(ヴァンフォーレこうふ、Ventforet Kofu)は、日本の甲府市、韮崎市を中心とする山梨県全県をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 前身
2.2 1999年 - 2005年(J2)
2.3 2006年 - 2007年(J1)
2.4 2008年 - 2010年(J2)
2.5 2011年(J1)
2.6 2012年(J2)
2.7 2013年 - 2017年(J1)
2.8 2018年(J2)
3 各記録
3.1 19連敗(26戦未勝利)
3.2 24試合連続無敗
3.3 開幕戦の記録
4 スタジアム
4.1 新スタジアム構想
5 ホームゲーム入場者数
5.1 最多入場者試合
5.2 最少入場者試合
5.3 年度別入場者数
5.4 入場者数上位
6 成績
6.1 チーム記録
6.1.1 最多得点試合
6.1.2 最多失点試合
6.1.3 最多連勝記録
6.1.4 最多連敗記録
6.2 個人記録
6.2.1 通算最多出場者
6.2.2 通算出場試合上位
6.2.3 通算最多得点
6.2.4 最多連続得点試合
6.2.5 シーズン最多得点
6.2.6 通算チーム得点上位
6.2.7 年度別チーム得点王
6.2.8 ハットトリック
6.2.9 記念ゴール
7 タイトル
7.1 チームタイトル
7.2 個人別
8 ユニフォーム
8.1 チームカラー
8.2 ユニフォームスポンサー
8.3 ユニフォームサプライの遍歴
8.4 ユニフォームデザイン
8.5 歴代ユニフォーム
8.6 歴代ユニフォームスポンサー年表
9 アカデミー
9.1 ヴァンフォーレ甲府U-18
9.2 ヴァンフォーレ甲府U-15
9.3 ヴァンフォーレ甲府U-12
9.4 その他
10 キャンプ地
11 メディア
11.1 地元メディアによる試合中継
11.2 その他チーム情報
12 決算
12.1 損益
12.2 資産
13 脚注
14 関連項目
15 外部リンク
概要
1999年にJリーグへ加盟[1]。チーム名はフランス語の「Vent(風)」と「Forêt(林)」を合わせた造語で[1]、戦国時代の武将の武田信玄の旗印である「風林火山」に基づいている[1]。また、母体企業を持つJリーグクラブがある[注 1] 一方で、ヴァンフォーレは特定の母体企業を持たず、地元山梨の会社などの小口スポンサーの支援を受けている。ホームタウンは、Jリーグ加盟時は「甲府市、韮崎市を中心とする30市町村」(「平成の大合併」に伴ってその後13市町村)であったが、2005年7月より「甲府市、韮崎市を中心とする山梨県全県」となった[1]。
オフィシャルショップは甲府中央商店街「かすがもーる」の一角に「まちなかヴァンフォーレプラザ」があり[1]、ホームゲームのチケット販売やクラブサポーター入会受付、グッズ販売も行なっている。また、岡島百貨店6階にもグッズ販売を置いているコーナーがある[1]。
ホームスタジアムは山梨中銀スタジアムである[1](詳細は#スタジアムを参照)。練習場についてはヴァンフォーレ甲府の練習場を参照のこと。
マスコットは甲斐犬をモチーフにした[1]ヴァンくん(2006年6月12日より)、フォーレちゃん(2009年3月1日より)である[1]。
アンセムは2014年までチーム独自のものは存在せず、入場時はJリーグ公式アンセムを使用している。2015年より地元山梨出身で元レミオロメンのボーカルであった藤巻亮太制作のアンセムを使用することが決定している[2]。
歴史
前身
1965年に鶴城クラブを拡大化した甲府サッカークラブが前身[1]。1972年よりJSL2部、1992年より旧JFLに参入。1995年にヴァンフォーレ甲府にチーム名を変更した[1]。1997年2月に運営法人となるヴァンフォーレ山梨スポーツクラブを設立。1998年にJリーグ加盟が承認され、1999年からのJリーグ ディビジョン2(J2)参加が決まった。
1999年 - 2005年(J2)
- 1999年
ライセンスの問題[注 2] からそれまで指揮をとっていた塚田雄二に代わり、勝俣進が監督に就任[注 3] した。リーグ戦は開幕10試合未勝利などを喫し、最下位の成績。また、人件費抑制など経費削減に努めたものの、ユニフォームスポンサーがゼロに陥るなど広告収入が激減、さらに関心の薄さや低迷するチームが影響し、観客の伸び悩みにより3年連続の単年度赤字に陥った。
- 2000年
S級指導者ライセンスを取得した塚田が監督に復帰。リーグ戦は2年連続最下位に終わり、第4節の仙台戦の勝利を最後に第33節の新潟戦に勝利するまで6連敗と19連敗を含む26試合未勝利(後述)を記録した。また、入場者数は浦和戦を除き3,000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1,000人を割る試合が5試合あった。登録選手は24人でうち6人がアマチュア契約、さらにプロ契約での途中退団者が発生し選手が不足したことからフィジカルトレーナーだった鶴田道弘と急遽プロ契約を結びやりくりせざるを得ない状況であった(鶴田はこのシーズンのみで再び引退)。
前年度シーズン終了直前に経営危機問題が発覚し、チームの存続が危ぶまれることとなる。
- 2001年
存続運動などの結果条件付で2001年の参戦が決まり、上永吉英文が強化部長に就任[注 4] するとブラジルのSEパルメイラスと提携を結び、監督のルイス・ドス・ヘイス・ゴンサルベス及び5人のブラジル人選手の無償提供を受ける。ヘイスをはじめブラジル人選手の来日が大幅に遅れるなど足並みが揃わないまま開幕を迎え、J1昇格目前の仙台にホームで勝利するなどしたが3年連続最下位の成績。また、98失点はJリーグ最多失点記録となった。経営面は3つの存続条件を全て達成すると共にJ参入3年目にして初めて単年度黒字を計上し、翌年度以降のチームの存続が決定した。なお、この年を以て甲府クラブ時代から在籍し、公務員Jリーガーとしてプレーしていた石原大助が引退。翌年以降は全選手がプロ契約のみとなる。
- 2002年
パルメイラスとの提携を解除し、清水エスパルスと提携を結んだ(別掲)。また、監督に大木武が就任。藤田健、倉貫一毅、石原克哉、水越潤の活躍もあり12チーム中7位に入った。また、9月21日のC大阪戦においてチーム初となる小瀬競技場で満員(当時は13000人収容)を記録した。また、イリュージョニストのプリンセス・テンコーがスポンサーとなり、背中部分に「PRINCESS TENKO」の文字が入った。個人がJリーグのユニフォームスポンサーになるのは中田英寿(湘南)や藤原紀香(横浜FC)の例があるが、テンコーはホームゲームでイリュージョンを行ったり、甲府のユニフォームを着てテレビ番組に出演するなど甲府を支援。テンコーとは2003年までスポンサー契約が続いた。
- 2003年
大木が監督を退任(後に清水の監督に就任)し、東京V元監督の松永英機が後任の監督に就任。松永は昨シーズンのプレースタイルを継承。倉貫一毅、石原克哉、水越に横浜FMなどでプレーした外池大亮を加えた中盤は安定し、さらに6月には元日本代表の小倉隆史が加入すると、藤田またはこの年湘南から移籍した須藤大輔によるツートップでチーム力は向上。結果としてJ2参入後初となるシーズン勝ち越しおよび全チームからの勝利を獲得するなど最終節で福岡に抜かれたものの5位に入った。
- 2004年
松永体制2年目。外池が広島へ移籍した一方、6年ぶりにバロンが復帰。小倉または山崎光太郎との2トップが機能し開幕から得点を量産。一時は2位になるなどチーム状況は良好で、前期は3位で折り返す。7月31日にバロンが退団(その後鹿島に移籍)したものの第3クールまでは昇格争いに踏み留まったが、藤田と石原が怪我により長期離脱するとチームは失速。第4クールは2勝しかできずに7位でシーズンを終了した。
- 2005年
大木が監督に復帰。大宮から移籍したFWバレーがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、仙台をかわして3位でシーズンを終えた。J1・J2入れ替え戦で柏に連勝して、J1昇格が決まった。
2006年 - 2007年(J1)
- 2006年
大木体制2年目。昇格初年度は限られた予算の中、元日本代表の林健太郎やJFLベストイレブンの宇留野純、6年ぶりにチームへ復帰した堀井岳也、札幌などでプレーしたビジュなどを獲得した。J1初戦は清水に敗れたが、J2で通用した走るサッカーが機能し始めた3戦目の川崎戦でJ1初勝利を挙げると、バレーや途中加入の茂原岳人らの活躍で横浜FMや鹿島、G大阪などに勝利したが、18チーム中15位の成績。なお、7位の名古屋との勝ち点差は6(9位の横浜FMとの勝ち点差が3)であった。
- 2007年
大木体制3年目。バレーがG大阪へ、倉貫一毅が京都へ、アライールがヴェラノポリスECRCへ移籍した一方、ブラジル・コリチーバFCからFWアルベルトとFC東京からDF増嶋竜也をそれぞれ期限付き移籍で獲得した。大木が新たに取り入れた戦術「クローズ」がうまく機能せず、開幕4連敗を喫し4月は3連勝などで残留争いから脱出したが、5月頃から再び連敗を重ね、第16節においてはジャッジに不満を持った茂原岳人と試合に出場していなかった林健太郎がトラブルを起こし出場停止を受けた[注 5]。シーズン後半に羽地登志晃とラドンチッチの両FWを獲得し、ナビスコ杯得点王になった須藤とともに後半戦の巻き返しを図ったが、第33節で柏に1-2で敗れてJ2降格が決定した(最終順位は17位)。シーズン終了後に大木監督が退任した。
2008年 - 2010年(J2)
- 2008年
ヘッドコーチの安間貴義が監督に就任。茂原岳人、増嶋竜也、須藤大輔などがそれぞれ移籍した一方で補強面ではジョジマール、美尾敦が復帰し、前田雅文をレンタル移籍で獲得した。リーグ戦は開幕から5戦未勝利を喫するなど、前半戦21試合を終えてわずか5勝で11位に低迷。7月にサーレスとマラニョンの2人のブラジル人FWを期限付きで獲得。急成長した大西容平とともに活躍したが、上位チームに勝てないという勝負弱さは最後まで改善されず、最終順位は7位。なお、10月に元大宮監督の佐久間悟がゼネラルマネージャーに就任した。
