独裁政治











民主主義指数による国別の独裁傾向、モロッコから最下位北朝鮮まで52か国の独裁色が強い、エリア別では中東・北アフリカが下位ランク
























独裁政治(どくさいせいじ)とは、一個人、少数者または一党派が絶対的な政治権力を独占して握る政治体制を指す。独裁制とも言う。




目次






  • 1 概要


  • 2 短所


  • 3 長所


    • 3.1 具体例




  • 4 防止策


  • 5 専制政治との違い


  • 6 代表例


    • 6.1 過去


    • 6.2 現在




  • 7 脚注


    • 7.1 注釈


    • 7.2 出典




  • 8 関連文献


  • 9 関連項目





概要


独裁政治」という言葉は、戦争や内乱などの非常事態において、法的委任の手続きに基づき独裁官に支配権を与える古代ローマの統治方法に由来する。独裁政治は、一般に、戦時や社会の混乱期に多く出現する。


絶対君主制との違いは世襲を伴わないことなどが挙げられる。専制政治では固定的または身分的な支配層が非支配層を支配するが(社会階級)、独裁では支配者と被支配者の身分は基本的には同一である。


軍事的な手続きであるクーデターや内戦によって独裁者となる場合が多いが、民主主義的な手続きの結果として独裁者が生まれることもある。ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーは、民主主義、民主憲法であるヴァイマル憲法のもとで独裁化した例である。軍がそれまでの政府を打倒し直接政治を執る軍事政権も、独裁政治としてはよくみられるタイプのものである。


また、独裁政治をとる場合において政党は必ずしも不要なものではなく、むしろ統治の補助・翼賛機構として支配政党を一つ作り、それ以外の政党を認めない一党独裁制を採ることの方が多い。この場合、支配政党のほかにいくつかの衛星政党が存在を許される場合もあるが、こうした衛星政党は支配政党に異議を唱えることは許されず、形式的に存続しているだけのもので、実質的には意義を失っている。こうした形式的複数政党制はヘゲモニー政党制と呼ばれ、人民民主主義をとる社会主義国の一部ではこうした体制が存続している。マルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国の一部では、プロレタリア独裁を根拠に共産党による一党独裁制を採用している。朝鮮民主主義人民共和国のように世襲が行われる場合もある。



短所


独裁的な政治体制の下では体制批判は許されず[注 1]、個人の自由は著しく制限される。民衆の意思表示は抑圧され、反対派は何らかの形で排除される。また、為政者の権力行使に抑制が効かずに、恣意的な国家運営に堕すこともあり、国家としての方向性を失って行く場合も多い。


中国共産党中央政治局常務委員会には「68歳定年制」という不文律があり[2]、権力の暴走を防いでいる。



長所


独裁制はトップの意思の伝達がスムーズであり、有能な独裁者がビジョンに基づき独裁をおこなった場合、国家が大幅に発展することも不可能ではない[3]。こういった体制は20世紀後半の東アジアや東南アジアに多く見られ、開発独裁と称された。


このように独裁政治にもメリットがあるが、前ブータン国王のジグミ・シンゲ・ワンチュクは、「今のままの方が幸せ」と独裁体制の継続を望んだ国民を「今の国王は良き君主でも、もし悪しき君主が現れたらどうするのだ?」と諌め、自ら民主化を進めた[4]



具体例




  • ルワンダ第5代大統領のポール・カガメは首都・キガリの犯罪率を東京都と同じレベルまで低下させた。また、同国には「女性国会議員の割合は30%以上」という規定があり、同国は世界女性国会議員割合ランキングで1位となった[1]


  • トルクメニスタン第2代大統領のグルバングル・ベルディムハメドフは子供が8人以上いる家庭に豪邸を与えている[1]

  • 政府の重要ポストが世襲制のアラブ首長国連邦(UAE)は所得税なし、医療費無料で、世界幸福度ランキングで28位である[1]


  • ユーゴスラビア社会主義連邦共和国大統領のヨシップ・ブロズ・チトーは独裁によって平和を実現し、民衆の意思が尊重される社会を作った。彼の死後、ユーゴスラビア紛争が勃発し、ユーゴスラビアは7つの国に分裂した[1]



防止策


普通選挙による議会制民主主義や大統領制などに加えて、権力分立や公職の多選禁止(アメリカ合衆国が憲法修正22条で定める三選の禁止、憲法条文による韓国・フィリピン・チリにおける再選禁止など)は、政治の独裁化を防ぐ理念に基づくものと考えられている。



