ジェームズ3世 (スコットランド王)






















































ジェームズ3世
James III

スコットランド王

James III, King of Scotland.png

在位
1460年 - 1488年
戴冠
1460年8月10日、ケルソー

出生
1451年7月10日
スコットランドの旗 スコットランド、セント・アンドルーズ城
死去
1488年6月11日
スコットランドの旗 スコットランド、ソーキバーン
埋葬
 
キャンバスケネス・アビー
配偶者
マーガレット・オブ・デンマーク
子女
ジェームズ4世
ジェームズ
ジョン
王家
スチュワート家
王朝
スチュワート朝
父親
ジェームズ2世
母親
メアリー・オブ・グエルダース
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ジェームズ3世(James III, 1451年7月10日 - 1488年6月11日)はスコットランド王(在位:1460年 - 1488年)。ジェームズ2世とゲルデルン公女メアリーの子。概して公正さに欠き、イングランドとの協調政策や、家族との破滅的な関係などにより国民の支持を得られず、無力な統治者であった。




目次






  • 1 生涯


  • 2 子女


  • 3 脚注


  • 4 参考文献





生涯


1460年、父の死により幼年で即位し、母メアリーとセント・アンドルーズ司教ジェームズ・ケネディーが後見人となり、摂政会議に諮って政治が行われた[1]。1469年8月10日、デンマーク王クリスチャン1世(ノルウェー・スウェーデンの王も兼ねる)の王女マーガレット(マルグレーテ)と結婚した。当時の北欧3国はカルマル同盟によって大国となっており、対イングランド関係においても有利な婚姻であった[2]。スコットランド側は王女の持参金に現金を要求したが、クリスチャン1世は手元不如意を理由に、後で代金を支払う代わりとして取りあえず、スコットランド北方のオークニー諸島とシェトランド諸島を持参金とした[3]。しかし現金は結局支払われず、以来この2つの諸島はスコットランド領となっている[3]


1488年、不満を抱いた貴族や長男ジェームズとの戦い(ソーキバーンの戦い)で敗死した[4][5]


政治面では無力であったが、文化面には深い関心を示し[6][7]、その治世の間にスコットランドでは芸術面で発展が見られた。



子女


王妃マーガレットとの間に、3男をもうけた[8]




  • ジェームズ4世(1473年 - 1513年) - スコットランド王

  • ジェームズ(1476年 - 1503年) - ロス公、セント・アンドルーズ大司教、大法官

  • ジョン(1479年 -1503年) - マー伯



脚注





  1. ^ 森、pp. 204 - 205


  2. ^ 森、p. 207

  3. ^ ab森、p. 208


  4. ^ 森、pp. 216 - 217


  5. ^ トランター、pp. 182 - 183


  6. ^ 森、p. 218


  7. ^ トランター、p. 173


  8. ^ 森、p. 223




参考文献




  • 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年

  • ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年













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