- 2009年
安間体制2年目。主力FW陣を大量放出し、かわりにマラニョンの完全移籍へ移行と金信泳、森田浩史の各FWを獲得。守備陣はGK荻晃太、DFダニエルの2人をレンタル移籍で獲得した。リーグ戦は第1クールを4位で折り返し、6月に岐阜から片桐淳至を、更に広島に在籍し9得点を挙げたガウボンの両FWを完全移籍で獲得した。リーグ戦は最終的に湘南と3位を争ったが、直接対決で敗れ、湘南と勝ち点1差の4位でシーズンを終了した。
この年、伸び悩んでいる若手の人材を育成するため、山梨学院大学と提携を結び、選手間の相互交流を行なうことになった[3]。
- 2010年
安間監督が退任し、前年にヘッドコーチをしていた内田一夫が監督に就任。林健太郎とGK阿部謙作が引退、森田浩史と長年チームに在籍した杉山新が退団した一方、横浜FM(前年は鳥栖に在籍)からハーフナー・マイク、元京都のパウリーニョを完全移籍で獲得した。開幕直前に戦術を急遽変更したことから最初の4戦は1勝1分2敗であったが、その後攻撃陣が機能するようになり第13節で2位に浮上するとそのまま順位を維持。第34節の栃木SC戦に勝利し、4年ぶりのJ1復帰を決めた。J2シーズンは前回昇格した2005年より上の2位の成績を収めた。また、ハーフナーが20得点を挙げチーム初となるJ2得点王を獲得した。
2011年(J1)
「J1での戦い方の経験不足」など総合的な理由で内田監督との契約を打ち切り、守備強化を目的に三浦俊也が大木以来の外部招聘となる監督に就任。藤田健、秋本倫孝、マラニョン(レンタル移籍)などが退団した一方、清水から共に元日本代表のMF伊東輝悦とDF市川大祐のなどのベテラン選手を中心に獲得した。しかし元々攻撃的なパスサッカー中心の甲府にあって、三浦の採ったゾーンディフェンスからなる守備重視の戦術は全く機能せず、連敗と大量失点を重ね、7月に三浦を解任[注 6]。GMの佐久間が後任の監督に就任。ハーフナー・マイク、パウリーニョ、片桐淳至、井澤惇らを中心にチームを立て直し、7月には元札幌のダヴィ、元磐田の金珍圭を獲得。ハーフナーが得点を量産したものの、最終節で大宮に敗れて降格が決定した。
シーズン終了後、ハーフナーには藤田健、秋本倫孝らの放出や三浦前監督の招聘といったチーム作りの方針を批判され[4]、佐久間は補強した選手の質に問題があったと述べた[5]。なお、ハーフナーが8月にクラブ初となる日本代表へ選出され、10月11日の2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選・タジキスタン戦で2得点を挙げてクラブ初のA代表戦での得点者となった。
2012年(J2)
- チームスローガン:MOVE -原点からの挑戦-
佐久間がGMに戻り、元FC東京監督の城福浩が監督に就任。ハーフナー・マイク、パウリーニョ、ダニエル、市川大祐ら主力選手が退団した一方でFW高崎寛之、DF盛田剛平、DF福田健介らが加入した。14年目にして初めて開幕戦に勝利(後述)すると昨季シーズン途中に加入しながらも無得点に終わったダヴィが開幕戦から得点を量産。途中ダヴィへのマークが厳しくなったことで一時は8位に後退したが、次第に城福が取り入れたムービングフットボールが機能し始め、シーズン途中に元G大阪や清水のフェルナンジーニョが加入するとチームは再び調子を取り戻し、第26節ホーム東京V戦に勝利しチーム史上初の首位に躍り出る。その後1度も首位の座を明け渡さず、第38節湘南戦に引き分けたことで3度目のJ1昇格を、さらに第39節福岡戦に3-2で勝利し、J2優勝を決めた。ヴァンフォーレ甲府としては勿論、甲府クラブ時代を含め「全国規模のリーグ戦」で優勝したのは初めてである。第18節ホーム千葉戦で敗れた後、第19節アウェー水戸戦での勝利から最終節アウェー京都戦までJ2記録となる24戦無敗(後述)でシーズンを終えた。
2013年 - 2017年(J1)
- 2013年
- チームスローガン:MOVE -プロヴィンチアの挑戦-
城福体制2年目。
ダヴィ、フェルナンジーニョ、高崎寛之、永里源気、片桐淳至らが退団した一方、日本人選手は土屋征夫と青山直晃、水野晃樹を完全移籍獲得、また羽生直剛と平本一樹をレンタルで獲得した。一方で外国人補強は「決定的な力を持った外国人ストライカーの獲得については現時点では至らなかった」(佐久間GM)[6] と言う通りレニー、ウーゴといった未知数の選手と契約したが、レニーは開幕前、昨年から唯一残ったドウグラスは4月、ウーゴも7月までに契約解除となった。さらにレニーに代わり3月に獲得した元パラグアイ代表のオルティゴサもチームの方針と合わず中断期間中の6月に解除と外国人が次々と入れ替わり、中断期間中に方針の定まらないチーム状況に対しGMが現場に説明する事態になった[7]。シーズン途中からJリーグの経験のある外国人選手の獲得に転換し、5月に元磐田のマルキーニョス・パラナ、7月に元磐田のジウシーニョを獲得、また川崎からパトリックをレンタル移籍させた。
開幕から第10節まで3勝5分2敗で推移していたが、上述の外国人の度重なる入れ替えや極度の得点力不足により、第11節清水戦の敗戦以降コンフェデレーションズカップによる中断を挟んで8連敗を喫し、第18節終了時には降格圏の16位まで転落する。しかし、第19節以降はパトリック、ジウシーニョの加入と新たに採用した山本、佐々木、青山による3バックシステムにより守備が安定したことによって5勝8分3敗と持ち直し、最終的に16位の湘南と勝ち点12差の15位でシーズンを終了、2006年以来のJ1残留を果たした。ナビスコ杯は予選リーグで敗退。天皇杯は準々決勝で広島にPK戦で敗れチーム記録タイのベスト8となった。
- 2014年
- チームスローガン:飛躍 -プロヴィンチアの挑戦-
城福体制3年目。
柏好文が広島へ、伊東輝悦が長野へ移籍。またパトリックが退団し、平本一樹、羽生直剛、河田晃兵とのレンタル契約を終了した。新戦力として阿部翔平、クリスティアーノを獲得し、シーズン中に阿部拓馬とキリノ[8] を補強した。
開幕前のキャンプ中に山梨県全体を平成26年豪雪が襲い、県内の練習場が使えなくなったうえ開幕戦を国立競技場に振り替えざるを得なくなるなど苦しい状況から始まる。それでも堅守とFWとして再契約された盛田剛平の活躍などによりブラジルW杯前は残留圏内に位置していたが先述の豪雪や商標権問題の解決による支払金の影響によりW杯期間中の中断ではキャンプを短縮せざるを得なくなり、再開後第15節から第22節まで8戦未勝利(5分3敗)と降格圏まで陥落。しかし9月に入り第23節の鳥栖戦で9試合ぶりの勝利を挙げると第29節まで2勝3分2敗と持ち直し、第30節の川崎戦に勝利し降格圏から脱出すると続けてC大阪と広島にも勝利。他の残留争いのチームが伸び悩んだこともあり第32節終了時点でJ1残留が決定し、最終順位は過去最高の13位。ナビスコ杯は3勝したものの予選リーグで敗退。天皇杯はベスト16でJ2の北九州に2年連続でPK戦で敗退。
- 2015年
- チームスローガン:一体 -プロヴィンチアの挑戦-
チーム初となるJ1連続3シーズン目。前年を以て城福が退任。樋口靖洋が新監督に就任した[9]。
クリスティアーノが柏レイソルにレンタル移籍したのをはじめ、佐々木翔、水野晃樹、青山直晃が移籍。キリノやマルキーニョス・パラナも退団するなど主力が大幅に入れ替わる形となった。新戦力として元徳島のアドリアーノや元浦和・長崎の野田紘史を獲得し、さらに昨年はG大阪に戻っていた河田晃兵を完全移籍で獲得した。
ところが、シーズン前にジバウが、開幕直後にエンリケも退団した。また樋口監督による新しい戦術は機能せず開幕から不振に陥り第11節終了時点で2勝9敗、さらに得点だけでなく失点までリーグ最下位に陥ったことから5月13日に樋口監督が辞任した。代わりにGMの佐久間が監督に就任、4月にはマルキーニョス・パラナを再獲得し、5月にはバレーが9年ぶりに復帰。アドリアーノ、野田がシーズン途中に退団したが戦術を昨年まで城福が取り入れたものに戻したことでその後は4勝2分と降格圏を脱出し、1stステージを12位で折り返した。2ndステージも降格圏に落ちることなく14位、総合順位は13位となり3年連続のJ1残留を決めた。ナビスコ杯は未勝利のまま予選敗退、天皇杯はベスト16で柏に敗れている。
- 2016年
- チームスローガン:総力 -プロヴィンチアの挑戦-
前年シーズン終了後に佐久間の退任が報じられたが留任となり佐久間体制2年目。また佐久間は監督・GMに加えて副社長に就任したことで3職兼任となった。
阿部翔平、阿部拓馬、荻晃太ら主力組や堀米勇輝、伊東純也、下田北斗ら若手が移籍。バレー、マルキーニョス・パラナもチームを去るなど退団者が相次ぐことになる。柏からクリスティアーノが復帰。その他元鹿島のジウトン(1月に契約も2月に契約解除)、元豪州代表のビリー・セレスキー、ニウソン、チュカ、田中佑昌や黒木聖仁ら他チームの主力を獲得した。
開幕戦に勝利して初めてJ1首位に立ったものの、相次ぐ選手の負傷によりその後の順位は低迷、6月に今季から復帰したクリスティアーノが古巣柏へ完全移籍してしまい1stステージは降格圏内の17位に終わった。2ndステージ開幕前に元柏のドゥドゥを補強、さらにマルキーニョス・パラナが3度目、ダヴィが2度目の復帰を果たした。この補強に伴い外国人枠の関係でニウソン、チュカが契約解除になった。残留は最終節まで持ち越され、2ndステージは13位、年間順位14位で残留が決定した。但し年間勝ち点31は残留した年で過去最低(降格した2011年の33をも下回る)、年間7勝は2007年の降格時に並ぶJ1在籍最低勝利数、得点数は32とリーグワースト3位、失点は58と前年比15も増加しリーグワースト2位タイとなった。
ナビスコ杯は4年連続予選リーグ敗退、天皇杯は初戦でJ3の大分に敗れている。
- 2017年
- チームスローガン:進化 -プロヴィンチアの挑戦-
