静嘉堂文庫
静嘉堂文庫 Seikadō Bunko Library and Art Museum | |
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静嘉堂文庫 | |
施設情報 | |
正式名称 | 公益財団法人静嘉堂 |
前身 | 静嘉堂 |
専門分野 | 日本および東洋の古典籍及び古美術品 |
事業主体 | 公益財団法人静嘉堂 |
建物設計 | 桜井小太郎 |
開館 | 1940年 文庫 1992年 美術館 (新館) |
所在地 | 〒157-0076 東京都世田谷区岡本2丁目23番1号 |
統計・組織情報 | |
蔵書数 | 約20万点 (2018年時点) |
館長 | 理事長 佐々木幹夫 |
公式サイト | http://seikado.or.jp/ |
プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館 |
静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)は、東京都世田谷区岡本2丁目23番1号にある専門図書館及び美術館。日本および東洋の古典籍及び古美術品を収蔵する。事業主体は公益財団法人静嘉堂。同財団は三菱財閥の第2代総帥岩崎弥之助・第4代総帥岩崎小弥太父子の所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足した。「静嘉堂」は弥之助の堂号である。東京都世田谷区岡本の岡本静嘉堂緑地にある。
数多くの貴重な古典籍と古美術品を収蔵しており内外の古典籍を研究者向けに公開する私立の専門図書館であると同時に、併設する静嘉堂文庫美術館を通じて収蔵品を広く一般に公開する美術館活動を行っている。
目次
1 沿革
2 活動
3 コレクション
4 指定文化財
4.1 国宝
4.2 重要文化財
5 参考文献・資料
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
7 外部リンク
沿革
静嘉堂文庫は、岩崎弥之助が1892年(明治25年)、神田駿河台(東京都千代田区)の自邸内に創設した文庫「静嘉堂」を起源としており、静嘉堂の名は『詩経』大雅、既酔編にある「籩豆(へんとう)静嘉」という句から採られた弥之助の堂号(書斎号)に由来する。弥之助は兄で三菱創設者である岩崎弥太郎に従って実業界に入る以前、漢学を学んだ経験があった。恩師である重野安繹(成斎)の研究を援助する目的から古典籍の収集を始め、和漢の古書や古美術品の収集を熱心に行った。1907年には清の集書家、陸心源の「皕宋楼」旧蔵書4万数千冊を購入し、宋・元の版本多数を含む貴重なコレクションが文庫にもたらされた。
翌1908年の弥之助死後、その子岩崎小弥太は父の遺志を受け継いで文庫を拡充し、1911年には岩崎家の高輪別邸(東京都港区、現・開東閣)に移転。さらに1924年には世田谷区岡本にある弥之助の墓の隣接地に桜井小太郎の設計で静嘉堂文庫を建て、広く研究者への公開を開始した。1940年に小弥太は財団法人静嘉堂を創立し、蔵書や文庫の施設など一切を財団に寄付して岩崎家の家産から切り離した。
太平洋戦争後の混乱期には財政難に陥るが、1953年に同じく三菱系の私立図書館である東洋文庫(創設者は岩崎弥太郎の子で三菱第3代総帥の岩崎久弥)とともに国立国会図書館の支部図書館となって資料の公開を継続することができた。これは、文庫の資料と施設を所有する財団法人が国立国会図書館と契約を結んで図書館部門を国会図書館の支部図書館としてその傘下に組み入れ、図書と施設は財団の所有に残したまま、財団の図書館業務の人的部分を国会図書館に委託するというものである。
その後、静嘉堂文庫は三菱グループの援助を受けて1970年に国立国会図書館の傘下から離れ、再び三菱グループ経営の私立図書館となった。1977年からは付属の展示室を設けて文庫の収蔵する美術品の公開を開始し[注釈 1]、1992年には創設100周年を記念して建設された新館に恒久的な美術館を開館した[注釈 2]。
活動