専制政治との違い


共和政ローマ時代の独裁制に注目したドイツ・ワイマール時代の政治学者カール・シュミットは、独裁制と専制政治の違いを「具体的例外性」にみいだしている。シュミットによると、独裁制は、非常時に現行法規を侵犯するが、それは法秩序を回復するという具体的目的に従属し、したがって独裁は、秩序回復ののちには当然に終了する例外的事態である。独裁がこの具体的例外性をうしなえば、専制政治に転化することになる。


さらにシュミットは、独裁を「委任的独裁」と「主権的独裁」に分類した。委任的独裁は、現行の憲法秩序が危機に陥った時、憲法秩序を維持するためにその機能を一時的に停止する独裁をいう。憲法の規定に非常大権が定められていれば、この独裁は形式的にも憲法に違反しておらず、「立憲的独裁」とよばれうる。


これに対して主権的独裁とは、現行憲法ではなく将来実現されるべき憲法秩序、政治イデオロギーにもとづいておこなわれる独裁をいう。この場合の独裁は、主権をもつ人民からその権限を委任されているがゆえに許されるとし、現行法秩序をまったく超越して成立する革命権力がこれに相当する。主権的独裁の歴史的事例としては、フランス革命におけるロベスピエール独裁、ロシア革命や中国革命における共産党独裁があてはまる。



代表例



過去


歴史的に、一般的に広く「独裁」と呼ばれている思想、集団、体制には以下がある。民衆または民主主義より発生したものが、相対的に「独裁」と呼ばれている場合が多い。




  • アテナイの三十人政権 - 民主政に代わって恐怖政治を行った


  • プラトンの国家論 - 民主政をエゴイズムの集大成で衆愚政治と批判し、透徹した指導者が哲人王となり民衆を善導すべき、とした。


  • 帝政ローマ - 元老院の支配する共和政ローマに代わり、ローマ皇帝が表面的には共和政や元老院を尊重しつつ独裁的な権限を掌握した。


  • 清教徒革命でのオリバー・クロムウェル


  • フランス革命でのジャコバン派 - 王党派による反革命と戦う名目で恐怖政治を行った。


  • ナポレオン・ボナパルト - 革命の成果の維持と秩序回復を望む国民に支持され、国民投票をもとに皇帝に即位した(フランス第一帝政、ボナパルティズム)


  • ネパール王国のラナ宰相家 - 100年以上に渡り一族で宰相の地位を独占し続けた。


  • ロシア革命でのボリシェヴィキ、ソビエト連邦共産党(レーニン主義)

    • ソビエト連邦などのマルクス・レーニン主義を掲げた社会主義国(特にスターリニズム)



  • ベニート・ムッソリーニが率いたファシスト党(ファシズム)


  • アドルフ・ヒトラーが率いた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチズム)

  • 世界各地の軍国主義や開発独裁



現在


現存する国家で、憲法等で公式に「独裁」を明記している主な国は以下の2ヶ国である。




  • 中華人民共和国の旗 中国 - 『中華人民共和国憲法』に「社会主義」、「人民民主主義独裁」(中国語では「人民民主専政」)[5]、「党の領導」[6]を明記[7]。また中国共産党規約でも「人民民主主義独裁」を明記[8]


  • 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 - 『朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法』(2009年改定)に「社会主義」、「独裁」、「党の領導」を明記[9]


これらはマルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国で、共産党(共産党幹部)が独裁している。「プロレタリア独裁」という概念などを根拠としている。ただし、実際には共産党の幹部は多くが世襲化しており、親の代からプロレタリアート(労働者)として働いてもおらず、さまざまな利権を独占していて賄賂などを受け取り、一般大衆とは別格の裕福な生活を送っており、結局、17世紀や18世紀の貴族による支配とほとんど変わらなくなってしまっている(共産貴族、ノーメンクラトゥーラ)。