J1連続5シーズン目。佐久間が監督を退任(GM及び副社長は続投)、後任に柏と新潟で監督をしていた吉田達磨が就任[10]
稲垣祥が広島へ移籍、福田健介(長崎へ移籍)、吉野峻光、盛田剛平(群馬へ移籍)、柴村直弥、渡邉将基(横浜FCへ移籍)、岡山にレンタル移籍していた秋吉泰佑、ダヴィ、ビリー・セレスキー、マルキーニョス・パラナが契約満了で退団した。新戦力は仙台からウイルソン、山口から島川俊郎、水戸から兵働昭弘、アメリカ・ミネイロからエデル・リマを獲得、ガブリエルがレンタル移籍で加入し、大卒3名が新加入し、若杉好輝がレンタル移籍先より復帰、さらに昨年京都へ移籍した堀米勇輝が2年ぶりに完全移籍で復帰した。
開幕直後の3月に千葉から阿部翔平が約1年ぶりに復帰、さらに元オーストラリア代表のオリヴァー・ボザニッチを獲得、6月にはジュニオール・バホスを獲得し、外国人枠の関係でガブリエルが登録抹消、8月には元G大阪のリンスを獲得し、外国人枠の関係で加入して2カ月のジュニオール・バホスが登録抹消、9月にはビリーを獲得し、外国人枠の関係でウイルソンが登録抹消となった。
前年課題となった守備については河田に代わり抜擢された岡大生の活躍などで改善されたもののウイルソンの不調や前年負傷したドゥドゥの回復が思わしくなかったため得点力不足は改善されず、また新潟や広島、清水など残留争いをしているチームに連敗するなど取りこぼしが多かった。途中加入のリンスの活躍で得点力の改善が見られたものの今度は肝心なところで逆転負けを喫するなどし、最終節でベガルタ仙台に勝利したものの15位の清水も勝利したことでJ2降格が決定した。
また、2001年よりプレーしていた石原克哉がこのシーズンを最後に現役引退した。
2018年(J2)
- 2018年
- チームスローガン:完遂 -プロヴィンチアの挑戦-
6シーズンぶりにJ2で戦うことになり、吉田監督は続投。上述の石原の他津田琢磨、保坂一成、土屋征夫(シーズン途中から京都へレンタル移籍)といったベテランが相次いで契約満了により退団。また、黒木聖仁が長崎へ、兵働昭弘が清水へ移籍(共にかつて在籍したクラブへ復帰)、新里亮も磐田へ移籍し、ドゥドゥもJ2の福岡へレンタル移籍した。一方でJ1チームからオファーのあったリンスや河田晃兵は残留し、新潟(2017年は山口でプレー)から小塚和季、新潟Sから秋山拓也、柏から湯澤聖人、富山から窪田良、湘南からジネイを完全移籍で、札幌から元日本代表FWの金園英学をレンタルで獲得。
勝点90を目標に開幕を迎えたが、11戦を終わり2勝5分4敗と16位に低迷し1年でのJ1復帰はおろかJ3リーグ降格すら視野に入る事態に陥る。クラブは第10節終了後に吉田監督続投を確認したが11節終了後の4月30日に契約を解除[11]、山口の元監督であった上野展裕が監督に就任するも、第40節水戸ホーリーホックに2-0で敗れ、1年でのJ1復帰はなくなった。
各記録
19連敗(26戦未勝利)
2000年の甲府は第4節の仙台戦(小瀬、1-0)の勝利を最後に連敗を続け、第33節の新潟戦(新潟市陸、1-0)に勝利するまで26戦勝利から遠ざかっていた[注 7]。このうち引き分けたのが第11節の鳥栖戦のみであり、残りの25戦はすべて負けていたことから当時の連敗カウントは「25連敗」であった。その後「連勝・連敗は引き分けを挟まない[12]」というルールに改定され、過去の記録もこれが適用されたことから現在は「6連敗の後1分けを挟み19連敗」となっている。19連敗に減ったとはいえ、この記録はJ2はもちろんのことJリーグ全体を見ても1996年に京都が記録した17連敗[注 8] を上回る記録である。また、第4節が3月30日、第33節が9月15日開催であったことから実に5か月半勝利から遠ざかっていたことになる。
その後未勝利記録は2003年にサガン鳥栖が更新(シーズン単体で28試合、翌年甲府に勝利するまで30試合まで継続)した[注 9] が、連敗記録は現在も破られていない。
節 | スコア | 節 | スコア |
---|---|---|---|
5 | 浦和(駒場)1-3● | 19 | 水戸(ひたちなか)0-2● |
6 | 大分(小瀬)1-3● | 20 | 湘南(小瀬)1-2● |
7 | 山形(鶴岡)2-4● | 21 | 大宮(大宮)0-1● |
8 | 水戸(韮崎中央)0-3● | 22 | 鳥栖(小瀬)0-1● |
9 | 湘南(平塚)0-3● | 23 | 仙台(小瀬)1-2● |
10 | 大宮(小瀬)1-2● | 24 | 浦和(駒場)0-3● |
11 | 鳥栖(鳥栖)1-1△ | 25 | 大分(小瀬)2-3● |
13 | 札幌(厚別)1-2● | 26 | 山形(山形市陸)1-4● |
14 | 新潟(小瀬)1-3● | 27 | 水戸(北麓)0-1● |
15 | 仙台(仙台)1-3● | 28 | 湘南(平塚)2-4● |
16 | 浦和(小瀬)0-3● | 29 | 大宮(小瀬)1-2●延長 |
17 | 大分(佐伯市陸)0-2● | 30 | 鳥栖(鳥栖)0-3● |
18 | 山形(小瀬)1-4● | 32 | 札幌(小瀬)0-2● |
24試合連続無敗
2012年の甲府は第18節の千葉戦(中銀スタ、0-2)を最後に以降シーズン終了まで24試合負けることがなかった[13]。これまでの記録は2010年に柏が記録した19試合連続無敗であり、甲府はこの記録を5試合上回ることになる[14]。無敗記録中の成績は16勝8分であり、うち12試合が1点差勝利である。さらに32節、35節、36節の3試合は後半ロスタイムで逆転勝利を挙げるなど接戦には非常に強かった。
なお、上述の通り19連敗の記録は保持されていることから、甲府はJ2における連敗記録と無敗記録という両方の記録を持つことになった。
節 | スコア | 節 | スコア |
---|---|---|---|
19 | 水戸(K'sスタ)3-1○ | 31 | 横浜FC(中銀スタ)2-1○ |
20 | 富山(中銀スタ)4-1○ | 32 | 大分(大銀ドーム)2-1○ |
21 | 岡山(カンスタ)1-1△ | 33 | 岡山(中銀スタ)1-0○ |
22 | 岐阜(中銀スタ)0-0△ | 34 | 鳥取(中銀スタ)1-1△ |
23 | 町田(町田市陸)1-0○ | 35 | 北九州(本城)3-2○ |
24 | 松本(中銀スタ)2-1○ | 36 | 栃木SC(グリスタ)2-1○ |
25 | 千葉(フクアリ)1-0○ | 37 | 徳島(中銀スタ)3-2○ |
26 | 東京V(中銀スタ)3-1○ | 38 | 湘南(中銀スタ)2-2△ |
27 | 草津(正田スタ)2-1○ | 39 | 福岡(レベスタ)3-2○ |
28 | 水戸(中銀スタ)1-0○ | 40 | 愛媛(ニンスタ)0-0△ |
29 | 富山(富山)1-1△ | 41 | 熊本(中銀スタ)2-0○ |
30 | 山形(中銀スタ)0-0△ | 42 | 京都(西京極)0-0△ |
開幕戦の記録
1999年のJリーグ参入以来、2011年に至るまで開幕戦に勝てないジンクスがあった。参入初戦の大宮アルディージャ戦(韮崎中央、1-2)以来開幕戦4連敗で、初勝ち点は2003年のサガン鳥栖戦(小瀬、1-1)である。2011年までの成績は5分8敗で、2011年の時点で開幕戦未勝利は2009年以前にJリーグへ参入した36チームの中では唯一の記録であった(他に未勝利なのは2010年参入のギラヴァンツ北九州と2011年参入のガイナーレ鳥取のみ)。また、2戦目勝利およびホーム開幕戦勝利も11年目の2009年にようやく達成(第2節FC岐阜戦(長良川、1-0)、第3節コンサドーレ札幌(小瀬、2-1))するなど開幕当初は調子が上がらないことが多い。
参入14年目となる2012年開幕戦の栃木SC戦(中銀スタ)で2-1とJ参入後初勝利を挙げ、同時に未勝利記録は13でストップした。なお、J1では2016年開幕戦のヴィッセル神戸戦(ノエスタ)に2-0で勝利し、7シーズン目で初勝利を挙げている。
年度 | Div. | 会場 | ホーム | 得点 | アウェイ | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1999 | J2 | 韮崎中央 | 甲府 | 1-2 | 大宮 | |
2000 | 小瀬 | 甲府 | 0-3 | 札幌 | ||
2001 | 等々力 | 川崎 | 3-1 | 甲府 | ||
2002 | 三ツ沢球 | 横浜FC | 3-2 | 甲府 | ||
2003 | 小瀬 | 甲府 | 1-1 | 鳥栖 | 開幕戦初勝ち点 | |
2004 | 札幌D | 札幌 | 2-2 | 甲府 | ||
2005 | 小瀬 | 甲府 | 2-2 | 札幌 | ||
2006 | J1 | 小瀬 | 甲府 | 0-2 | 清水 | |
2007 | 日産ス | 横浜FM | 1-0 | 甲府 | ||
2008 | J2 | 小瀬 | 甲府 | 1-1 | 岐阜 | |
2009 | 桃スタ | 岡山 | 1-1 | 甲府 | ||
2010 | レベスタ | 福岡 | 3-1 | 甲府 | ||
2011 | J1 | 中銀スタ | 甲府 | 0-1 | 磐田 | |
2012 | J2 | 中銀スタ | 甲府 | 2-1 | 栃木SC | 開幕戦初勝利 |
2013 | J1 | ユアスタ | 仙台 | 1-1 | 甲府 | J1開幕戦初勝ち点 |
2014 | 国立 | 甲府 | 0-4 | 鹿島 | ||
2015 | Eスタ | 広島 | 2-0 | 甲府 | ||
2016 | ノエスタ | 神戸 | 0-2 | 甲府 | J1開幕戦初勝利 |
スタジアム
県内ではJリーグ参入から一貫して小瀬陸上競技場(山梨中銀スタジアム)での開催であるが、加盟当初の1999年および2000年は日本陸連・山梨陸連との日程調整の都合で開催できない日があったため、週末に行うべき試合をある平日のナイターに移動させたり、また日程の都合がつかなければ韮崎市(韮崎中央公園陸上競技場)や富士吉田市(富士北麓公園陸上競技場)に変更させたりした。しかし韮崎、北麓ともJリーグ開催基準を満たしていないスタジアムであることから、2001年以降は同県で小瀬でのみ開催されている。