文庫(図書館)は、研究者に向けて公開されており、具体的には大学生以上で紹介状を有する者に利用資格が認められている。閲覧は予約制である。
研究に資するため原則として原本を提供するという方針をとっているため、きわめて貴重な宋・元版を除き、明以降の中国の版本などは全て古典籍の原書が閲覧に供されている。資料は貴重書であるため、複写はマイクロフィルムからに限られる。
美術館は、年に4回から5回程度の頻度で毎回テーマを変え、展覧会を行っている。なお、展覧会の期間以外は展示替えのため美術館は休館する。
コレクション
静嘉堂のコレクションは岩崎弥之助とその子、小弥太が収集した約20万冊の古典籍と約6500点の東洋古美術品からなり、国宝7件、重要文化財84件(2018年時点)を含む[1]。
弥之助は当時の日本における西洋化の風潮の中で貴重な古典籍や古美術が散逸したり日本から流出することを怖れ、古典籍4万冊を蒐集した。また俵屋宗達筆の『源氏物語関屋及澪標(せきやおよびみおつくし)図』屏風を筆頭とする書画・刀剣なども数多く集めた。また、晩年に購入した陸心源旧蔵書には宋版をはじめとする数々の中国古典籍の至宝が含まれている。
小弥太は父の遺志を継いで古典籍・古美術を収集し、さらに自ら「巨陶」と号したように、古美術品の中でも陶磁器に力を入れた。中でも国宝の曜変天目茶碗(中国南宋時代)は、元徳川将軍家の所蔵から春日局の縁でその子孫である淀藩の稲葉家に伝来したことから「稲葉天目」の通称で知られる逸品で、静嘉堂コレクションの中でも国際的に著名なものである。
指定文化財
風雨山水図 伝馬遠筆(国宝)
趙子昂書(国宝)のうち第5通
倭漢朗詠抄(国宝)
月下鳴機図 渡辺崋山(重要美術品)
平治物語絵巻 信西巻(部分)(重要文化財)
国宝
- 紙本金地著色源氏物語関屋及澪標図 俵屋宗達筆 六曲屏風一双
- 絹本墨画淡彩風雨山水図 伝馬遠筆
- 紙本墨画禅機図断簡 因陀羅筆(智常禅師図)
- 太刀 銘包永
- 曜変天目茶碗
- 倭漢朗詠抄 巻下残巻(彩牋)
趙子昂書 与中峰明本尺牘(六通)
重要文化財
絵画
(仏画・垂迹画)
(絵巻)
(室町水墨画)
(近世日本絵画)
| (近代日本絵画)
(中国絵画)
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彫刻
- 木造広目天眷属立像 康円作[注釈 3]
- 木造十二神将立像 7躯[注釈 4]
工芸品
(日本陶磁)
(中国・朝鮮陶磁)
(漆工)
| (刀剣)
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書跡典籍・古文書
(典籍)
(古文書)
(墨蹟)
| (宋代刊本)
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※ 出典:2000年までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』[19]による。
参考文献・資料
- 今泉元佑 『古伊万里と古九谷 その真実の探究』 古伊万里鍋島研究所 (発行)、河出書房新社 (発売)、1987年、153頁。ISBN 4309900283。NCID BN01492336。
- 『国宝・重要文化財大全』 毎日新聞社、2000年。ISBN 4620803332。NCID BA31090351。
静嘉堂文庫美術館 (編集・発行) 『静嘉堂蔵 古伊万里』、2008年。NCID BA88406091。 - 所蔵する肥前磁器から選んだ84件を収録。附録は古伊万里関連年表 (118–120頁)、作品目録 (154–163頁)
『三菱が夢見た美術館 : 岩崎家と三菱ゆかりのコレクション (From dream to reality : the Iwasaki, Mitsubishi collection)』 阿佐美淑子, 加藤明子 (編)、三菱一号館美術館〈三菱一号館美術館開館記念展〉、2010年。NCID BB0296870X。
- 小林優子 「静嘉堂父子二代の収集とその歴史」『同上』、2010年。NCID BB0296870X。