特に、北朝鮮の場合は「党による独裁」というシステムがあるものの、そのシステム全体を、特定の一族が乗っ取ってしまっている。


  • 労働党中央委員会総書記(実質上の最高権力者)の座が、実質上世襲されてしまっている。2代目の金正日、3代目金正恩とも労働者(プロレタリアート)として労働の人生を送ったことなど実際には全くなく、本当はプロレタリアートではない。実質的には、2代目3代目が世襲している段階で、特定の血筋の者が最高権力者として独裁しているということになる。金親子は、一般大衆とはかけ離れて贅沢な生活をしており、宮殿のようなところで暮らしており、実質的には絶対君主制と変わりない。むしろ、現代のヨーロッパの貴族・王室などのようにオープンなマスコミによって監視されていない分、やりたい放題で、王政や貴族制の悪い面が強調されてしまったような状態になっている。


脚注



注釈





  1. ^ 例外もあり、後述のヨシップ・ブロズ・チトーは体制批判には寛容的だった[1]




出典




  1. ^ abcdeテレビ朝日系列『橋下×羽鳥の番組(仮)』独裁国家の制度を考えてみたSP 2016年6月27日放送(ワイヤーアクション「TVでた蔵」の記録)


  2. ^ “中国共産党大会 常務委員5人引退へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2017年10月23日). https://mainichi.jp/articles/20171024/k00/00m/030/106000c 2018年3月4日閲覧。 


  3. ^ “池上彰、アジア最悪の独裁者・ポル・ポト政権についてカンボジアから現地レポート!『ここがポイント!!池上彰解説塾』”. Ameba News (サイバーエージェント). (2014年11月3日). https://news.ameba.jp/entry/20141103-20 2018年2月28日閲覧。 


  4. ^ “授業復習 3時限目 社会”. 『世界一受けたい授業』 (日本テレビ放送網). (2016年4月9日). http://www.ntv.co.jp/sekaju/onair/160409/03.html 2018年3月4日閲覧。 


  5. ^ 《中华人民共和国宪法》第一条 中华人民共和国是工人阶级领导的、以工农联盟为基础的人民民主专政社会主义国家。社会主义制度是中华人民共和国的根本制度。禁止任何组织或者个人破坏社会主义制度。(中華人民共和国は、労働者階級の指導する労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の社会主義国家である。社会主義制度は、中華人民共和国の基本となる制度である。いかなる組織又は個人も、社会主義制度を破壊することは、これを禁止する。)


  6. ^ 《中华人民共和国宪法》序言 中国共产党领导的多党合作和政治协商制度将长期存在和发展。(中国共産党指導の下における多党協力及び政治協商制度は長期にわたり存在し、発展するであろう。)


  7. ^ 中華人民共和国憲法を読む(2004年、抜粋)


  8. ^ 中国共産党規約


  9. ^ 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法




関連文献




  • Schmitt, CarlDie Diktatur: von den Anfangen des modernen Souveranitatsgedankens bis zum proletarischen KlassenkampfMünchen:Duncker und Humblot、1921年).(カール・シュミット著、田中浩・原田武雄訳『独裁――近代主権論の起源からプロレタリア階級闘争まで』未來社、1991年。ただし1964年の原著第三版の邦訳)

  • Neumann, Sigmund.,Permanent revolution; the total state in a world at war(New York:Harper and brothers, 1942).(シグマンド・ノイマン著、岩永健吉郎・岡義達・高木誠訳『大衆国家と独裁――恒久の革命』みすず書房, 1960年/新装版, 1998年)

  • Moore, Barrington Jr., Social Origins of Dictatorship and Democracy: Lord and Peasant in the Making of th Modern World(Boston:Beacon Press, 1966).(バリントン・ムーア著、宮崎隆次・森山茂徳・高橋直樹訳『独裁と民主政治の社会的起源――近代世界形成過程における領主と農民(1・2)』岩波書店, 1986年)


  • 猪木正道著『独裁の政治思想 [三訂版]』、創文社、2002年、ISBN 4-423-71053-6


  • 佐野誠著『近代啓蒙批判とナチズムの病理――カール・シュミットにおける法・国家・ユダヤ人』、創文社、2003年、ISBN 4-423-71057-9



関連項目




  • 絶対君主制(絶対王政)


  • 一党独裁制

    • 一党制

    • 党の指導性

    • 一党優位政党制

    • ヘゲモニー政党制



  • 専制政治

  • 独裁者

  • 独裁主義

  • ファシズム

  • プロレタリア独裁

  • 民主集中制

  • 情報操作

  • 開発独裁

  • 統裁合議制

  • スルタニズム

  • 民主主義

  • 第三の波 (ハンティントン)

  • 執権

  • 寡頭制

  • 失敗国家





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