県外の開催は2003年から2006年の間、松本市(長野県松本平広域公園総合球技場)で年1試合開催していた。松本での開催では小瀬競技場改修による代替だった2004年を除きダービーマッチと銘打ち様々なイベントが行われていた。但し2012年よりJリーグに参入した松本山雅FCは当スタジアムがホームグラウンドであるため、今後は特殊な事由を除き松本での開催は不可能である。
また、2006年の浦和レッドダイヤモンズ戦で小瀬競技場の定員一杯の入場者数(17,000人)に達し、これ以上の収容が不可能であることから2007年から2014年までは国立霞ヶ丘陸上競技場でホームゲームを開催していた。また、シーズン開幕戦2週間前に山梨県地方を襲った記録的大雪により、山梨県小瀬スポーツ公園が陸上自衛隊の拠点として使用されたことなどもあり、陸上競技場の除雪作業、および試合への使用が難しいと判断され[15]、同年2月21日に当初開幕戦としてヴァンフォーレが主管する予定であった鹿島アントラーズ戦の会場を国立競技場に変更することを決定[16]、そのため同年は国立競技場で2試合を開催している。なお、この年の浦和戦を最後に現国立競技場を解体し新国立競技場の建設に着手、また竣工後も2019年ラグビーワールドカップや2020年夏季オリンピックなどがあることから当面の間は国立での開催も不可能となる。
甲府クラブ時代および旧JFL時代は甲府クラブ時代のホームグラウンドでもあった甲府市緑が丘スポーツ公園サッカー場、解体後は同公園にある陸上競技場でも試合を開催していた。しかしJリーグ参入後は陸上競技場は練習場の一部開催に留まり、現在は練習場としても原則使用されていない。
新スタジアム構想
現在ホームスタジアムとして使用している小瀬陸上競技場(山梨中銀スタジアム)は1985年竣工であり、バックスタンドは1997年および2006年、サイドスタンドは2005年に改修を行なっているがメインスタンドは竣工時のままであることから経年劣化が著しい状態である。また、元々かいじ国体時に建設された国民体育大会用陸上競技場で、スタンドとピッチの間にトラックがあるなどサッカーを観戦するには良好とは言い難い状況である。さらにJリーグクラブライセンス制度ではB基準として「スタジアムに観客席の3分の1以上に屋根があること」(さらにC基準として「観客席全体に屋根があること」)が求められているが、小瀬(中銀)にはメインスタンドのごく一部のみに屋根があるだけでB基準すら達しておらず、ライセンス更新の度に是正勧告を受けている。
また、ヴァンフォーレ甲府をはじめとするサッカー競技以外にも陸上競技大会やラグビー、アメリカンフットボール、グラウンド・ゴルフなど県内で行なわれる屋外競技が集中し、その調整に苦慮することがある。現在リーグ戦については事前に押さえていることから他競技により影響が出ることは少ないが、Jリーグに参入した当初は先述の通り他競技との調整がつかないため日程変更や他競技場への振替を余儀なくされている。また、日程が不確定なカップ戦については現在も調整がつかないことがあり、2013年11月20日の天皇杯4回戦(対札幌戦)について小瀬陸上競技場でグラウンド・ゴルフ大会が行なわれる関係で開催が不可能となり、このためホームの優先開催権を得ていたにもかかわらず山梨県サッカー協会が開催に名乗りを挙げることが出来ず、山梨県から1000kmほど離れた熊本県のうまかな・よかなスタジアムで開催せざるを得ない状況に陥っている[17]。
このことから2014年4月25日にヴァンフォーレ山梨スポーツクラブをはじめとする球技4団体は山梨県に総合球技場建設を陳情し、署名活動を開始[18]。同年9月12日に海野会長他4団体の関係者が村井満チェアマンと共に山梨県庁を訪れ、9万5627筆の署名を提出。村井チェアマンは「是非ご配慮、ご検討お願いします」と横内正明知事に要請した[19]。
2016年に横内知事の跡を継いだ後藤斎知事の所信表明[20] を機に新スタジアムの検討委員会が設置され、スタジアムの規模や設置場所について報告書がまとめられた[21]。それによると、候補地抽出における主な条件として設定された「収容人数:約2万人」「敷地面積:約9万m3」「リニア環境未来都市(リニア駅)から4km以内」などの要件を満たす土地として「山梨県小瀬スポーツ公園周辺」と「リニア駅前(甲府市大津町)」の2箇所を候補地として定めた意見が示された。その後、2017年7月27日に行われた後藤知事の記者会見で、総合球技場の建設地についてリニア駅前に広い球技場を作ると開発プランが制約されること、小瀬スポーツ公園の方が用地取得費が半分強で済むことなどを理由に、小瀬スポーツ公園南側の第3駐車場部分を建設場所に決定したと発表した[22]。
ホームゲーム入場者数
最多入場者試合
- J1
2006年7月29日 第16節 浦和戦 17,000人 (小瀬)
2007年8月18日 第21節 浦和戦 36,756人 (国立)
- J2
2009年11月21日 第49節 湘南戦 16,844人 (小瀬)
2003年8月30日 第30節 新潟戦 13,043人 (松本)
最少入場者試合
- J1
2017年10月29日 第31節 神戸戦 4,692人 (中銀)
2014年3月1日 第1節 鹿島戦 13,809人 (国立)
- J2
2000年6月11日 第18節 山形戦 724人 (小瀬)
1999年9月10日 第25節 FC東京戦 619人[注 10] (韮崎中央)
年度別入場者数
J1 J2
年度 | 合計 入場者数 | 最多 入場者 | 最少 入場者数 | 平均 入場者数 | ホーム 試合数 | 会場 | 1試合平均入場者数/総入場者数 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小瀬 | その他 | ||||||||
1999 | 26,450 | 3,807 | 619 | 1,469 | 18 | 14 | 韮崎4 | Jリーグ参入。 | |
2000 | 37,004 | 6,005 | 724 | 1,850 | 20 | 17 | 北麓2 韮崎1 | ||
2001 | 68,850 | 5,541 | 1,508 | 3,130 | 22 | 22 | - | ||
2002 | 108,108 | 13,000 | 3,047 | 4,914 | 22 | 22 | - | 県外初開催。 | |
2003 | 127,515 | 13,043 | 2,382 | 5,796 | 22 | 21 | 松本1 | ||
2004 | 140,141 | 10,121 | 2,401 | 6,370 | 22 | 21 | 松本1 | ||
2005 | 152,491 | 14,234 | 4,903 | 6,931 | 22 | 21 | 松本1 | 小瀬増築開始。工事期間中サイドおよびバック上段を閉鎖。 (10月にサイドスタンド増築完了により開放) | |
2006 | 207,629 | 17,000 | 8,025 | 12,213 | 17 | 16 | 松本1 | 小瀬増築完了(開幕戦のみバックスタンド工事中) | |
2007 | 233,476 | 36,756 | 8,373 | 13,734 | 17 | 16 | 国立1 | 国立初開催。 | |
2008 | 217,428 | 14,521 | 7,267 | 10,354 | 21 | 21 | - | ||
2009 | 276,463 | 16,844 | 5,582 | 11,059 | 25 | 25 | - | ||
2010 | 223,309 | 16,431 | 10,163 | 12,406 | 18 | 18 | - | ||
2011 | 205,808 | 21,589 | 6,893 | 12,106 | 17 | 16 | 国立1 | 命名権導入。「小瀬陸上競技場」から「山梨中銀スタジアム」に変更。 | |
2012 | 218,539 | 16,643 | 6,161 | 10,407 | 21 | 21 | - | ||
2013 | 214,441 | 28,906 | 7,754 | 12,614 | 17 | 16 | 国立1 | ||
2014 | 206,904 | 36,505 | 5,416 | 12,171 | 17 | 15 | 国立2 | [注 11] | |
2015 | 192,042 | 14,176 | 7,015 | 11,297 | 17 | 17 | |||
2016 | 184,161 | 15,508 | 7,011 | 10,833 | 17 | 17 | |||
2017 | 184,331 | 14,489 | 4,692 | 10,842 | 17 | 17 | |||
2018 | 21 | 21 | |||||||
計 | 2,835,121 | 8,463 | 335 |
- リーグ戦のみ(関連:日本プロサッカーリーグ#試合入場者数)。
- 略表記
- 小瀬:小瀬陸上競技場(2011年より山梨中銀スタジアム)、国立:国立霞ヶ丘陸上競技場、松本:長野県松本平広域公園総合球技場(アルウィン)
- 韮崎:韮崎中央公園競技場、北麓:富士北麓競技場
入場者数上位
順位 | 所属 | 日時 | 会場 | 対戦相手 | 入場者数 | 備考 | 所属 | 日時 | 会場 | 対戦相手 | 入場者数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | J1 | 2007年8月18日 | 国立 | 浦和 | 36,756 | J2 | 2009年11月21日 | 小瀬 | 湘南 | 16,844 | ||
2 | 2014年5月6日 | 国立 | 浦和 | 36,505 | 2012年10月14日 | 中銀 | 湘南 | 16,643 | ||||