- 成澤麻子 「静嘉堂文庫のコレクションについて」『同上』、2010年。NCID BB0296870X。
- “静嘉堂文庫・沿革”. 2018年8月21日閲覧。
- 参考ウェブサイト
- 康円 (1267年(鎌倉・文永4年)). “29. 重要文化財 木造広目天眷属像”. 三菱広報委員会. 2019年1月5日閲覧。
- 康円 (1267年). “四天王眷属像 北方天眷属像 (多聞天・毘沙門天)”. MOA美術館. 2018年11月3日閲覧。
“四天王眷属像”. 東京国立博物館. 2018年11月3日閲覧。
- 康円 (1267年). “東方持国天眷属像”. 2018年11月3日閲覧。
- 康円 (1267年). “南方増長天眷属像”. 2018年11月3日閲覧。
- “重要文化財「木造十二神将立像」の像内墨書について”. 静嘉堂文庫美術館 (2017年7月18日). 2018年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月5日閲覧。
- 伝浄瑠璃寺伝来 (鎌倉時代_13c). “重文 木造十二神将立像 亥神”. 静嘉堂文庫美術館. 2018年11月3日閲覧。
“コレクション > 名品ギャラリー > 彫刻”. 東京国立博物館. 2018年11月3日閲覧。
- 伝浄瑠璃寺伝来 (鎌倉時代_13c). “十二神将立像 辰神”. 2018年11月3日閲覧。
- 伝浄瑠璃寺伝来 (鎌倉時代_13c). “十二神将立像 巳神”. 2018年11月3日閲覧。
- 伝浄瑠璃寺伝来 (鎌倉時代_13c). “十二神将立像 未神”. 2018年11月3日閲覧。
- 伝浄瑠璃寺伝来 (鎌倉時代_13c). “十二神将立像 申神”. 2018年11月3日閲覧。
- 伝浄瑠璃寺伝来 (鎌倉時代_13c). “十二神将立像 戌神”. 2018年11月3日閲覧。
脚注
注釈
^ 1945年に小弥太が没すると、財団はその美術品コレクションから国宝・重要文化財ほかを故人の遺志により夫人の孝子から受贈する。夫人が1975年に没すると、岩﨑忠雄により岩崎家に残っていた収蔵品全点と鑑賞室等の施設が財団に移管され公開に至る[1]。
^ 「沿革」節の記述は小林[2]及び成澤[3]による。
^ 四天王眷属像4躯のうちの木造広目天眷属立像1躯[4]。他の3躯はMOA美術館[5]と東京国立博物館(2躯)[6][7]にある。
^ 浄瑠璃寺伝来とされる十二神将像12躯のうちの7躯(子神[8]、丑神[8]、寅神[8]、卯神[8]、午神[8]、酉神[8]、亥神[8][9])。残りの5躯は3か所に分蔵されていたが、現在は5躯とも東京国立博物館にある[10][11][12][13][14]。
^ 本作品は1939年に重要文化財に指定された。かつては古伊万里の色絵とされていたが、古伊万里研究家の今泉元佑は、本作のように胴の大きい徳利は古伊万里時代には存在しないと述べている[15]。静嘉堂所蔵の古伊万里の図録である『静嘉堂蔵 古伊万里』[16]には本作品は収録されていない。
出典
- ^ ab沿革 2018.
^ 小林 2010, pp. 104-110.
^ 成澤 2010, p. 111.
^ 康円 1267a.
^ 康円 1267b.
^ 康円 1267c.
^ 康円 1267d.
- ^ abcdefg静嘉堂文庫美術館 2017.
^ 伝浄瑠璃寺伝来-亥神.
^ 伝浄瑠璃寺伝来-辰神.
^ 伝浄瑠璃寺伝来-巳神.
^ 伝浄瑠璃寺伝来-未神.
^ 伝浄瑠璃寺伝来-申神.
^ 伝浄瑠璃寺伝来-戌神.
^ 今泉1987, p. 153.
^ 静嘉堂文庫美術館 2008.
^ 平成28年8月17日文部科学省告示第116号
^ 平成19年6月8日文部科学省告示第97号
^ 国宝・重要文化財大全 2000.
外部リンク
- 静嘉堂文庫美術館
三菱広報委員会
- 国宝と重要文化財を含む48点を紹介
静嘉堂文庫美術館 - インターネットミュージアム
静嘉堂文庫美術館 - artscape
座標: 北緯35度37分22.3秒 東経139度37分9.3秒 / 北緯35.622861度 東経139.619250度 / 35.622861; 139.619250