3 | 2013年7月6日 | 国立 | 浦和 | 28,906 | 2010年6月12日 | 小瀬 | 千葉 | 16,431 | ||||
4 | 2011年8月20日 | 国立 | 浦和 | 21,589 | 2010年5月5日 | 小瀬 | 柏 | 15,600 | ||||
5 | 2006年7月29日 | 小瀬 | 浦和 | 17,000 | 2009年9月23日 | 小瀬 | 仙台 | 15,076 | ||||
6 | 2007年5月3日 | 小瀬 | 横浜FC | 16,279 | 2008年5月6日 | 小瀬 | 横浜FC | 14,521 | ||||
7 | 2016年7月30日 | 小瀬 | 浦和 | 15,508 | 2005年10月1日 | 小瀬 | 横浜FC | 14,234 | ||||
8 | 2006年10月1日 | 小瀬 | G大阪 | 15,462 | 2012年7月15日 | 中銀 | 松本 | 14,150 | ||||
9 | 2006年5月3日 | 小瀬 | F東京 | 15,427 | 2009年7月18日 | 小瀬 | C大阪 | 13,580 | ||||
10 | 2011年11月3日 | 中銀 | 横浜FM | 15,315 | 2008年3月9日 | 小瀬 | 岐阜 | 13,211 |
成績
チーム記録
最多得点試合
Div. | H & A | スコア | 試合日 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
J1 | ホーム | 4-3 | 2007年第5節 (4月7日) | ヴィッセル神戸 |
4-3 | 2011年第23節 (7月16日) | ガンバ大阪 | ||
アウェー | 4-0 | 2011年第29節 (10月15日) | セレッソ大阪 | |
J2 | ホーム | 6-1 | 2004年第19節 (6月23日) | 横浜FC |
6-0 | 2009年第23節 (6月24日) | アビスパ福岡 | ||
6-0 | 2010年第33節 (11月7日) | ギラヴァンツ北九州 | ||
6-2 | 2018年第16節 (5月26日) | 大分トリニータ | ||
アウェー | 5-1 | 2003年J2第6節 (4月12日) | 横浜FC |
最多失点試合
Div. | H & A | スコア | 試合日 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
J1 | ホーム | 1-6 | 2007年第14節 (6月10日) | ジュビロ磐田 |
アウェー | 1-5 | 2006年第17節 (8月12日) | 名古屋グランパスエイト | |
0-5 | 2007年第29節 (10月21日) | ガンバ大阪 | ||
1-5 | 2013年第12節 (5月18日) | サンフレッチェ広島 | ||
J2 | ホーム | 3-5 | 1999年第25節 (9月10日) | FC東京 |
1-5 | 2001年第26節 (8月14日) | サガン鳥栖 | ||
アウェー | 1-6 | 1999年第4節 (4月4日) | アルビレックス新潟 | |
0-6 | 1999年第9節 (5月2日) | コンサドーレ札幌 |
最多連勝記録
- J1リーグ戦
- 3連勝 (2007年第7節(4月21日)から第9節(5月3日))
- J2リーグ戦
- 6連勝 (2012年第23節(7月8日)から第28節(8月12日))
最多連敗記録
- J1リーグ戦
- 8連敗 (2013年第11節(5月11日)から第18節(7月31日))
- J2リーグ戦
- 19連敗 (2000年第13節(5月18日)から第32節(9月11日))
個人記録
通算最多出場者
通算はリーグ戦とカップ戦(天皇杯、Jリーグカップ)のみ。プレシーズンマッチ、引退試合、練習試合などは省略する。
- 通算
- 507試合 - 石原克哉 (初出場2001年4月21日 vs.横浜FC戦)
- リーグ戦
- 467試合 - 石原克哉
通算出場試合上位
JリーグのJ1・J2リーグ戦のみ。太字は2018年開幕時点での在籍選手。記録は2015年シーズン終了時点。
順 | 選手名 | 出場試合数 | 在籍期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 石原克哉( 日本) | 467試合 | 2001-2017 | リスト・オブ・ワン・クラブ・マン |
2 | 山本英臣( 日本) | 436試合 | 2003- | |
3 | 藤田健( 日本) | 354試合 | 2001-2010 | |
4 | 倉貫一毅( 日本) | 246試合 | 2000-2006 | |
5 | 池端陽介( 日本) | 218試合 | 2002-2010 | |
6 | 杉山新( 日本) | 217試合 | 2003-2009 | |
7 | 荻晃太( 日本) | 188試合 | 2009-2015 | GK最多。 |
8 | 津田琢磨( 日本) | 179試合 | 2003-2017 | 2008年はシーズン途中まで愛媛在籍。 |
9 | 松橋優( 日本) | 160試合 | 2009- | |
10 | 阿部謙作( 日本) | 155試合 | 2003-2009 | 2005年はシーズン途中まで神戸在籍。 |
- 参考
伊東輝悦( 日本)(Jリーグ通算555試合試合出場、うちJ1リーグ戦517試合は楢崎正剛に次いで歴代2位。甲府では59試合に出場)
仲田健二( 日本)(リスト・オブ・ワン・クラブ・マン。J2ではリーグ146試合、旧JFLを含めると228試合に出場)
通算最多得点
- 43得点 - バレー (初出場:2005年3月5日 vs.札幌戦)
最多連続得点試合
- 5試合
バレー (2005年J2第11節(5月7日)から第15節(6月4日))
ダヴィ (2012年J2第35節(9月23日)から第39節(10月21日))
シーズン最多得点
- J1リーグ戦
- 17得点 - ハーフナー・マイク (2011年)
- J2リーグ戦
- 32得点 - ダヴィ (2012年)
通算チーム得点上位
2014シーズン終了時点。得点数はリーグ戦のみ。
順 | 選手名 | 得点数 | 在籍期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | バレー( ブラジル) | 43得点 | 2005-2006 2015 | 入れ替え戦の7得点を除く |
2 | 藤田健( 日本) | 41得点 | 2001-2010 | |
3 | ハーフナー・マイク( 日本) | 37得点 | 2010-2011 | |
3 | マラニョン( ブラジル) | 37得点 | 2008-2010 2015 | |
5 | ダヴィ( ブラジル) | 33得点 | 2011-2012 2016 |
年度別チーム得点王
年度 | リーグ | チーム得点王 | 得点(試合数) | 備考 |
---|---|---|---|---|
1999 | J2 | 大柴克友( 日本) 堀井岳也( 日本) | 7点(36試合) | |
2000 | 金晃正( 韓国) | 5点(40試合) | ||
2001 | 太田圭輔( 日本) | 11点(44試合) | ||
2002 | 鶴見智美( 日本) 影山由高( 日本) | 8点(44試合) | ||
2003 | 小倉隆史( 日本) | 10点(44試合) | ||
2004 | バロン( ブラジル) | 14点(34試合) | シーズン途中鹿島へ移籍 | |
2005 | バレー( ブラジル) | 21点(44試合) | リーグ得点2位 | |
2006 | J1 | バレー( ブラジル) | 14点(34試合) | |
2007 | 茂原岳人( 日本) | 6点(34試合) | ||
2008 | J2 | マラニョン( ブラジル) | 9点(42試合) | |
2009 | マラニョン( ブラジル) | 19点(51試合) | ||
2010 | ハーフナー・マイク( 日本) | 20点(36試合) | リーグ得点王 | |
2011 | J1 | ハーフナー・マイク( 日本) | 17点(34試合) | リーグ得点2位 |
2012 | J2 | ダヴィ( ブラジル) | 32点(42試合) | リーグ得点王 |
2013 | J1 | ウーゴ( ブラジル) パトリック( ブラジル) | 5点(34試合) | シーズン途中に退団 シーズン途中より加入 |
2014 | クリスティアーノ( ブラジル) 盛田剛平( 日本) | 5点(34試合) | ||
2015 | バレー( ブラジル) | 8点(34試合) | シーズン途中より加入 | |
2016 | クリスティアーノ( ブラジル) | 7点(34試合) | シーズン途中柏へ移籍 | |
2017 | リンス( ブラジル) | 6点(34試合) | シーズン途中より加入 |
ハットトリック
得点数 | 氏名 | 達成日 | 対戦相手 | |
---|---|---|---|---|
J1 | 達成者なし | |||
入替戦 | 6得点 | バレー | 2005年12月10日 (第2戦) | 柏 |
J2 | 4得点 | バロン | 2004年5月2日 (第9節) | 水戸 |
3得点 | ジョルジーニョ | 2002年10月19日 (第38節) | 福岡 | |
山崎光太郎 | 2004年6月23日 (第19節) | 横浜FC | ||
バレー | 2005年5月28日 (第14節) | 徳島 | ||
マラニョン | 2010年4月29日 (第9節) | 札幌 | ||
ハーフナー・マイク | 2010年11月7日 (第33節) | 北九州 | ||
カップ戦 | 3得点 | 須藤大輔 | 2007年7月7日 (準々決勝第1戦) | 川崎 |
記念ゴール
ゴール数 | 氏名 | 達成日 | 対戦相手 | |
---|---|---|---|---|
J2 | 2500 | ジョルジーニョ | 2002年11月10日 (J2第42戦) | 鳥栖 |
3500 | バロン | 2004年6月26日 (J2第20戦) | 京都 | |
8000 | 大西容平 | 2009年10月4日 (J2第43戦) | 東京V |
タイトル
チームタイトルおよび個人別タイトルはリーグ戦およびカップ戦のみ記載。
チームタイトル
J2リーグ:1回
- 2012年
個人別
J1リーグ
Jリーグベストイレブン
ハーフナー・マイク (2011年)
- フェアプレー個人賞
田中佑昌 (2016年)
Jリーグカップ
- 得点王
須藤大輔 (2007年、6得点)
クリスティアーノ (2014年、6得点)
- 得点王
J2リーグ
- 得点王
ハーフナー・マイク (2010年、20得点)
ダヴィ (2012年、32得点)
- 得点王
ジャパンフットボールリーグ
- ベスト11
バロン (1998年)
- ベスト11
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||
|
チームカラー
ブルー[1]
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | はくばく | はくばく | 2001年 - 2006年 2009年 - | 2007年 - 2008年は背中 |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | なし | |||
背中上部 | 山梨中央銀行 | 山梨中央銀行 | 2017年 - | 2015年 - 2016年は袖 |
背中下部 | コイケ | コイケ | 2016年 - | |
袖 | クスリのサンロード | クスリのサンロード | 2018年 - | |
パンツ | マルアイ | 〇愛 MARUAI | 2018年 - |
ユニフォームサプライの遍歴
- 1997年:アンブロ
- 1998年:ペナルティ
- 1999年 - 2002年:エレーネ
- 2003年 - 2006年:デレルバ
- 2007年 - 2010年:アンブロ
- 2011年 - 現在:ミズノ
ユニフォームデザイン
2018 SUMMER (FP 1st) |
- 甲府クラブ時代は武田氏の赤備えをイメージする赤一色であったが、ヴァンフォーレになってからはホームは青、アウェーは白を基調としている。
- Jリーグ参入後にサプライヤーがエレーネとなり、ホームユニフォームは青と一部分が白であった。
- デレルバになった2003年から甲府クラブ時代の基調であった赤色が入るようになった。他のサプライヤーは2年ごとにデザインが変更されるが、デレルバ時代のみ毎年デザインが変更されている。
- アンブロになった2007年からは水色に近い色になり、袖などの一部分が赤や白だったのを除き青色部分が多くなった。
- ミズノになった2011年から再び青色が濃くなり、赤色のストライプが2年ごとに縦→横→左上から右下への斜め→菱形模様となっている。
- 夏季ホームゲーム数試合では記念ユニフォームを着用することがある。
- 2015年:山梨県内各市町村の地図がちりばめられたもの
- 2016年:ゴール裏の光景と星空
- 2017年:紫色に葡萄のイラスト
- 2018年:山梨特産の水晶
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
1999-2000 | 2001-2002 | 2003 | 2004 | 2005 |
2006 | 2007-2008 | 2009-2010 | 2011-2012 | 2013-2014 |
2015-2016 | ||||
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
1999-2000 | 2001-2002 | 2003 | 2004 | 2005 |
2006 | 2007-2008 | 2009-2010 | 2011-2012 | 2013-2014 |
2015-2016 | ||||
FP Other | ||||
---|---|---|---|---|
2015 SUMMER | 2016 SUMMER | 2017 SUMMER |
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
1997 | TOSHIBA | 解禁前 | - | 解禁前 | TOKYO DOME | - | UMBRO |
1998 | NTTDoCoMo | DIRECTV | - | PENALTY | |||
1999 | - | - | nr(ennerre) | ||||
2000 | -/ index | ||||||
2001 | はくばく | index | Sannichi YBS Group | ||||
2002 | PRINCESS TENKO | 武田消毒 | |||||
2003 | DELLERBA | ||||||
2004 | シャトレーゼ | 泉郷 | |||||
2005 | 信玄食品 | ||||||
2006 | NIPRO | 東京エレクトロン | pal*system | ||||
2007 | NIPRO | はくばく | 東京エレクトロン | UMBRO | |||
2008 | |||||||
2009 | はくばく | 東京エレクトロン | Jit ジット | - | |||
2010 | |||||||
2011 | Mizuno | ||||||
2012 | 東京エレクトロン山梨 | ||||||
2013 | アエラホーム | AERAHOME | |||||
2014 | |||||||
2015 | 山梨中央銀行 | -/ PHメンテナンス | |||||
2016 | コイケ | PHメンテナンス | |||||
2017 | 山梨中央銀行 | -/ 内藤ハウス | |||||
2018 | - | クスリのサンロード | 〇愛 MARUAI |
アカデミー
ヴァンフォーレ甲府のアカデミーには、直轄としてU-18(2種)、U-15(3種)、U-12(4種)の3世代にチームがあり、その他1チームと提携を行なっている。主要練習場は南アルプス市にある八田河川敷グラウンド。
Jリーグクラブライセンス制度ではU-18、U-15、U-12、U-10の4世代にチームを設けることがA等級基準(Jリーグに参入するにあたり必要とされる基準)となっている。但しU-12およびU-10は定期的にサッカースクールを行なうことで代替可能としており、甲府についてもU-10世代は甲府市(北部・南部)、南アルプス市、山梨市、西桂町にてサッカースクールを行なうことで基準をクリアしている。
ヴァンフォーレ甲府U-18
設立はトップチームがJリーグ参入してから2年後の2001年[注 12]。U-12が設立される前の2009年までは「ヴァンフォーレ甲府ユース」の名前であった。
2007年に県リーグを勝ち上がりプリンスリーグ関東2部へ参入したが、1年で県リーグへ降格。2014年に参入決定戦を勝ち上がり、2015年よりプリンスリーグ関東に参入している。日本クラブユースサッカー選手権は関東予選の壁を破れずにいたが2010年に初めて全国大会に出場。さらに2013年には予選リーグを突破し決勝トーナメントに進出。2015年はプレミアリーグWESTのヴィッセル神戸U-18を破りベスト8まで進出している。
主な出身者として2009年U-17ワールドカップ日本代表の堀米勇輝、FCドルトレヒトに所属していたファン・ウェルメスケルケン・際などがいる。
年度 | 所属 | 順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | U-18選手権 | Jユース杯 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008 | プリンス関東2部 | 12位 | 9 | 4 | 1 | 4 | 1 | 関東予選敗退 | 予選G敗退 | リーグ戦(Aパート)6位 11・12位決定戦敗退 |
2009 | 山梨県Aパート | 優勝 | 6 | 18 | 6 | 2 | 1 | 関東予選敗退 | 予選G敗退 | 参入決定戦敗退 |
2010 | 山梨県Aパート | 3位 | 9 | 18 | 6 | 2 | 1 | 予選G敗退 | 予選G敗退 | |
2011 | 山梨県Aパート | 3位 | 9 | 18 | 5 | 3 | 1 | 関東予選敗退 | 予選G敗退 | |
2012 | 山梨県Aリーグ | 優勝 | 14 | 39 | 13 | 1 | 0 | 関東予選敗退 | 予選G敗退 | 参入決定戦敗退 |
2013 | 山梨県1部 | 2位 | 18 | 46 | 15 | 2 | 1 | ベスト16 | 予選G敗退 | |
2014 | 山梨県1部 | 優勝 | 18 | 46 | 15 | 2 | 1 | ベスト16 | ベスト16 | 参入決定戦勝ち抜き |
2015 | プリンス関東 | 9位 | 18 | 17 | 4 | 9 | 5 | ベスト8 | 2回戦敗退 | |
2016 | プリンス関東 | 10位 | 7 | 18 | 1 | 13 | 4 | 予選G敗退 | 3回戦敗退 | |
2017 | 山梨県1部 | 3位 | 18 | 39 | 11 | 1 | 6 | 予選G敗退 | 2回戦敗退 |
「山梨県Aパート」「山梨県Aリーグ」は山梨県1部相当。
ヴァンフォーレ甲府U-15
設立はJリーグ参入初年度である1999年。U-12が設立される前の2009年までは「ヴァンフォーレ甲府ジュニアユース」の名前であった。
年度 | 所属 | 順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 敗 | 分 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010 | 関東2部 | 4位 | 11 | 9 | 4 | 3 | 0 | |
2011 | 3位 | 23 | 9 | 7 | 2 | 2 | デベロップカップ優勝 | |
2012 | 3位 | 22 | 47 | 15 | 5 | 2 | ||
2013 | 10位 | 22 | 25 | 7 | 11 | 4 | ||
2014 | 10位 | 22 | 19 | 2 | 7 | 13 | ||
2015 | 4位 | 18 | 35 | 10 | 7 | 5 | ||
2016 | 6位 | 22 | 33 | 9 | 7 | 6 | ||
2017 | 10位 | 22 | 21 | 5 | 11 | 6 | ||
2018 |
ヴァンフォーレ甲府U-12
U-12については2009年までチームを結成していなかったが、全体の底上げを図る目的のため2010年に結成された[23]。
U-12世代の育成は上述のサッカースクールでも行なっているが、U-12チームはそれとは別に選考会を行ない選抜されている。また、スペインから指導者を招くなど重点的に指導を行なっている[23]。そのため結成から間もない状態でも全国大会に出場し、2016年のダノンネーションズカップ in JAPANでは優勝を飾っている。
「U-12 ジュニアサッカーワールドチャレンジ2016」ではマンチェスター・シティFCやFCバルセロナのU-12と対戦している(マンチェスター・シティとは引き分け、バルセロナには負け)。また、世界大会であるダノンネーションズカップでは予選ブロックを1位で通過すると、フランス、アルゼンチン、スペイン(セビージャFCのU-12チーム)といった強豪国相手に勝ち上がり、決勝に進出した。決勝ではドイツ(香川真司が在籍するボルシア・ドルトムントのU-12チーム)相手にPK戦で敗れたものの、世界レベルの強豪チーム相手に善戦している。
年度 | ダノン杯JAPAN | チビリンピック | 全日本少年大会 | その他大会 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
2011 | 全国予選L敗退 | 関東大会敗退 | 県予選敗退 | ||
2012 | 全国予選L敗退 | 関東大会敗退 | 県予選敗退 | ||
2013 | ベスト8 | 3位 | ベスト8 | ||
2014 | ベスト16 | 関東大会敗退 | 全国2次敗退 | ||
2015 | 3位 | 関東大会敗退 | 県予選敗退 | ||
2016 | 優勝 | 関東大会敗退 | ベスト8 | ダノンネーションズカップ2位 | |
2017 | 全国予選L敗退 | 関東大会敗退 | 県予選敗退 | ||
2018 | 3位 | 関東大会敗退 |
- ダノン杯JAPAN:ダノンネーションズカップ in JAPAN
- チビリンピック:JA全農杯チビリンピック小学生8人制サッカー大会
- 全日本少年大会:全日本少年サッカー大会
その他
2010年に北杜市にあるU-15およびU-12のサッカーチーム「八ヶ岳グランデフットボールクラブ」と業務提携を締結し、2011年より「ヴァンフォーレ八ヶ岳」として活動していた。2017年を以て業務提携を解消し、チーム名も「グランデ・アメージング・アカデミー」となっている。
キャンプ地
年度 | 季 | 地域 | 会場 |
---|---|---|---|
2001 | 春 | 茨城県鹿島郡波崎町[注 13] | 波崎サッカーパーク |
2002 | 春 | 静岡県清水市[注 14] | 清水ナショナルトレーニングセンター |
2003 | 春 | ||
静岡県裾野市 | 時之栖スポーツセンター | ||
2004 | 春 | ||
2005 | 春 | 静岡県静岡市清水区 | 清水ナショナルトレーニングセンター |
2006 | 春 | ||
宮崎県西都市 | 清水台総合公園多目的広場 | ||
夏 | ソウル・水原市など | 水原WCスタジアムサブグラウンドなど | |
2007 | 春 | 静岡県静岡市清水区 | 清水ナショナルトレーニングセンター |
宮崎県東諸県郡綾町 | 綾てるは文化公園サッカー場 | ||
夏 | ソウル・水原市など | 水原WCスタジアムサブグラウンドなど | |
2008 | 春 | 静岡県静岡市清水区 | 清水ナショナルトレーニングセンター |
宮崎県東諸県郡綾町 | 綾てるは文化公園サッカー場 | ||
2009 | 春 | グアム | レオパレスリゾート |
宮崎県東諸県郡綾町 | 綾てるは文化公園サッカー場 | ||
2010 | 春 | 和歌山県和歌山市 | 紀三井寺運動公園陸上競技場 |
宮崎県東諸県郡綾町 | サイクリングターミナル陸上競技場 | ||
2011 | 春 | 和歌山県和歌山市 | 紀三井寺運動公園陸上競技場 |
宮崎県東諸県郡綾町 | サイクリングターミナル陸上競技場 | ||
2012 | 春 | 和歌山県和歌山市 | 紀三井寺運動公園陸上競技場 |
宮崎県東諸県郡綾町 | 綾町小田爪多目的競技場 | ||
2013 | 春 | 静岡県裾野市 | 時之栖スポーツセンター |
宮崎県東諸県郡綾町 | 綾町小田爪多目的競技場 | ||
夏 | 山梨県富士吉田市 | 北麓公園陸上競技場 | |
2014 | 春 | 静岡県裾野市 | 時之栖スポーツセンター |
宮崎県東諸県郡綾町 | 綾町小田爪多目的競技場 | ||
静岡県静岡市清水区 | 清水蛇塚スポーツグラウンド[注 15] | ||
夏 | 静岡県裾野市 | 時之栖スポーツセンター | |
2015 | 春 | 静岡県静岡市清水区 | 清水ナショナルトレーニングセンター |
宮崎県東諸県郡綾町 | 綾町小田爪多目的競技場 | ||
2016 | 春 | 静岡県静岡市清水区 | 清水ナショナルトレーニングセンター |
宮崎県東諸県郡綾町 | 綾町小田爪多目的競技場 |
メディア
地元メディアによる試合中継
NHK甲府放送局(県域総合テレビ) - 一部は相手チームの地元局との相互放送、あるいは甲府局単独でアウェイ中継も行う。
山梨放送(YBSテレビ、YBSラジオ) - ラジオは年1試合程度静岡放送SBSラジオが乗り入れる事例がある(「富士山ダービー」)。また特番『SSS〜スリーエス〜』としてアウェイ試合の経過速報を伝えることもある。一般的な実況中継でもアウェイに乗り込んで独自制作することがある。テレビは基本的にホーム試合で、スカパー!向け映像制作・実況も担当。- UTYテレビ山梨 - 年1試合程度。過去に『ウッティ発!』の時間帯でゴールデンタイムの実況中継(後半のみ)を行ったことがある。
NNS甲府CATV - 主にホーム試合。
エフエム甲府『ヴァンフォーレ甲府入れ込み実況中継』 - ホーム、アウェイとも同程度の中継回数。
その他チーム情報
テレビ・ラジオ
- YBSテレビ『山梨スピリッツ』内「ヴァンフォーレEX」
- YBSテレビ『VENTめし!』(2016年より『ててて!TV』の番組内コーナー)
- YBSテレビ『YBSワイドニュース』内特集コーナーほか(主に月・金曜)
- YBSテレビ『ヴァンTV』
- YBSラジオ『ラララ♪モーニング』内「MOVE〜青きイレブンの挑戦!!」
- YBSラジオ『はみだし しゃべくりラジオ キックス』内「ヴァンフォーレ キックス」
- NHK甲府『もうすぐ山梨のおひる』内「ひるまえヴァンフォーレ」
- NHK甲府『まるごと山梨』内「マンデーVF」(月曜が祝日等で特別編成になった場合、「チューズデー〜」等になる場合もある)
- NNS甲府CATV局『ホッとHOT情報局』水曜コーナー
FM-FUJI『PUMP UP RADIO』木曜コーナー「AVENUE5〜VIVA!VENTFORET」- エフエム甲府『こまっちゃんの金曜日〜元気はつらつフライデー〜』内「ヴァンフォーレ甲府情報」
新聞・雑誌
山梨日日新聞 地元紙かつ筆頭株主。
スポーツ報知 スポーツ新聞で唯一地元専用の「やまなし報知」を原則週3回(毎週土・日・月)発行し、ヴァンフォーレ甲府の情報も取り扱う。
月刊ファンフォーレ 2015年までは毎月25日発行の公式マガジン。2016年は希望者申込制の不定期刊行であったが、2017年に月刊誌として再刊行される予定。
インターネット
- ヴァンフォーレ甲府公式サイト
決算
ヴァンフォーレ甲府の決算は、つぎのとおり。
損益
年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 670 | 246 | 159 | 178 | 87 | 579 | 419 | 262 | 161 | 91 | 50 |
2006 | 1,343 | 571 | 385 | 242 | 145 | 1,102 | 857 | 556 | 245 | 241 | 135 |
2007 | 1,655 | 768 | 436 | 276 | 175 | 1,506 | 1,100 | 741 | 406 | 149 | 54 |
2008 | 1,263 | 647 | 276 | 99 | 241 | 1,236 | 911 | 587 | 325 | 26 | 24 |
2009 | 1,094 | 497 | 293 | 119 | 185 | 1,080 | 798 | 498 | 290 | 14 | 0 |
2010 | 1,067 | 499 | 297 | 117 | 154 | 1,056 | 763 | 473 | 293 | 11 | 0 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
2005、
2006、
2007、
2008、
2009、
2010
金額の単位: 百万円
人件費は事業費に含まれる。
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 1,465 | 635 | 421 | 216 | 29 | 164 | 1,400 | 671 | 84 | 149 | 17 | 0 | 479 | 65 | 44 |
2012 | 1,179 | 554 | 291 | 103 | 26 | 205 | 1,148 | 476 | 66 | 170 | 18 | 0 | 418 | 31 | 15 |
2013 | 1,481 | 683 | 403 | 208 | 36 | 151 | 1,460 | 707 | 101 | 172 | 21 | 0 | 459 | 21 | 3 |
2014 | 1,518 | 749 | 422 | 191 | 47 | 109 | 1,515 | 759 | 119 | 175 | 25 | 0 | 437 | 6 | -74 |
2015 | 1,525 | 751 | 354 | 186 | 50 | 184 | 1,470 | 736 | 86 | 154 | 28 | 0 | 466 | 55 | 21 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
2011、
2012、
2013、
2014、
2015
金額の単位: 百万円
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 1,523 | 736 | 342 | 193 | 59 | 61 | 132 | 1,499 | 736 | 88 | 182 | 28 | 0 | 42 | 423 | 24 | 8 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
2016
金額の単位: 百万円
資産
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
---|---|---|---|---|
2005 | 278 | 315 | -36 | 335 |
2006 | 553 | 423 | 130 | 367 |
2007 | 566 | 381 | 184 | 367 |
2008 | 506 | 297 | 209 | 367 |
2009 | 463 | 253 | 210 | 367 |
2010 | 516 | 305 | 210 | 367 |
2011 | 573 | 296 | 276 | 367 |
2012 | 606 | 314 | 292 | 367 |
2013 | 568 | 273 | 295 | 367 |
2014 | 556 | 335 | 221 | 367 |
2015 | 620 | 378 | 242 | 367 |
2016 | 615 | 365 | 250 | 367 |
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。
2005、
2006、
2007、
2008、
2009、
2010、
2011、
2012、
2013、
2014、
2015、
2016
金額の単位: 百万円
脚注
- 注釈
^ 例:横浜F・マリノス=日産自動車、名古屋グランパスエイト=トヨタ自動車、ガンバ大阪=パナソニックなど
^ 塚田は当時Jリーグの監督をするのに必要なS級指導者ライセンスを所持していなかった。
^ 塚田が総監督として実質的に指揮をとっていた。
^ 開幕直前の3月に自社の業務に専念という理由から退任。
^ 茂原は主審に対する侮辱行為および器物破損によりナビスコ杯を含め7試合出場停止、林は出場していなかったが試合終了後の主審に対する暴言により2試合の出場停止
^ 甲府クラブ時代を含め、シーズン途中で監督を解任したのは初めて。
^ 節と試合数が合わないのは当時のJ2は11チームであり、節によっては休みがあったため
^ 但し1998年まではリーグ戦でもPK戦が実施されており、京都の場合は引き分けが存在しなかった時の記録である。
^ 現在は2010年-2011年にギラヴァンツ北九州が記録した35試合未勝利。
^ 2009年10月7日 J2第44節 岡山-栃木SC戦が615人(とりスタ)で更新するまで10年間でのJ2リーグ戦最少観客記録だった。
^ このうち開幕戦は中銀スタジアムでの開催の予定であったが、平成26年豪雪の影響により国立霞ヶ丘陸上競技場へ代替開催となった。
^ 現在のJリーグクラブライセンス制度ではA基準であり参入前の審査で設立または設立の見込みがないとされるとJ3を含めライセンスが発行されないが、J2が設立された1999年当初は猶予期間を設けられており、参入から3年以内のU-18(2種)チームの設立を義務付けられていた。
^ 現・神栖市
^ 現・静岡市清水区
^ 当初は予定していなかったキャンプ地であるが、平成26年豪雪の影響により県内の主要練習場での練習ができないことから、急遽追加された。
- 出典
- ^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaa“クラブガイド:ヴァンフォーレ甲府”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年10月30日閲覧。
^ “クラブ創立50周年記念企画「ヴァンフォーレ甲府アンセム」制作アーティスト藤巻亮太さんに決定および「歌詞・フレーズ(クラブへの想い)」募集のお知らせ”. ヴァンフォーレ甲府公式. 2014年10月31日閲覧。
^ ~山梨学院大とヴァンフォーレ甲府が業務提携~(山梨学院大学公式)
^ ハーフナー甲府退団へ「チームをぶっ壊す意味が分からない」 スポーツニッポン,2011年12月3日
^ 【J1:第34節 大宮 vs 甲府】甲府側プレビュー:『心』で戦うサッカーで僅かな可能性に賭ける J's GOAL,2011年12月2日
^ 【2013シーズン始動!】甲府:新体制発表会見での出席者コメント(2013年1月15日、J's GOAL)
^ VF甲府 助っ人次々退団、異例の事態 野心や忠誠心内面読めず(山梨日日新聞)
^ 過去2チームでは国籍はブラジルであり通常の外国人枠での登録であったが、その後、東ティモール国籍を取得、今回はアジア枠として選手登録された
^ “樋口 靖洋氏 監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ヴァンフォーレ甲府, (2014年12月8日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/508012 2014年12月8日閲覧。
^ “吉田 達磨氏 監督就任のお知らせ” (プレスリリース), ヴァンフォーレ甲府, (2016年11月15日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/512835 2016年11月19日閲覧。
^ “吉田 達磨 監督 契約解除について”. ヴァンフォーレ甲府公式 (2018年4月30日). 2018年5月1日閲覧。
^ Jリーグ 公式戦における「連勝・連敗」の定義について
^ J1に昇格した2013年シーズンの初戦も引き分けたので チーム記録としては25戦
^ スポーツ無敗記録一覧
^ “【重要】3月1日の山梨中銀スタジアムでの開幕戦について” (プレスリリース), ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, (2014年2月21日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/506331
^ “【代替地決定!】3月1日(土)開幕戦は国立競技場で開催” (プレスリリース), ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, (2014年2月21日), http://www.ventforet.jp/news/press_release/506334
^ “城福浩監督、天皇杯ラウンド16の日程と会場に「残念という言葉しか出てこない”. エル・ゴラッソ. (2013年10月23日). http://blogola.jp/p/30678
^ “「総合球技場」建設を フットボール系4団体 県に要望、署名開始へ”. 山梨日日新聞. (2014年4月25日). http://www.sannichi.co.jp/local/news/2014/04/25/9.html
^ “村井チェアマン、山梨県に球場建設求め署名提出”. スポーツ報知. (2014年9月12日). http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20140912-OHT1T50301.html
^ 知事臨時記者会見(平成28年2月4日木曜日)(山梨県ホームページ)
^ 総合球技場検討委員会 報告書 (PDF)
^ “総合球技場 甲府・小瀬に決定 知事「総合的に判断」”. 毎日新聞地方版. (2017年7月28日). https://mainichi.jp/articles/20170728/ddl/k19/010/072000c 2017年7月29日閲覧。
- ^ ab「VF U-12、世界一目指す…仏大会出場へ」(2016年4月18日、読売新聞)
関連項目
- ヴァンフォーレ甲府の選手一覧
- ヴァンフォーレ甲府の練習場
- ヴァンフォーレ甲府経営危機問題
- ヴァンフォーレ甲府商標権問題
富士山ダービー/甲信ダービー/川中島ダービー
外部リンク
- 公式ウェブサイト
ヴァンフォーレ甲府 - Facebook
ヴァンフォーレ甲府 (@vfk_official) - Twitter
がんばれヴァンフォーレ甲府 - 山梨県
ヴァンフォーレ甲府関連テンプレート | |||||||||||||||||||||||||||||||
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